三柴はスマホを置いて待っていた。

 オフィス街から程近い、地中海料理のレストラン。まっさらな白のクロスが敷かれたテーブルに、二人分のグラスやカトラリーが用意されている。

 三柴は上方へ顔を向けた。

 天井を見ていなかった。安堵していた。考えていた。

 三柴の目には、黄色みがかった照明が、伸張し、重なり合うように映っていた。

 ここを選んでよかった。

 そこはかとない、清潔な快を感じながら、三柴は思った。ここなら、彼女もきっと気に入るだろう。

 堅苦しい店は苦手だと言った。そして、美味しくてヘルシーなもの。そういうものを食したあとが、身も心も満足するのだと言った。

 美味しさを削ぎ取ったヘルシーなもの、美味しいがアンヘルシーなものというのは、頭で食べているのだと言った。

 頭で食べた食事というのは、満たされないばかりか、後々頭痛のタネになり、苦しむことになる、と。

 賢明かつ享楽的。

 バランスの取れたシコウ。

 君を選んでよかった。

 あの日、横断歩道の真ん中で君の手を取った。僕の感知能力は、不全ではなかった。

 茉莉ちゃんが殺されてから、一週間が経った。

 一週間というのは、僕にとって、とても長く感じられる期間だった。当然のように繰り返される、色つきの、たった七日のサイクル。その期間で、人は、やりようによっては、自分に多くの変化を加えることができると思うのだ。

 だが、今度の七日は質がちがい過ぎている。

 茉莉ちゃんが殺されたあの夜。自分に、将来に絶望していた僕は、志保しほを誘ってバーへ行き、ヤケになって赤ワインを大量にあおった。そう、確かに、僕は頭に酒を注いでいた。

 僕が志保にくだを巻き、クッションにすがってみっともなく泣きじゃくっている間に、茉莉ちゃんは死んだ。

 完全なる欠乏感。心にぽっかり穴が空いたよう————そんな、ありふれてはいるがリアリティのない文言を、僕はこの体で感じていた。

 それから彼女と出会い、連絡先を交換し、初めての食事という今日を迎えた。

〝たった一週間〟

 自分でも分かっている。

 恋人を失い、新しい出会いをし、適切な愛を育む————。望みが成就したあとというのは呆気ないもので、自分が今までどうしてそれを手に入れられなかったのか、何が問題で、何が障害だったのかが、薄弱となってしまう。

 一週間前の絶望が、遠い記憶の中の、いじらしい苦悩のように思える。排毒されたように、日々が輝いて見える。それは効率的、健康的だが、周りから祝福を賜るには、短すぎる期間だった。

『たった一週間で!』

 そう、志保は怒るだろう。

 優しい祖父母にも、せっかちだった両親からもガミガミ言われたことのない僕に、志保はいつも、平手でもぶつように言い放つ。

 志保に、なんと言って伝えたらいいだろう。

『あんたって、ほんと』

 カフェインレスの、コーヒーを淹れながら。

 なんだよ、と僕がうながさないかぎり、先を言わない志保の、呆れた顔が目に浮かぶ。

『電流が、走るんだよ』

 前に一度、僕は話したことがある。

『祐也のとこで診てもらえば?』

 やはりコーヒーを淹れながら、志保はあしらうように言う。

『恋に落ちると体が痺れるんですって? 冗談。ねえ、ほんと、そうなんだってば』

『ばっかじゃない』

 電撃にも似た、志保の平手が飛んだ。それから、熱々のコーヒーが入った、ふてぶてしいネコの顔が描かれたマグカップを二つ、持ってきた。

 殺風景な、志保の部屋。

 二匹のネコ。キッチンに置かれた赤い花。

 クールで、隙のない志保の、貴重な〝遊び〟。

 志保は言った。

『はっとするような出会いなんてね、人生で、そう何度も何度もあるもんじゃないんだから』

 つまり————。

 志保は僕が、情緒過多だとでも言うのだろうか。

 衝撃は誤作動か。渇望は錯覚か。

 だから、僕はいつまで経っても————。

 スマホの画面が着信を知らせた。

 三柴は吉報を予感して、画面に指を滑らせた。


【有村すみれ】

『ごめんなさい。先輩につかまっちゃって。少し遅れます』

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