「ばっかじゃない」

 米山よねやま志保しほは平手でもぶつように言った。「あんた本気で広睦が人を殺したと思ってるの? それどころか、今までの人たちも?」

 本村、池脇、大槻、そして倉沢は、『事なかれ』という風に存在を抹消することに努めていた。

 越水に呼び出された、晴れた休日のブランチにはうってつけのオープンカフェ。着席して早々、本村たちは外の開放感に身を委ねることも、寛ぐことも叶わないのだと悟った。

 米山志保はカットソーにジーンズ、手荷物はスマホのみというラフな出で立ちでやって来た。肩にかかる、まっすぐ過ぎるほどストレートな髪。背はすらりと高かった。

「志保、一応、あいつの名前は伏せてるから」

 昨日、本村たちと対面したときよりも弱気な口調で、越水は言った。

「なんで? あんた私の顔も名前もこんな見ず知らずの高校生の前に晒し上げといて、広睦のことは守るわけ?」

「だってあいつ、容疑者だし……。よくない噂とか流されると————」

「甘やかし過ぎなのよ」

 志保はぴしゃりと言い、越水から顔を背けた。「話聞きたきゃ広睦を連れてくればいいでしょ? おかしいと思った。ラーメンも串焼きもない店に昼間っから呼び出すなんて。カフェだって。カフェ。しかもオープン。あんた一度でも私の希望優先してこんなおしゃれな店に一緒に入ってくれたことあった? どうするの? ノルマンド? コンプレット? それとも『ラーメンありますか?』って聞いてあげようか」

「だからごめんて。説明も無しに呼び出したのは悪かったよ。でも、あいつ酔っ払ってなんにも覚えてないんだろ? 呼んだってしょうがないじゃん」

「…………。そうだった……」

 志保はあきらめたようにサイダーを口にした。「はーあ。今日って何曜日?」

「木曜」

「ふーん。曜日感覚ないな。もう」

「いい身分だな」

「そろそろ働かなきゃな」

「うちで管理栄養士募集してなかったかな」

「やだ。あんたと同じとこなんて」

「選り好みしてるとそのまま貯金尽きるぞ」

「余計なお世話」

「あの」

 身を縮こまらせながら、本村が申し出た。「いいですか。お話聞いても」

「ああ、ごめんごめん」

 越水は少し慌てて、ようやく本村たちに顔を向けた。

「あんた忙しいんでしょ? 何してんの? この子たちとどういう関係?」怪訝そうに、志保は越水にたずねた。

「この子さ、俺と同じ目撃者なんだよ」

 越水は、志保の向かいで毒を得るようにアイスコーヒーを吸引している倉沢を指した。

「ほんとに? 見たの? 看護師さんと一緒にいた人の顔」興味津々で、志保はたずねた。

「まあ、ぼんやりと」僅かな気力で、倉沢は答えた。

「白髪混じりでメガネをかけた身長一七六センチくらいのおじさんってとこまでは、分かってるらしいですよ」本村が言った。

「おじさん? 祐也が見たの、もっと若い人じゃなかった?」志保は聞いた。

「そうだけど……。ほら、俺らから見たおじさんと、高校生から見たおじさんって、感覚がちがうじゃん? そういうことじゃないの?」

「ああ……」

「ホワイトメッシュ入れた若者だった可能性もありますよ」いきいきと、大槻は言った。

「……なるほどね」

 言って、志保はぼんやりと考えだした。

「事件が起きた時間、その広睦さんて方と一緒にいたのは本当ですか?」

 本村はたずねた。

「うん。ほんと。よく行くバーなんだけど。店のマスターもちゃんと覚えててくれたよ」

「バーって、普通に画像検索して最初の方に出てくるバーですか?」

「え?」

「僕たち高校生なんで。そこんとこ詳しく分からなくて。古い探偵ドラマとかだと、カウンターがあって、そこで探偵と情報屋が隠密なやり取りしたりするじゃないですか。そういう場所ですか? それとももうバーの概念がぶっ飛んでてサイバーでエキセントリックでいるだけでスパークしそうな場所ですか?」

「いや、えっと————」

 勢いづいた本村に少し圧倒されながらも、志保は冷静に答えた。「そこまでうるさい店じゃないけど————でも、昔ながらのレトロなバーでもないかな。おしゃれで静かな感じ」

「ほお」

「夢が広がるね」大槻は言った。

「広睦さん、一度も店を出なかったんですか?」本村はたずねた。

「一度だけ出たよ。風に当たりたいって言って。でもすぐ戻ってきた。病院に行って戻ってこれるような時間じゃなかったよ」

「広睦さんと、どんな話をしたんですか? あ、言える範囲でいいので」

「言える範囲ねえ……」

 志保は深い息をつくと、小難しそうな顔で話し出した。

「その……広睦が……。お付き合いしてた、須藤っていう看護師さんとね」

「はい」

「もうだめかもしれないって、話をしたの」

 開放的なカフェが、重苦しい閉鎖空間へ変わったようだった。越水は何もかも知りつくしたような険しい表情で、黙って志保の話を聞いていた。

「祐也に紹介されて、今度こそって、順調にやってきてたのに、突然向こうが、自分の浮気を打ち明けてきたんだって。でも、どうしてもそれを許せなくて、別れるべきかどうかを悩んでた。それでお酒を飲みまくって、最後の方は、もう会話になってなかったけど」

「じゃあ、広睦さんは知ってたんですね。須藤さんが、同僚の看護師さんと二股かけてたこと」

「そうみたい。広睦が私を飲みに誘うときは、大抵そういう話のときなの。あいつ、子どもの頃に両親を病気で亡くしたり、付き合ってた人を事故で亡くす経験してるから————。大切な人を失うって、誰にとっても悲しいことだけど、あいつにとってはもっと————恐怖っていうか、トラウマみたいなものなの」

「その人の周囲でそれだけ人が死んでて、今まで少しも疑わなかったんですか?」

 倉沢が容赦なく言った。

 志保にとって、それは『くだらない質問』だった。だが、大槻が「くらさーさん」とたしなめかけたとき、志保は陰気で無礼な高校生相手にも、冷静な対応をして見せた。

「疑うも何も。事故だったんだから。警察の調べだってついてるし」

 倉沢はなじるような目で志保を見ていた。だが、志保が毅然とした目つきでそれと向き合うと、自身の長い前髪に閉じこもるように、あっさりと視線をそらした。

「詳しく聞いていいですか? 亡くなった人たちのこと」

 説教を食らわぬよう、控えめに本村はたずねた。

「……最初は、高校の先輩だった」

 表情を曇らせ、志保は話し出した。「演劇部の人だったんだけど、練習中、舞台のセットから落ちて。その次がバイト先の先輩。自転車で交通事故に遭って」

「その次は大学の先輩」越水も話し出した。「遊びに行った海で溺れたって。ミスキャンパスで、すごくきれいな人だった」

「今の会社の最初の部署で教育係だった人は、エスカレーターで足を踏み外して」

「結婚式の二次会で知り会ったどこだかのお嬢さんは、アレルギーのあったナッツを誤食して、アナフィラキシーショックでそのまま」

「で、亡くなった看護師さん」

 池脇と大槻は、洒落たテラスで六つの死を想像し、考えていた。

「高校の先輩が亡くなったときのこと、詳しく聞かせてほしいんですけど。泊さんでしたっけ?」本村は言った。

「……なんで名前知ってるの」

「あ、俺が話した」越水は言った。

「あんたってほんと……」

 志保は呆れ顔を浮かべると、粛々と話し出した。

「先輩は、男女問わずみんなの憧れだった。『八丘高校のとまり涼香すずか』って、多分、十五年くらい前に学生演劇観てた人なら、誰でも知ってるんじゃないかな。しょっちゅう物失くしたり、忘れ物したり、ちょっと天然な人だったけど、でも、舞台に上がると人が変わるみたいだった。事故のあった日は、夏休みで————。演劇部は、朝から練習してたの。『ヴァスロヴィック』っていうSF劇。その時、私と祐也は文化祭の実行委員で、私は演劇部の部長に用があったから、午前のうちに演劇ホールに行ったんだけど、その時にはもう、舞台の上に立派なバルコニーのセットが設営されてて、顧問の先生や裏方の人たちが、ちゃんと安全のチェックをしてた。そのあとのことまでは見てないけど、午前の練習は、問題なく終わったって聞いた。泊先輩もバルコニーに立って、普段通り練習してたって。それからお昼に、ねえ?」

 志保は越水の方を見た。越水は言った。

「外のベンチで、その————広睦と泊先輩が一緒に弁当食べてるのを、俺と志保でたまたま校舎から見たんだ」

「揉めてたようなようすは?」本村はたずねた。

「いいや。まったく」

「いつまでも付き合って一ヶ月みたいな仲良しぶりだったよ。ケンカすらしたことなかったんじゃないかな」志保は言った。

「昼休憩が終わって、演劇部の練習が再開する頃に、俺も用があって演劇ホールに行ったんだ」越水は言った。「泊先輩に、写真頼みに」

「写真?」

「そう。文化祭のパンフレット用の。前もって必要な写真は全部撮り終えてたんだけど、泊先輩の大きい写真が欲しいって委員会から急な要求があって、それを撮らせてもらうために」

「その時の、泊さんのようすは?」

「いつもと変わらなかったよ。急なお願いだったけど、快く引き受けてくれて。泊先輩、舞台に立つときは堂々としてるのに、写真は苦手だったんだ。みんなの前じゃ恥ずかしいからって、わざわざ空き教室まで移動してくれて。その教室に、夏休み明けに各クラスに配る予定だったクラスタオルがあったんだけど、こっそり使うから、自分の分だけ今すぐもらえないかって頼まれた。普段そんなわがまま言う人じゃないから、不思議に思ってどうしたんですかって聞いたら、練習中に使う自分のタオル失くしたんだって。ほんと、彼氏に負けず劣らずの天然な人だった。俺が泊先輩と話したのは、それが最後だよ」

「そのあと、先輩はホールに戻って、練習を再開して————」

 志保は暗い表情を浮かべた。「バルコニーに上がって、台詞を何個か言って。手すりの方に歩み出た途端に、足場が外れたらしいの」

「三メートルにも満たない高さだったらしいけど、打ち所が悪くて、それで……」

「昼休憩中に、誰かがホールに侵入してセットに細工することは?」本村はたずねた。

「無理だったと思う」

 口を軽くとがらせ、志保は言った。「今はどうか知らないけど、私たちがいた頃、演劇ホールは控え室含め全面飲食禁止だったの。飲み物すら一切禁止」

「ええー? 絶対喉渇くじゃないですか。激しい稽古とかしてたら」大槻は言った。

「うん、でも、あの頃はそうだったの。だから演劇部の子は、休憩時間になると全員ホールを出て、空き教室や校庭に行ってお昼を食べてた。ホールには、本校舎に繋がる一階のメインの出入り口の他に、三階の出入り口と、裏口があって————。その二つの出入り口は、行事や搬入があるとき以外は、基本的に常時施錠してあったらしいんだけど、昼休憩に入る前にも、部員の人たちがちゃんと施錠を確認したって。それから、中に誰もいないことを確認して、最後に部長が、一階の出入り口の鍵も締めたの」

「完全な密室!」

 大槻は深刻そうな顔を作って言った。

「にしてはでか過ぎるけどな」

 池脇がため息のように言った。

「まあ、でも、ほんとにそういうことなの。昔、開けっ放しにしてそれぞれお昼を取りに行ったら、興味本位で覗きに来た生徒に小道具を壊されたことがあって、それから厳重になったらしいの。だから仮に、ほんと仮によ? もしも泊先輩が事故じゃなく、誰かに殺されたんだとしたら、セットに細工ができたのは、練習中、それもバルコニーのシーンが済んだあと、それに近づくことができた部員の中の誰かってことになるの。広睦はもちろん、部外者には無理な話なの」

「妬み————ですかね?」

 知的な表情になって、大槻は述べた。「泊さんの役を奪うため、花形ポジションに成り上がるため、とか」

「たかが高校の部活だろ?」池脇は言った。

「分かってないなあ、てつみち。その頃のヤオ高っていったら、高校演劇の全国大会常連校だよ? そこから声がかかって、プロになる人だっていたんだから。いくら普通校にシフトしたとはいえ、元演劇学校ならOBとのパイプも太いし、『現役高校生』、それも『八丘高校』はブランド力強いし、単なる部活動じゃなく、在学中に結果残そうと執念燃やしてた部員は少なからずいたと思うよ」

「やけに詳しいのな、お前」

「うち、花学はながく。ここ何年かでうちの演劇学科に進学してきた人たちは、大体ヤオ高から流れてきた人が多いんだって。情報はなんとなくね」

「セットに近づくことができたって話なら、お二人も容疑者ですよね」

 テーブルの向こう側で、ぼそりと倉沢は言った。

「あんた、いい加減にしなさいよ」

 志保は語気を強めた。「客席で部長たちと話してただけの私らに何ができたって言うの。大体、部外者が舞台に上がってセットの周りうろついてたら、誰かが怪しむでしょ」

 志保が話している最中から、倉沢はまた、幕の中に閉じこもった。それから、スマホをいじり始めた。

 それを見て、志保も思い出したようにスマホを手に取った。「泊先輩の顔見たい? 写真、あるよ」

 本村はスマホを受け取った。映っていたのは、学校のグラウンドでの集合写真だった。その中には、制服を着た志保と越水の姿もある。

「これが、泊先輩。こっちが広睦」志保は指差した。

 泊涼香は、写真の中でも一際目を引く美女だった。着飾った派手さはなく、おっとりと微笑む表情は高校生にしては古風で大人びており、長い髪は演出のように風になびいていた。隣に立つ、トラックジャケットを着た三柴広睦も、それに見合うほど端麗な顔立ちをしていた。からりと笑う顔は朗らかで、どこか純朴さが漂う。三柴の腕を、明るい茶髪を二つ結びにした女生徒がつかみ、寄り添っていた。

「この人は?」

多部たべ愛理あいり。一個下の後輩。広睦のことが好きだった。勝手な想像じゃないよ。本人がそう公言してたの。泊先輩がいることなんかお構いなしで、いつも広睦にくっついてた。帰宅部なのに、夏休み中もよく学校に来て、ケータイいじったり爪いじったりしながら陸上部の練習見てて。確か————」

 志保は、眉をひそめて越水を見た。「この子も学校にいたよね? あの、事故があった日」

「来てたけど、多部ちゃんはずっとグラウンドにいただろ?」呑気な調子で越水は言った。

「なんであんたが知ってんのよ」

「陸上部のやつらが言ってたんだよ。昼休憩のとき、広睦が泊先輩と弁当食べにグラウンドを出たあとも、多部ちゃんはずっと残って陸上部の休憩に混じってたって」

「ふーん」

 志保は白々とした目を越水に向けていた。

「この人、今どこにいるか知りませんか?」本村はたずねた。

雛町ひなまちのネイルサロンで働いてるって聞いたけど」志保は言った。「いまだに広睦に、『先輩遊びに行きましょお〜』って、くっついてくるらしいよ。望みないの、分かりきってるのに」

「分かりきってるんですか?」

「うん。どんなに可愛いかろうが、性格よかろうが、広睦は年下には興味ないの」

「あいつもはっきり断ればいいのに、『飯くらいなら』って、相手しちゃうんだよ」呆れ顔で、越水は言った。「ほんと、罪作りなやつ」

「人を傷つけること、できないのよ。相手の気持ち、推し量りすぎなの。無理なことは無理って断りなさいって、いつも言ってるのに」

「でも、ピュアなやつだからな。善意の気持ちが強すぎて、案外それほど嫌とも思ってないかもな」

『三柴は絵に描いたような好青年でさ』

『嫌な顔一つせず、結構失礼な質問にも愛想よく答えてくれて』————。

 佐野と相原の三柴に対する所感を、本村たちは思い出していた。

 本村は視線を落とし、考えながら、無意識のように志保にスマホを返していた。

 浮き彫りになった広い肩。穏やかな風にそよぐ寝癖と、思索に耽る、澄んだ瞳。

 スマホを受け取りながら、志保は本村の外見を、初めてしっかりと見取った。そしてその没入のような思考を、遮るまいとした。

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