「正しい」

 本村はうなった。「未来ある者、学修する者のあるべき姿」

 郷葉大附属高校。学問、スポーツ、芸術、IT、国際交流などのあらゆる分野に精力的に取り組み、成果を挙げている、高水準のオールラウンダー輩出校。

 生徒たちが身につけている鉄色のネクタイと灰緑色のスクールバッグは、岩月市内ではある種の特権を有している。文武両道を皮肉られることはない。スパルタと憐れまれることもない。早々と佳麗なキャリアを獲得し、青春を謳歌しているのだろうと、だんまりの羨望を浴びせられる。

「うん。学園ドラマの背景感がすごい」

 大槻は言った。「派手なBGMと共にスローモーションでメインキャスト勢が出てきそう。そして歓声と人だかりができそう」

 放課後の校門を、生徒たちが和気あいあいと通り抜けてゆく。その度に、生徒たちは門前に佇むグレーの学ランの本村と池脇、Tシャツにジーンズ姿の大槻を一瞥した。

「学校案内のサイトとかの、実際このライティングで?この表情で?こんな風に語らう?っていう写真、地で行ってる。嘘偽りない。彼らの生活にA判定出したい」本村は器用に瞳だけを輝かせていた。

「ヤンキーものじゃねーんだからよ」

 ヤンキーものの風体で、池脇は言った。「わざわざ校門で待ち伏せしなくたっていいだろ」

 池脇は、A判定を押された栄々しい生徒たちの視線が痛かった。

「校門って待ち伏せするためにあるんじゃないの?」流れ来る生徒たちから目をそらせないまま、本村は言った。

「そうだよ。でも今時誰も喧嘩売りに来たなんて思わないよ。誰かの知り合いかな?くらいに思うでしょ」大槻は言った。「ていうか『喧嘩を売る』っていう行為がもはやローファンタジーだよ。誰が売ってんの。どこに需要あんの。なぜ売れると信じてるの」

「健康で動物的だから」

 さらりと言うと、本村はくしゃくしゃのメモ紙を学ランのポケットから取り出した。

『身長 平均よりやや高め やせ型 髪黒くて長い 世の中をなめくさった顔をしている』

「佐野さんからのメモ?」大槻が聞いた。

「うん」

「あそこまで話しといてなんで名前書いてねえんだよ」メモを覗き見ながら、池脇は言った。

「そらあ、プライバシーがうんちゃらかんちゃら」

「そうそう。俺ら一応噂を聞きつけてやって来たっていう体だから」大槻は言った。

「背え高めで痩せ型の黒髪なんてテンプレ過ぎんだろ。舐め腐った顔はぜってえ佐野さんの悪意だし。こんなとこで見世物やってたって見つかるわけな————」

「あ」

 本村は小さく発した。

 校門の方へやって来る、一人の男子生徒。

 身長は平均よりやや高め。痩せ型、ゆるやかにウェーブした毛束が頰にかかる長い黒髪、世の中を舐め腐った顔————。

 その足に、ホログラム素材のリフレクターがついた、ブルーブラックのスニーカーが光っていた。本村は呟いた。「ギター・ギャン」

 男子生徒は本村たちを一瞥すらせず、E判定のすれた顔で校門を通り過ぎていった。

 本村は声を上げた。

「それ、90sナインティーズバブルガムボーイシリーズのドライビング×クールミントですよね」

 男子生徒は立ちどまり、壊れかけのような鈍い動きで首を向けた。

 その瞳は寛容ではなかった。逃すまいとばかりに、立て続けに本村は言った。「あの、ここの一年生に、こないだ郷葉大附属病院で起きた事件の目撃者がいるって聞いたんですけど、知りませんか?」

 男子生徒はあからさまな大儀の目で本村たちを見た。平田ひらた高校こうこうの学ラン服、どことも判らぬスモーキーピンクのTシャツとくたびれたジーンズ。特に、本村の寝癖頭を厄介そうに見た。男子生徒は言った。

「教えたら俺になんかメリットあるんですか?」

「ないです」

「じゃあ知りません」

 男子生徒は歩き出した。本村と大槻は、ねばりも見せずに並んでそれを眺めたいた。

 穏やかな日和。生徒たちの声音。模範的な放課後————追いかけたのは池脇だった。

 池脇は男子生徒の肩をつかむと、薄い板切れでも扱うように、軽々とその身を振り返らせた。

 大槻は叫んだ。「てつみち、それはファンタジー!」

「お前だろ。事件の目撃者」

 喧嘩を売るに適正な顔つきで、池脇は言った。周囲にいた生徒たちはどよめき、好奇の目で見物をし始めた。

 男子生徒は煩わしそうに池脇から目をそらしていた。池脇は言った。

「嫁に逃げられたんだって?」

 途端に、男子生徒の物憂げな瞳が見開かれた。

「なんで分かったの?」

 追いかけてきた本村が聞いた。「テンプレなだけかもしれないのに」

 池脇は言った。

「なんかむかつくから」

「やめてください」

 男子生徒は池脇の手を振り払った。「俺、忙しいんで」

 それから、再び背を向けて歩き出した。

「ホムンクルスで奥さんと会えなくなったっていうのは本当?」

 大槻が声を上げた。

 男子生徒は振り返り、じろりと三人の方を見た。

 大槻は返事を待たずに続けた。

「俺も使ってるよ、ホムンクルス。飴子あめこさんと鞭子むちこさんていう双子の教育係作って日々の課題を乗り越えてる。君の言う不具合が本当なら、俺も二人のことが心配だから、詳しく教えてほしいな」

 男子生徒は忌々しそうに唇を噛んで考えていた。それが、見知らぬ三人の来訪についてか、妻との離別に追い込まれた自らの状況についてか、本村たちには分からなかった。

 男子生徒は投げやりな調子で言った。

「完全に、会えなくなったわけじゃない」

 それから、ブレザーのポケットから、黒い円形のプレートを取り出した。「壊れた。プロジェクター」

「あー」

 大槻は呑気に発すると、バックパックの中をさぐりだした。

「何? どゆこと?」

 本村は両の目にしわを寄せた。

 大槻は説明した。

「んとね。ホムンクルスは、自分で作ったキャラクターをプロジェクターを使ってホログラムとして映し出すことができるんだよ。そのプロジェクターが壊れたってことでしょ? ほれ」

 大槻は、白い四角いプレートをつまみ上げ、男子生徒の眼前にかざした。

「なんだそれ」池脇が言った。

「『ピクシー』だよ。小型のホログラフィックプロジェクター」

 大槻は、よく作り込んだ真顔を本村と池脇に向けた。

「今、時代は二つの道に別れようとしている。テーマパークやVRなんかを駆使して、俺らが、現実から切り離された異世界に召喚されに行くパターンと、こういう、ホログラフィーやARを使って、現実にエブリデイマジックを組み込むパターン。どっちもいいけど、俺が見届けたいのは後者の方。魔法って、実はもう存在してるんじゃないかって思える気がして。ワイヤレスで物を動かせたり、飛ばせたりできるなんて、みんな息するみたいに当たり前のことだと思ってるけど、あれはもはや魔法。と、いうわけで」

 大槻は男子生徒に向き直った。

「選ばれし君に、この魔法アイテムを授けよう」

 吊るされた飴玉でも見るように、男子生徒はピクシーを求欲していた。同時に、躊躇してもいた。

「あ、遠慮しないで。俺はもうピクシーのすごさ堪能したし。自分の教育係が二次元のままでも平気だから」

 大槻は調子よくうながした。

 男子生徒はためらいながら手を伸ばした。ブレザーの袖口から、骨張った手首が覗く。本村は脳裏を伝う多幸を感じながら、それを見ていた。

 男子生徒はか細い指でピクシーをつまんだ。

 満面の笑みで、大槻は言った。「じゃ、その代わり、事件の日に君が見たこと、全部教えてくれるよね?」

 それは卑怯だ。池脇は思った。極上の飴玉のような顔をして、痛いだけの鞭を振るう。これが教育の賜物か。

 だが、男子生徒は反発を見せなかった。

 ピクシーを握りしめ、緊張した顔で少し考えると、身をひるがえし、スクールバッグが肩に食い込む細身をとぼとぼと前進させた。

 三人は奇怪に思いながら、尾行のようにそのあとに続いた。


 高校から程近い喫茶店に、男子生徒は入っていった。

 時代の流れから切り離されたような、探偵の似合う、昔ながらのレトロな喫茶店。オールドジャズが、ごく小さなボリュームでかかっている。

 男子生徒が窓際のソファ席についたので、本村たちも流されるようにそこに着席した。

倉沢くらさわ穎悟えいご

 男子生徒は言った。

「誰? 犯人?」

 隣に座る大槻がたずねた。

「俺の名前」

 倉沢はテーブルに傷だらけのスマホとピクシーを並べた。世の中を舐め腐っているかどうかは知れないが、肉体も精神も健康的には見えない、塞いだ表情をしていた。

「それ、新しいやつじゃん」

 大槻は倉沢のスマホを見て言った。「もう落としたの?」

「もう……カス……」

 げんなりしたようすで、倉沢は話しだした。

「入学式早々イヤフォン失くしたし。その次はスマホ落として、事件があった日はプロジェクター動かなくなった。機械と相性悪いんだよ、俺。技術が発達してもサイボーグになれない。なるつもりもないけど」

 飲み物が運ばれてくると、倉沢はアイスコーヒーを不味そうに飲んだ。それから、もったいぶるように間を置いてから、深刻そうな面持ちでささやいた。

「俺はある男を追っていた」

「いや、いい、そういうの」大槻が言った。

「お前それやりたくてここ連れてきただろ」池脇も言った。

「ちがうよ。ここは郷葉生の知る人ぞ知る穴場なの」

 倉沢はキッチンの真横にある席を見やった。倉沢と同じ、郷葉大附属の制服を着た客たちが、黙々とワークブックを片付けている。

「分かったよ。で、誰を追ってたの?」本村はたずねた。

「それは言えない」

「はいはい」大槻はそっぽを向いた。

「守秘義務な」池脇はメロンフロートを飲んだ。

「それで?」

 本村は聞いた。

「で、あの夜も、そいつを追って病院の外で待ってたら、知らない男と女がやって来て————。二人は、俺がこっそり見てることも知らずに————」

 倉沢は、三人の視線をしっかりと収集していた。そして言った。

「睦み合い始めた」

「む、むつ?」本村は顔をゆがませた。

「いちゃこらしだしたってことでしょ?」大槻は言った。

「そう」

 倉沢はなぜかふんぞり返っていた。

「そのあとは?」本村は聞いた。

「あと? 別に。気持ちわりーと思ってすぐ帰った。何日かして、俺が見たのと同じ日に同じ場所で郷葉大附属の看護師が殺されたってニュースで知って。善意で警察に電話した。善意で」

「男の顔は?」

「おっさん。メガネ。白髪混じり」

「白髪までよく分かったな。暗かっただろうに」

 甘いメロンフロートを飲みながら、とげとげしく池脇は言った。鋭い瞳をあえて伏せていた。倉沢は黙った。

「時間は?」本村は聞いた。

「一時三十分」

「きっかり?」

「きっかり。時計見た」

「ふーん……」

 本村はコーラフロートの溶けかかったアイスクリームをすくい始めた。

 倉沢少し肩を丸め、前髪の下から他の三人を観察した。

 清廉なグレーの制服に、気怠い寝癖頭。真顔でコーラフロートと向き合う姿は、もはや事件のことなど放り出した風だ。

 その隣で腕を組み、店内を見回している、同じくグレーの制服の男。表情は険しいが、年季の入ったソファに沈む大柄と落ち着きはらった雰囲気は、古顔のように店に馴染んでいる。

 隣の男は揚々とした顔で頰杖を突いていた。ストレートの黒髪と、無地のTシャツ。腕には、最新型のスマートウォッチ。

 倉沢は沈黙をやぶった。

「あのさ、別に話すのは構わないんだけど。あんたたちこれ聞いてどうしたいわけ?」

「どう? うーん」

 本村は言った。「意外と平凡に過ぎてゆく日々が思い出の1バイトになればいいかなって」

「ふーん」

 倉沢は細々とアイスコーヒーを飲んだ。「協力しようか? 俺」

 三人は心中ではてと首をかしげた。

「捜査協力する気があるなら、知ってること全部ちゃんと警察に話した方がいいんじゃないの?」大槻は言った。

「やだ」

 超端的に、倉沢は言った。「警察は、なでしこさんが家出しても捜索はしてくれない。目撃情報提供しただけでも有難いと思ってほしいのに。俺がこの捜査に協力したら、ウィンウィンじゃない」

「なでしこさん?」

 細長いスプーンをくわえ、ぼんやりと、本村は聞いた。

 倉沢はスマホをタップした。

 ピクシーの表面が、緑色に、十字に光った。

 昭和レトロな喫茶店に、現代の人造魔術が組み込まれた。強大な働きなど望めないような、簡素な見かけの機械装置が、テーブルの上に、光でできた人形を生み出した。

「おかえり。なでしこさん」

 和らいだ表情で、倉沢は言った。

「ただいま。穎悟さん」

 艶のある声色でホログラムは言った。

 青みがかった長い黒髪。ふんわりとしたニットとロングスカートにエプロン。足元には厚手のスリッパ。泣きぼくろが特徴的な美女だった。

「なでしこさん、見て見て」

 倉沢が言うと、ホログラムはなめらかな動きで回転し、本村たちを認識した。

「どなた?」

「今調査してる案件の、協力者だよ」

 ホログラムはもう一度ゆっくりと回りながら、三人それぞれにお辞儀をした。

「初めまして。主人がいつもお世話になっております」

「いえ、こちらこそ」

 お辞儀をし返して、本村は言った。池脇は見慣れないホログラムをまじまじと凝視していた。大槻はよろしくねと手を振った。

 倉沢は言った。

「紹介します。妻のなでしこです」

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