15
2XXX年。人類は生殖活動を停止、拒否した。
残された人類の生活維持、幸福維持のため、政府は代替人間製造機関『ホムンクルス』を開放。
こうして、人類は絶滅への快適な100年を歩み始めた。
「んで、『あなたとの関係』を選ぶ」
大槻は横から指示した。本村のスマホの画面には、『家族』『恋人』『友人』『その他』の項目が並んでいる。「メイリスはどれでもないから、『その他』から入力ね」
「え、メイリスは作らないよ」
締まりのない表情で、本村はきっぱりと言った。
「え、そうなの?」
「だってメイリスいるじゃん」
本村は座卓の上を見やった。ピンクのベロア地が張られたアームチェア、背もたれが格子状のシックな木製椅子、滑らかな曲線を描くラベンダー色のカウチ。散らばったいくつものミニチュアの椅子のうちの一つに、栗毛をウェーブさせたメイリス人形は、オレンジ色の身軽なレースのワンピースを着、快適そうに腰かけている。
その隣では、足下にピクシーを敷いたなでしこが、ゆらゆらと体を揺らしたり、考えごとをしたり、うたた寝をする動作を繰り返していた。さらにその向こうでは、倉沢が、融合でもするように座卓に頰を張りつけている。
「じゃ何作るの」
溶けかかった倉沢を放り置いて、大槻は本村に聞いた。
「妹」
「妹だっているでしょ」
「いるけど、折り合いが悪いから、ホログラムで会話の練習」
「いや、なんで家族なのに家族になる練習してんの」
「いや、そんなね、生まれただけで家族になれると思ったら大間違いだよ大槻君」
本村、大槻、倉沢の三人は、久留美にある池脇家の和室に集まっていた。池脇の両親は、旅行からまだ帰っていなかった。
「本村はえらい」
座卓に頰をぴたりと張りつけたまま、片手を丸め、憂げな瞳で爪先を見つめて、倉沢はつぶやいた。
「何が?」
大槻が聞いた。
「先に生まれた者の務めを果たそうとしてる。先に生まれた者は、自分たちの都合のいいように何かを産んだり、造ったりできるけど、後に生まれた者は、それを否定することも、取り消すこともできない。先人がろくでもなかった場合、後人は劣悪な環境で生きるしかない。本村は先人でありながら、妹の人生を豊かにするために、おごらずに歩み寄ろうとしてる。だからえらい」
毛ほども嬉しくはなさそうに、本村は伏せっぱなしの倉沢の頭を一点に見つめていた。
「くらさーさんていろいろ引きずってる人?」大槻は言った。
「引きずってない。世の中が俺を引きずろうとしてる」
嫌気も見せずに、抜け殻のような体勢で倉沢は答えた。
「郷葉ってネイル大丈夫なの?」本村がたずねた。
「平気。うち校則緩いから。制服さえ着てれば髪染めてもピアスしても平気」
「ブリーチしても?」大槻が聞いた。
「平気。緑でもピンクでも。まあ、自然派なやつが多いから、髪染めてるのもピアスしてるのもあんまいないけど」
倉沢はほとんど動きのない表情と口調で語った。それから、頰を張りつけたままで、丸めた左手をなでしこの前に差し出した。
「お揃いだね、なでしこさん」
「本当。素敵ね、穎悟さん」
なでしこは青みがかった瞳でしっかりと倉沢の爪を見取ると、〝好きよ〟とでも言うように、艶のある声音と、まばたきで答えた。
倉沢の薄い唇は満足したように微笑んだ。憂げな瞳は笑わなかった。
玄関の引き戸が乱暴に開かれる音と、廊下を踏む鈍い音がした。
「くっそ混んでた、フルスペ」
襖を開けるなり、帰宅の挨拶もなしに池脇は言った。池脇は、先ほど白熱しないじゃんけんにあっさりと負け、コンビニ兼弁当屋兼ドラッグストア、フルスペック
「誰だよ連休中はフルスペ空いてるとか言ったやつ」
池脇はぼやきながら、雑誌と、椅子と、プロジェクターの散らばった座卓の上に、どさりと気遣いなくフルスペック36の袋を置いた。
「俺」
慌てることなくピクシーを手のひらに避難させ、起き上がると、倉沢は答えた。「うちの近所のフルスペはそうなんだけど。久留美のは知らない」
池脇は座卓の前に仁王立ちのまま、大柄な体と表情をこわばらせた。
「おいそこの割り箸うちの敷居跨いでんじゃねーよ」
「まあま。てつみち」
大槻がなだめながら、袋から取り出した食料を甲斐甲斐しく座卓の上に並べた。
池脇は薄っすらと倉沢をにらみつけながら腰をおろすと、胡座をかき、購入した弁当を自身の前に引き寄せた。本村も、梅干しのおにぎりに手を伸ばした。
「俺お茶でいい」
手乗りの妻を間近に見つめながら、さらりと倉沢は言った。
唐揚げを口にはこぼうとしていた池脇の顔が、みるみるうちにしかめっ面に変わり、箸を持つ手がおもむろに下ろされた。大槻は見ず聞かずのふりをして、菓子パンの袋に手を伸ばした。
「あ、にゅいちゃんだ」
おにぎりを食べながら、本村が呑気に発した。手前に置かれた弁当のパッケージに、『百夜にゅい』の写真が写っている。
「へー。ラジオとのコラボ企画なんだって」
大槻は手近にあった弁当を引き寄せ、読み上げた。「『百夜にゅいの真夜中のミッドナイト深夜メシ☆みんなの深夜メシをポストしてね☆』だって。ほれ、てつみちのにも」
大槻は池脇が放り出した弁当のふたをひっくり返して見せた。
「かっわいーよねーにゅいにゅい」
弁当のふたを薄目で見つめながら、大槻は言った。
「『にゅいにゅい』で合ってんの?」唇を大袈裟に突き出して、本村は発した。
「え、ファンの子が『にゅいにゅい』って言ってる気がする。あと、『
「にゅ…にゅ……」
「この健康志向の時代に夜更かし推奨系アイドルやってんのにゅいにゅいくらいだよねー」
「でも夜更かし楽しい」
うっとりと、本村は言った。「夜中ににゅいちゃんの夜活動画垂れ流しながらカップラーメン二種類同時に食べながらネットしたりゲームしたりメイリスの服整理したりするの幸せ」
「あー分かるわー。にゅいにゅいの動画、作業用に丁度いいんだよね」
「ハッ。何がにゅいにゅいだよ」
畳にだらりと寝そべり、庭先を向きながら、倉沢は言った。「『今宵も始まります☆ 百夜にゅいの〜真夜中の〜ミッドナイト深夜び〜ん☆』。ハッ。『今宵』っていうのは元々『前日の夜』のことだし。『ミッドナイト』は『深夜0時丁度』のことだし」
倉沢は後ろを向きながら、ぶつぶつと続けていた。
本村はおにぎりを食べ終えた。
みそ汁が欲しい。思ったが、口にすればただでさえ苛立っている家主の機嫌を損ねると分かっていた。
本村はペットボトルのお茶を手に取ると、縁側のそばににじり寄り、倉沢に差し出した。
「で」
本村は言った。
「倉沢君は誰を犯人にしたいの?」
倉沢は寝転んだままペットボトルを受け取った。
そして、本村の顔を見上げた。
この男のことはよく知らない。
寝癖頭。無表情。人形が好き。
俺の人生に必要のない男。個性が煩い。理解するのも面倒くさい。
その陽気は話さない。誰をも侵食しない。ただそこに、おのれにとって都合よく咲いている。
あきらめてしまえ。
日陰で暮らせ。光を見るな。罪を犯せ。
強く優しい瞳が、それを許す。
そうか。こんなやつだったのか。
倉沢は鈍い動きで起き上がると、手にしたペットボトルを見下ろした。
「身長一七六、七。おっさん、メガネ、白髪混じり」
一語一語、丁寧に、置いてゆくように、本村は言った。ぴくりと、倉沢の瞳が揺らいだ。
「
「倉沢君の調査対象はこの人だよね?」本村は言った。「事件が起きた夜、お父さんが仕事を終えて病院から出てきたところを尾行するために、外で張り込んでたんだよね?」
倉沢は黙っていた。
「でもあの夜、倉沢さんのお父さんは出勤じゃなかったんだって」大槻は言った。「宵の口から、ホテルで不倫相手といちゃこらしてたって。だからあそこで待ってても、証拠はつかめなかったと思うよ」
倉沢は薄ら笑んでいた。
「それで、証拠がつかめなかったから、偶然遭遇した殺人の疑いがお父さんに向くように、でたらめな証言をした?」本村は聞いた。
「警察に詰められたら、本当のアリバイを証言するしかなくなるもんな」池脇は言った。「それで父親の不倫を暴いてやろうって?」
倉沢はゆっくりと首をまわし、陰鬱な目で池脇を見た。
くすんだ畳、ブレザー服、初夏の日差し。
ジュブナイルやノスタルジーを彷彿とさせる構成。だがその画は、怪奇映画のワンシーンのようだった。
「こけこっこー」
「は?」
池脇は顔をしかめた。
「お前、ニワトリかよ」
倉沢は言った。「もし俺が誰かに大怪我させられたら、不倫を暴くとかそんな生ぬるいやり方じゃなく、そいつのこと、どうやって追いつめてやろうか、そいつの人生どうやって終わらせてやろうかって、もっと重い復讐方法考えるけど」
「それはつまり」
本村の瞳が、倉沢を刺した。「自分のお父さんが、冤罪で捕まればよかったってこと?」
倉沢は、舐めた目つきで本村を見返した。
陰鬱な空気、薄情な笑み、鋭利な言葉————そのどれよりも、正直な。
「俺んち、絶賛家庭崩壊中」
朗報でも語るように、倉沢は言った。「うちじゃ、必要最低限なこと以外、誰も言葉を交わさない。顔も見ない。お互いにお互いのこと、軽蔑して、毛嫌いして。でも、相手の肩書きと、金と、自由と、体裁がいい。どんなに外で遊ぼうと、夫は腕のいい外科医師。どんなに散財しても、妻はやり手の経営者。どんなに陰気で、かわいげがなくても、息子は成績優秀な郷葉生。好き勝手やっても、誰もそれを咎めない。誰も家庭を求めてない。うまみがあるから、生身の人間同士で、冷えた家族ごっこをしてる。もう完全にバグってんだよ。今更誰の不倫がバレようが家庭に波風は立たない。いいよな。先に生まれた人間は。好き勝手やって、散々楽しんだ挙句、後の人間を造って、『はい、ここで生きなさい』って。短絡的なんだよ。結局、自分のことが一番大事なくせに。後悔させてやりたかったんだよ。こんなもの、造るんじゃなかった。何も残すんじゃなかったって」
それに手をつける気にはなれなかった。
池脇と大槻は、その男が、へたばって動くことのできない泥人形のように思えた。
薄い肩。垂れた髪。暗い瞳。
お前は間違っている。そう言い聞かせ、ねじ伏せることができるだろう。押し黙らせること、力で抑えつけることも。抵抗さえしないだろう。だが、申し訳程度に備わった心の中で、薄ら笑んでいる。
お前は間違っていない。良心的なふりをして、手を差し伸べることもできるだろう。頷くこと、何かを分け与えてやることも。だが、受け取ったふりをして、自然な流れのように、くずかごに落とすだろう。そして、心の中で薄ら笑む。
どんな言葉も、行動も、必要としていない。
ただ、最低限の苦渋で、終わりが来ればいいと————。
非力な強さだった。
引きずられ過ぎてしまっては、立ち上がることなどできはしない————。
「でも、あの日犯人を目撃したのは偶然のことだったんだよね?」
本村が言った。「それまでは、普通に、不倫の証拠を押さえるために尾行しようとしてたわけでしょ? 不倫の発覚が倉沢君の両親にとってダメージゼロなら、証拠をつかんだとして、そのあとはどうするつもりだったの?」
「さあ」
茶を飲み、貧相な庭に目をやりながら、倉沢は言った。「弱み握っとけば、いつか役に立つかなって」
「倉沢君、須藤茉莉子と犯人らしき人物を目撃したとき、二人は『睦み合ってた』って言ったよね? それもお父さんを陥れるための嘘?」
「いいや。それは本当」
「でも、越水さんが目撃したとき、二人は言い争ってたって」
「越水が見たときは、そうだったんだろ。俺が目撃したのはそれよりもあとだし。仲直りしたんじゃないの」
「越水さんが二人を目撃した『一時十分頃』っていう時間は、病院の職員用玄関の出入記録を基に、駐輪場を経由して、遺体発見現場に着くまでの時間を計測して割り出されたんだって。でも、倉沢君のは『一時三十分きっかり』だよね?」
「だから前に言ったじゃん。時計見たって」
「でも、倉沢君、時計してないじゃん」
「は? 面倒くさい。スマホ見たってことだよ」
本村は一層、倉沢ににじり寄った。倉沢は後ずさりそうになるのを、一瞬の判断でこらえた。
「倉沢君、百夜にゅいちゃんのファンなの?」
「は?」
「ファンなの?」
「別に。どっちかっつーと嫌い」
鋭い瞳が、もう、結果を予期しているかのように、艶かしく笑っている。
本村は、ひたひたと押し迫るような興奮を脳裏で遊ばせながら、言った。
「『今宵も始まります☆ 百夜にゅいの〜真夜中の〜ミッドナイト深夜び〜ん☆』」
倉沢は顔をこわばらせた。それから、少し苛立ったように言った。「何?」
「倉沢さん、にゅいちゃんのラジオはね……」
大槻が、静かに言った。「『ミッドナイト』って銘打ってる通り、ちゃんと深夜0時に放送されてるんだよ」
倉沢は不可解そうな顔をして、押し黙った。
「『真夜中のミッドナイト』。これが深夜0時に放送される、にゅいちゃんのレギュラー番組」本村は言った。「でも、月に一度だけ、一時三十分から特別編成の番組が放送される。それが『真夜中のミッドナイト深夜便』」
倉沢ははっとした。
「倉沢君、その時間は病院で張り込みしてたはずだよね? なんで知ってるの? 『深夜便』のこと」
「ネ、ネットで見た……」
「でも、『今宵も始まります☆』のフレーズは、実際にラジオを聴いてないと分からないよね?」
「リ、リアルタイムじゃなくて、聴き逃し配信で、聴いたかも……」
「わざわざ? にゅいちゃんのこと『どっちかっつーと嫌い』なのに?」
「ちがう、アレだ! 病院の前で張り込みしてるとき、暇だったからラジオ聴いてたら勝手に流れてきた」
「んなことしてたらマルタイに気づかれんだろ」池脇が言った。
「ばかだなイヤフォンがあんだろ」
「でも、くらさーさんイヤフォン失くしたんでしょ?」大槻が言った。
「イ……」
倉沢は固まっていた。
「一時三十分に、倉沢君が病院の前、しかも被害者と犯人をそばで見張りながらにゅいちゃんのラジオを聴くのは不可能だよ」本村は言った。「ほんとはその時間、どこにいたの?」
「……家」
ぽそりと、倉沢は言った。
「はあ? じゃあ、病院には行ってねーのかよ」池脇は言った。
「行ったよ! 行ったけどすぐ帰ってきた」
「何時に二人を見たの?」本村は聞いた。
「一時十五分」
「どうして嘘ついたの」大槻がため息をついた。
「俺の父親は」
倉沢はまた、勿体ぶるように一同の視線を収集していた。そして、言った。
「サイボーグなのだ」
池脇は箸を取り、弁当を食べ進めた。大槻はカップ麺を手に取った。「てつみち、お湯もらってい?」
「ほんと! ほんとなんだってば!」
倉沢はすばやく座卓に戻って訴えた。「あいつマジやべーよ! 病院でオペやって学会だのなんだの行ってジム行ってゴルフ行って浮気相手とホテルだの温泉旅行だの行って家でも勉強して、深夜にしっかりリアルタイムで百夜にゅいのラジオ聴くんだよ! キモいだろ!」
「すげー、スタミナだね……」カップ麺のふたを剥がしながら、大槻が言った。
「だろ? 事件があった日も、俺が家に帰ったら、すぐあとにあいつも帰ってきて……。あいつ、風呂にも入らず着替えもせず書斎にこもって、何してんのかと思ったら、聴いてたんだよ、そのラジオを。でも、事件のことを知ったとき、丁度いいって思った。あの夜、ババアは家にいなかったし、あいつが家にいること知ってるのは俺だけだったし。だから一時十五分の目撃証言を、あいつのアリバイを〝無かったことにできる〟一時三十分にずらしたんだよ。あいつばかだろ。ラジオ聴くために早々とホテルから帰ってきたせいで、自分のアリバイ証明できなくなるなんて。しかもそれを謀ったのが、自分の息子だったなんて!」
倉沢は楽しそうにぺらぺらと語った。
「佐野さん、怒るだろうね……」
大槻は言った。
「痛い目見りゃいいんだよ、こいつはよ」
池脇は突っぱねた。
本村は尚もにじり寄った。
「もし、睦み合う二人の人影を見つけたとき、その片方を、とっさに、お父さんだと勘違いしたとするよね?」
ここに来て、隠すものなどなかった。
だが倉沢は、戦慄にも似た難問にぶち当たったように、思考を絡ませ、停止させていた。
「マルタイを見つけたなら、探偵が取る行動は一つでしょ?」
そう言われ、倉沢は、囚われていた何かから解放されたようだった。
動揺を前髪の中にひた隠しながら、倉沢は言った。
「なでしこさん、アルバム見たい」
「どのアルバム?」
瞬時に倉沢を見据えて、なでしこはたずねた。
倉沢は言った。
「『調査ファイル』」
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