17

 三柴はきょとんとした顔で、目の前の光景を眺めていた。

 本村が、ホイップクリームがこんもりとのったショコララテをおじおじとすすっていた。

 その隣には、池脇という体格のいい男が座っていた。一見、大学生かと思ったが、本村の紹介によれば同じ高校一年生だという。

 全身タイツの輩が棒のようなものを振り回している、はじけた写真がプリントされたTシャツ。対して、池脇の表情は堅かった。

 三柴の隣には大槻という、甘い顔立ちをした黒髪の少年が座っていた。

 無地のTシャツに、腕にはスマートウォッチ。初対面にもかかわらず、親しみやすそうな笑みを浮かべている。

 テーブルの端には倉沢という、郷葉大附属高校のブレザー服を着た少年が座っていた。

 着席して早々、自分には無関係とでもいうように華奢な体をよじってだらしなく座り、壁を作るようにスマホをいじりはじめた。

〝郷葉の制服着たすごい生意気くさい子?〟

 三柴は志保の言葉を思い出していた。そうか。この子のことか。

 と同時に、なんとか一時しのぎで抑えつけていた焦燥たる気持ちが、再び呼び起こされてしまった。

 先程交わした志保とのやり取りが、頭の中で、お粗末なモンタージュのように繰り返される。

「すっごく早く着いたんですか?」

 ぱっと明かりを点すように、本村はたずねた。

「え?」

「僕たちも、待ち合わせの時間より早く着いたと思ったんですけど……。三柴さんの方が先に着いてて、もう飲み物飲み干してるから……」

 本村は、三柴の前に置かれた空のグラスを指差した。

「ああ……。ちょっと、喉渇いててさ。僕も今来たところだよ。全然待ってない」

 そう。志保の部屋を飛び出してきたせいで、予定よりもずいぶん早く、店に着いてしまった。だが、『待ってない』というのは嘘ではない。気持ちを切り替えるために、テーブルで一人、忙しく過ごした時間はあっという間だった。

「これ」

 本村は白い箱を取り出した。箱の上部に、吠えるギターのロゴマークが入っている。「頼まれてたやつです」

 三柴はそれを受け取ると、慎重にふたを開けた。昨日、本村が履いていたものと同じ、ゴールドとパープルの、ギラギラとしたスニーカーが入っていた。

「うわあ、すごい。新品みたいにきれいだね」

 三柴はギター・ギャンを手に取り、ボディのグリッターや、まっさらな靴底をまじまじと見つめた。

「三柴さん、ラッキーですね。これ、開封済みですけど、一応未使用らしいですよ」

「え? じゃあ元の持ち主の子は、まだこれ履いてないってこと?」

「そうですね」

「い、いいの? 履きたくて買ったんでしょ?」

「いえ」

 あっさりと、本村は言った。「ギター・ギャンが〝かわいいから〟買ったそうです。でも、もう『かわいい成分』は吸収しきったらしいので」

「へえ……」

 少し安心して、三柴は考えた。「『かわいい成分』……っていうのはよく分からないけど、何かしらの栄養を口から摂取しなくても、好きなものを見たり、聴いたりするだけで、癒される気持ちはすごく分かるな」

 本当に、こんな男が?

 自分の交際相手を、猟奇的に、次々と————?

 池脇は静かに、険しい瞳で、三柴の言動を観察していた。

 確かに佐野たちの所見通り、爽やかで、人当たりのいい男だ。

 清白な見た目の中に、残忍な性格を秘めた人間も、この世の中にはいるだろう。

 だが三柴には、品行方正な自分を演じているような素振りは見受けられなかった。それどころか、提示された物事に、相手の話題に、素直に向き合うような無邪気さが感じられる。少なくとも、殺人を犯すようなやつには見えないが————。

「本当にありがとう。しかもこんなに早く見つけてくれるなんて」

「いいえ。喜んでくれるといいですね、彼女さん」

「うん。本当はサプライズのつもりだったんだけど、昨日、うっかり話しちゃってさ」

 照れたようすで、三柴は言った。「すごく楽しみにしてたから、絶対に喜んでくれると思うよ」

「そうですか」

「それで、お礼のことなんだけど————」

「あ、いいんです。お金の方は」

 本村はやんわりと言った。「ただ、お金を頂く代わりに、話を聞かせてほしいんです」

 三柴は、すぐにぴんと来た。

「もしかして、こないだ郷葉大附属病院であった事件のこと?」

「え、なんで分かるんですか?」

 本村はぎくりとした。

「祐也から聞いたんだよ」三柴は微笑んだ。「君たちがその事件のこと調べてるって」

「ああ、なるほど」

 三柴は、ギター・ギャンの箱を覆い隠すように前のめりになった。

「で、どこまで進んでるの?」

「三柴さんって意外とノリいい人なんですね」

 大槻が言った。

「え、そうかな?」

 意外な言葉に、三柴は少し戸惑っていた。そのような評価は、これまであまり受けたことがない。自分はおそらく、運よく陽気なノリの中にいるが、場を盛り立てる技術は持ち合わせていない方だという自覚がある。

「三柴さんが、被害者の須藤茉莉子さんとお付き合いしていたことと、須藤さんの死亡推定時刻に志保さんとバーにいたってことは、分かってます」本村は説明した。

 ぞわり、と、三柴の胸はざわめいた。本村は続けた。

「そのバーが人目につかない半個室のある店で、三柴さんがほんとにずっと滞在していたのか疑わしいってことも、分かってます」

「その調査結果だと、怪しいのは僕ってことになるね」

 気持ちを切り替え、共に思考する構えを見せながら、三柴は言った。

「そうですね」

「困ったな」

 三柴はのんびりと考えた。「志保や店のマスターの証言を信じてくれないとなると、僕にはアリバイを証明できるものが何もないんだよね」

「すっごいお酒飲んでたって、志保さんから聞きました」大槻が言った。

「そうそう。だから途中から何話してたのか、どう帰ったのかも覚えてなくてさ」不甲斐ないという風に、三柴は頭を掻いた。

「お酒好きなんですか?」本村は聞いた。

「ううん。特別な食事のときに、軽く飲む程度。でも、あの日は、ちょっと————」

 三柴は酒に浸る前の、まだ鮮明だった頃の記憶を思い返していた。「須藤さんと、いろいろあってさ」

 本村たちは無言で続きを催促していた。

 何があったんですか? とは求めない、その、慎ましくねだる姿に可笑しさを覚えながら、三柴は、おもいきりよく話し出した。

「祐也って、頼りになるけど、時々的外れなことがあるんだよ」

「越水さんが?」本村は言った。

「そう。須藤さんね、二股かけてたらしいんだ。そもそも、僕に須藤さんを紹介してくれたのは祐也なんだけど、あいつ、須藤さんが亡くなったあとで、『二股なんて知らなかった』って謝ってきて。でも、それって嘘なんだ」

「嘘?」

 大槻は怪訝な顔をした。

「殺される前に、須藤さんが僕に正直に話してくれたんだよ。祐也に、『傷心して参ってる友だちがいるから付き合ってやってくれ』って頼まれたって。その時須藤さんは、自分には恋人がいるからって断ったらしいんだけど、祐也は、『演技でいいから』って。確かに僕、あの頃は前の彼女といろいろあって参ってたけど、そんなことまでして新しい恋人を用意してくれなくてもいいのにね。そのうち、須藤さんの気持ちが本当に僕の方に傾きはじめて————。須藤さんは罪悪感で、すべてを打ち明けてきたんだ。もう一人の恋人との関係はきちんと清算するから、時間をくれって。あの日はそれがショックで、ついヤケ酒になって————。志保にはいろいろと愚痴ったと思うけど、祐也が裏で手を回してたことについては話してない。多分。僕が酔って口を滑らせてなければね。……それで、僕が思うのは————」

 三柴は気まずそうにうつむいた。「須藤さんは、もう一人の恋人に別れ話を切り出して、それで、殺されたんじゃないかって……」

「ほんとに好きだったんですか?」

 倉沢が言った。棘のある言葉を発しながら、まるで自分が刺されたとでもいうように、椅子の背もたれに体を預けている。「殺された看護師さんのこと」

「え……」

 鋭い指摘に、痛みを感じなかった。

 三柴はただぬるりと、尖った言葉を瑞々しい両手で受け取り、溶かすように胸の内に収めていた。

「好き……だった。ほんとに。『だった』っていうのは、もう死んでしまったからとか、新しい人ができたからとかじゃなくて————。ほんとに愛してたんだよ。二股のこと、聞かされるまでは」

 うつむく三柴の姿は、哀しい水のようだった。

 はつらつとした身肌は、瞳の奥まですいを保つように透きとおり、ただの一滴でしかいられないと、侘しい震いに揺られている。

「聞きたいです。今の彼女さんのこと」

 本村がひたりと、三柴の至安な部分へ触れた。

「どんな人ですか? 三柴さんの彼女」

 うきうきと楽しそうに、大槻もたずねた。

「うん……僕と似てる、かな? 見た目じゃなくて、嗜好的な部分がさ。食べ物の好みなんて特にそう。品があるのに大らかで、ぱっと見は物静かに見えるけど、すごく前進思考。それから————」

 彼女も、何かが欠乏している————。

 そう、確信したはずのことを噛みしめながら、三柴は、二人の先行きを模索した。それから、本村たちへ改まった笑みを向けた。

「まだ祐也には報告してないんだけど、僕たち、結婚することになったんだ」

「ええ! ほんとですか?」

 本村は口をあんぐりとさせた。

「ほんと、これ、昨日本村君と別れたあと、急に決まった話でさ。指輪も何もまだだし。でも、すぐにでも籍入れたいと思ってる」

 三柴から漂う雰囲気がふと、腰の据わった、知的で余裕あるものへと変わった。

「越水さんにはまだってことは、志保さんには、もう報告したんですか?」大槻がたずねた。

「うん。ついさっき。でも、あんまり喜んでもらえなかった。ほら、ああいう事件があったあとだし。僕、だめなやつだし」

 うずくまるように、三柴は話し出した。「僕たち、子どもの頃からの幼なじみとかじゃなくて、高校からの付き合いでさ。その頃、僕、今考えると頭おかしいって思うくらい食事の節制してて。なんとなく、それをするのがストレスだってことは分かってるんだけど、それをしないのもストレスっていう抜け出せないところにいて。それがさ、祐也たちと出会って、だんだん解放されていくような気がしたんだ。ああ、こいつらと一緒なら、食べたいもの、食べようかなって。仲間でいようとか、絆を深めようとか、そういうのはなかった気がする。多分、向こうも。『親友』って呼ぶのはちょっと情熱的過ぎてて、知り合って結構最初のうちから、否定と肯定を同時にしてくれる、家族みたいな存在だった。だから、結婚のこと、祐也たちにはただの報告だけじゃなく、ちゃんと認めてもらいたいって思ってるんだよ」

「似てるんですか?」

 三柴の心模様を透かし見るように、本村はうっすらと目を細めた。

「え?」

「越水さんと志保さん。三柴さんのご両親に似てるんですか?」

「ううん。ぜーんぜん!」

 あっけらかんと三柴言った。「両親は、僕が小さいときに病気で亡くなってるんだけど、二人共すごい仕事人間でさ。あんまり、家庭的でも子煩悩でもなかった気がする。でも、今思うと不思議なくらい、その頃の僕ってすごいメンタル強かったんだよ。今は、ちょっとのことで人恋しいって思ったりするのに。当時は子ども心に、自分の親がバリバリ仕事してるってこと理解してて、それが嫌じゃなかった。まあ、『淋しい』って気持ちに鈍感だっただけなんだろうけど。時間ができると、これでもかってくらいそばにいてくれて、甘やかしてくれて————。でもそれが、遊園地に行ってVIP待遇で遊びまくるとか、おもちゃ屋をはしごするとか、金にものを言わせた感じなの。だから、公園で遊んだとか絵本を読んでもらったとか、こう、ほんわかした家庭の記憶は、あんまりないんだ。お金や物で愛情の埋め合わせはできないって言う人もいるけどさ、僕は、限られた時間の中で一生懸命仕事をして、豪快に愛情を注いでくれた両親の気持ちがよく分かったよ。だから、僕にとっては面白くて大好きな両親だったけど、世間一般の手本とは、ずれてたかな。祐也と志保の方が、よっぽど保護者らしいくらい。本当は、休みのうちに志保たち誘って婚約者のこと紹介しようと思ってたんだけど……」

 三柴は、椅子の背にもたれてため息を吐いた。「なーんか気まずくなっちゃったなぁ」

「説得しましょうか? 僕たちが」

 かすかに、迫るように、本村が言った。

 三柴の正面で、うつらうつらとまばたいていたはずの瞳が、光を食らい尽くすかのように爛々と見開かれている。

「説得って……。志保のこと?」

「はい。志保さんが、三柴さんの結婚についてどう言ったかは知りませんけど、喜べないっていう本音と同時に、三柴さんに幸せになってもらいたいっていう気持ちも、絶対にあるはずですよ。志保さん、言葉や態度はクールですけど、優しい人です。そうですよね? じゃなかったら、いくら説明もなしに呼び出されたとはいえ、僕らの探偵ごっこに長々と付き合ってくれたりしませんよ。うるさい僕らの頼みだっていうなら、志保さんも観念して、『ぶあっかじゃない』って言いながら、来てくれるんじゃないですか? 三柴さんはどうですか? 〝家庭の事情〟に関して、家族でも親友でもない僕らなんかに口を挟まれるのは嫌ですか?」

 これは要求だ。

 三柴は少し怖気づいて、〝提案〟という仮面をかぶった要求と、冷や汗も伝わりそうなすれすれの位置で対峙していた。

 受け入れる側のはずが、崖っぷちに立たされているようだ。まあ、初めから、『遠慮してくれ』などと無下に断るつもりもないが————。

〝頼まれたらなんでもほいほいって聞いてやるだろ〟

 ああ、そうか。

 三柴は心の中で苦笑した。

 あいつは本当に、僕以上に、僕の性質を心得ている。

「全然、嫌なんかじゃないよ。ただ、僕の方がお願いしてばっかりで、なんか悪いなって」

「全然、悪くないです」

「周りの人を幸せにするのが趣味なんです。僕たち」磨かれた天使のような笑顔を作って、大槻も言った。

「じゃあ、よろしくお願いします」

 三柴は楽しそうに頭を下げた。

「がんばります」

 本村も寝癖頭を下げた。

 池脇はテーブルの端を見やり、そして目をそむけた。

 倉沢はだらしない口元でスマホに向かっていた。

「ふへ……。へへ…………」

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