第7話 接し方
ゲームセンターという娯楽は彼にとってただの暇つぶしでしかない。
プレイする時もあれば全くお金を使わない時もある、賑やかな音を聞きながらただ時間が流れるのを待つだけ。
そして正人は今日も良樹と無駄に時間を潰していた。
「なぁ正人、どうでもいいことなんだけどよ」
「何だ」
店内に設置されてあるベンチに腰をかけながら良樹は退屈そうに口を開いた。
「冷麦一個、をカタコトで言ったらさ」
「ああ」
「ヒアウィーゴーに聞こえるよな」
「ホントどうでもいいな」
この生活を楽しいと思えるはずがない。
きっとこれからもこうやってつまらない生き方をして過ごすのだろうという諦め。
「腹減ったし、俺は帰るわ」
「ん」
スマホを取り出して時刻を確認すると夜の7時を回っていた。
良樹は立ち上がる気がない正人の背中を一度叩いて手を上げて去っていく。
「(俺も帰るか)」
特にやることもない彼は自動ドアを抜けコンビニへ向かおうと足を動かした時、何者かが正人の前に立ちふさがった。
「…」
「…」
近距離でジッと彼を見つめる女性。
「何やってんだ…先生」
「帰宅途中よ」
「そっか、じゃあな」
「待って」
優しく彼の制服の裾を掴む真夏。
こんな女でも一応は教師、夜にゲームセンターから出てきた生徒を放っておくわけにもいかないのだろうが、彼は先手を打って出た。
「こんな夜おそ…」
「今はまだ7時だ」
「ゲームセ…」
「ゲーセンは不良が来る場所なんてのは古い考えだ」
「…」
正人の勝利だった。
「つーか先生はここがどんなとこかも知らないだろ」
「知らないわ」
「子供連れの家族だって来たりするぞ」
「そうだったの、ごめんなさい」
猫宮真夏ほど娯楽と言う言葉が似合わない人間はいないだろう。
彼女自身が日々楽しさを求めていないのも問題である。
「入ってみるか?」
「興味ないわ」
「それがダメなんだって」
「…」
彼女に趣味がないのは全てにおいて興味が沸かないから、必要なことしかせずそれ以外は絶対に手を出そうとしない。
「飯賭けて勝負しようぜ」
「賭け事はダメよ」
「んじゃ負けた方が勝った方に飯をご馳走するってのは?」
「わかったわ」
物は言い様である。
しばらく店内を回りお互いが同等に勝負のできるものを探す。
全く表情を変えないスーツ姿の女性が不良男子の横を歩いている光景は異様だった。
「…これにするか」
「車?」
「レースゲームだな、俺もやったことない」
格闘ゲームは差がありすぎるが、これならハンデなしでやれるだろう。
「いいの?」
「何が?」
「私免許持ってるわ」
「…」
レースゲームは免許を持っている人間の方が有利なんて聞いたことがない。
「自信あるんだな、先生」
「怒らない?」
それは負けても文句を言わないか、ということだった。
「俺がそんな短気に見えるか?」
「見えるわ」
「…」
「ごめんなさい、聞かなかったことにして」
さすがにここまで言われて黙っているほど彼は大人しい人間ではない。
二人はスタンバイし、それぞれが気に入った車を選択する。
「柏木君」
「何だ、今更待ったはナシだぞ?」
「バックミラーがないわ」
「…そうだな」
もうツッコむ気にもなれない正人だった。
「どの面下げて言ったんだ、あれは」
結果は言うまでもない。
「私オートマ限定なの」
「で、最後に車に乗ったのはいつだ」
「教習所の時よ」
「…ペーパーじゃねぇか」
真夏はレースゲームで速度制限を守ろうとしていた。
勝負と言うよりただのドライブだった、がそれでも彼女は何度も壁にぶつかっていた。
「二度と車に乗るな」
「ひどいわ」
彼女が初めてゲームをしたことや、負けたことの悔しさを表に出すことはない。
ご馳走してもらいたいから勝負を持ちかけたのではなく、ただ彼はいつもと違う日常を求めていただけ。
普段と違う日常をくれる真夏の存在を彼は認め始めていた。
「コンビニのでいいよ」
「ダメよ、栄養偏るわ」
正人のすぐ隣に並んで歩く真夏は全く表情を変えず、彼に何をご馳走すればいいかを考えていた。
担任として、自分の生徒に不健康な食事をさせるわけにはいかない、と。
普段通る公園前、適当にサラダと言っておけば文句は言わないだろうと彼女に視線を向けるがそこにはいるはずの存在が見当たらない。
「どこ行った…」
「ここよ、猫がいたわ」
「そうか猫が……うおっほい!」
フラっと公園に入り野良猫に手を出そうとする真夏を急いで止める。
「どうして」
「おま…学習能力ゼロか!」
「ひどいわ」
以前猫に噛まれた真夏の手がやっと治ったというのにまた同じ過ちを繰り返そうとしていた。
猫は距離を取ってすぐに動けるように警戒していた。
冷血の猫と呼ばれる猫宮先生は猫に嫌われる体質、自覚しているのにやめられない中毒のようなもの。
「…」
「…はぁ」
痛い思いをしたのにそれでも触りたい真夏、彼は声と共に大きなため息が出る。
真顔で直立したまま猫を見下ろす彼女、接し方からして間違えている。
「猫は目を見て近づくと怖がるって聞いたことあるぞ」
「本当?」
好きなのに調べようとしないところが真夏らしい。
「…」
「…」
「こっち見んな」
「ごめんなさい」
彼女はじっと正人を見つめながらそっと猫に近づいていた。
「餌で釣りたいが、持ってないな」
「ソーセージならあるわ」
「…何であるんだ」
正人は受け取ったソーセージを地面に置き、一歩下がったところで腰を下ろす。
目線は耳あたり、決して目を合わさない。
次第に野良猫は鼻を動かして目の前に置かれた物を気にし始めていた。
ゆっくり、警戒しながらソーセージに近づき彼が何もしてこないことを確認してから食らいついた。
驚かせないようにそっと手を猫の頭に乗せて優しく撫でる。
「すごいわ」
「だろ」
「私も…」
今がチャンスと真夏が手を伸ばした瞬間野良猫は食べるのをやめ一歩引いて彼女を威嚇し始めた。
「…」
「…」
「忘れていたわ」
「…だからこっち見んな」
ここまで動物(猫)に嫌われるのも珍しい。
冷血と言えど表情は変わっていないが少々ショックは受けていた。
真夏は彼の斜め後ろでしゃがみ込んで再び食べ始めた猫を眺めていた。
今までで一番近づけた瞬間。
「…ふふ」
「ぬあっ今先生が笑った!真顔で!」
笑い声は聞こえたものの本人の表情は変わっていない。
「感動しているわ」
「なら表情変えようぜ」
「笑顔?」
「それは俺も逃げ出すからやめてくれ」
「ひどいわ」
不良と教師と野良猫。
彼女は光の入っていない瞳で必死に食べている猫の姿を見つめていた。
「ペットショップ行けばいいんじゃね?」
「?」
「あそこなら逃げられる心配もないだろ」
ウィンドウ越しでなら今よりも近づくこともできる。
「そうね」
さっそく行かなければ、と何も写っていない彼女の眼が語っていた。
スーツ姿で感情を表に出さないロボットのような彼女が動物を眺めていたら間違いなく注目を浴びるだろう。
それでもきっと真夏は気にせずに…、
「来てくれる?」
「…え?」
正人がこれまで聞いてきた言葉の中で一番驚いたかもしれない。
「…」
「ああ、付いていくよ」
「ありがとう」
深い意味なんてないのかもしれない、それでも彼は嬉しかった。
「それはデートの誘いと受け取っ」
「違うわ」
「…最後まで言わせてくれよ」
「ごめんなさい」
彼にとって真夏は面白いとしか思っていなかった。
それが変えていきたい、気づかせてやりたいと思い始めている。
「とりあえず動物との接し方を学べよ」
「そうね」
「…人との接し方も」
「そう、ね」
―――それができるのは彼女が担任である今だけなのだ。
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