4
三柴はスマホを置いて待っていた。
オフィス街から程近い、地中海料理のレストラン。まっさらな白のクロスが敷かれたテーブルに、二人分のグラスやカトラリーが用意されている。
三柴は上方へ顔を向けた。
天井を見ていなかった。安堵していた。考えていた。
三柴の目には、黄色みがかった照明が、伸張し、重なり合うように映っていた。
ここを選んでよかった。
そこはかとない、清潔な快を感じながら、三柴は思った。ここなら、彼女もきっと気に入るだろう。
堅苦しい店は苦手だと言った。そして、美味しくてヘルシーなもの。そういうものを食したあとが、身も心も満足するのだと言った。
美味しさを削ぎ取ったヘルシーなもの、美味しいがアンヘルシーなものというのは、頭で食べているのだと言った。
頭で食べた食事というのは、満たされないばかりか、後々頭痛のタネになり、苦しむことになる、と。
賢明かつ享楽的。
バランスの取れたシコウ。
君を選んでよかった。
あの日、横断歩道の真ん中で君の手を取った。僕の感知能力は、不全ではなかった。
茉莉ちゃんが殺されてから、一週間が経った。
一週間というのは、僕にとって、とても長く感じられる期間だった。当然のように繰り返される、色つきの、たった七日のサイクル。その期間で、人は、やりようによっては、自分に多くの変化を加えることができると思うのだ。
だが、今度の七日は質がちがい過ぎている。
茉莉ちゃんが殺されたあの夜。自分に、将来に絶望していた僕は、
僕が志保にくだを巻き、クッションにすがってみっともなく泣きじゃくっている間に、茉莉ちゃんは死んだ。
完全なる欠乏感。心にぽっかり穴が空いたよう————そんな、ありふれてはいるがリアリティのない文言を、僕はこの体で感じていた。
それから彼女と出会い、連絡先を交換し、初めての食事という今日を迎えた。
〝たった一週間〟
自分でも分かっている。
恋人を失い、新しい出会いをし、適切な愛を育む————。望みが成就したあとというのは呆気ないもので、自分が今までどうしてそれを手に入れられなかったのか、何が問題で、何が障害だったのかが、薄弱となってしまう。
一週間前の絶望が、遠い記憶の中の、いじらしい苦悩のように思える。排毒されたように、日々が輝いて見える。それは効率的、健康的だが、周りから祝福を賜るには、短すぎる期間だった。
『たった一週間で!』
そう、志保は怒るだろう。
優しい祖父母にも、せっかちだった両親からもガミガミ言われたことのない僕に、志保はいつも、平手でもぶつように言い放つ。
志保に、なんと言って伝えたらいいだろう。
『あんたって、ほんと』
カフェインレスの、コーヒーを淹れながら。
なんだよ、と僕がうながさないかぎり、先を言わない志保の、呆れた顔が目に浮かぶ。
『電流が、走るんだよ』
前に一度、僕は話したことがある。
『祐也のとこで診てもらえば?』
やはりコーヒーを淹れながら、志保はあしらうように言う。
『恋に落ちると体が痺れるんですって? 冗談。ねえ、ほんと、そうなんだってば』
『ばっかじゃない』
電撃にも似た、志保の平手が飛んだ。それから、熱々のコーヒーが入った、ふてぶてしいネコの顔が描かれたマグカップを二つ、持ってきた。
殺風景な、志保の部屋。
二匹のネコ。キッチンに置かれた赤い花。
クールで、隙のない志保の、貴重な〝遊び〟。
志保は言った。
『はっとするような出会いなんてね、人生で、そう何度も何度もあるもんじゃないんだから』
つまり————。
志保は僕が、情緒過多だとでも言うのだろうか。
衝撃は誤作動か。渇望は錯覚か。
だから、僕はいつまで経っても————。
スマホの画面が着信を知らせた。
三柴は吉報を予感して、画面に指を滑らせた。
【有村すみれ】
『ごめんなさい。先輩につかまっちゃって。少し遅れます』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます