3
ブチュ————————。
「あ」
自身のハンバーガーを頰張るすんでのところで、
「んー」
「いいんでない? 多少汚れても、豪快に頰張って食べるのが醍醐味でしょ。ハンバーガーって」
片手にジンジャーエール、片手に栗色の髪の人形を持ちながら、
「嫌です。なんか、食べたあとのべたぁ〜ってした感じとか、完食したはずなのにこの戦いがまだ終わってない感じとか」
まっすぐに佐野を見て、本村は言った。シンプルなグレーの学ランに身を包み、なぜか説得力さえ感じさせる無表情を浮かべている。
「ああ、分かる。それ多分、袋に残ったソースとかのせいなんだよ」
バンズからはみ出した具を気にもせずにエビタルバーガーを食べ進めながら、大槻は言った。スモーキーピンクのTシャツをさらりとかぶり、持ち前の余裕の笑みを浮かべている。「もっと上手いことこいつらのこと処理できたんじゃないかって自責の念にかられるんだよね。そんで結局ポテトとかにつけて食べるんだけど、そもそも最初からそのためにソース取っておいたわけじゃないから、勝負の後始末やらされてるみたいな惨めな気持ちになるんだよ」
分かんねえよ。
隣のテーブルでスパイシーAAバーガーに豪快にかぶりつきながら、
「なんか、あれですね」
両手で、しっかりとAAバーガーを持ち、本村は言った。
「あれ?」
佐野は聞き返した。
「こう、学校帰りにハンバーガーって。ベタですけど僕の理想とするところです」
『
「あ、ほんとに? そりゃよかった」
佐野は気楽な笑みを浮かべた。「いろいろ考えたんだよね。焼肉の食べ放題とか回転寿司とかがいいのかなって。でも時間なくてさ」
「目的はなんですか?」
のんびりとした雰囲気とは相反する、凛々しく縁取られた瞳を伏せて、本村はハンバーガーをかじった。
「あい?」
「とぼけちゃってー」
大槻は作り過ぎた笑顔でストローを噛んだ。「佐野さんが俺らを接待して不正な利益を得ようとしてるのは見え見えですよ」
「ひ、ひひひ……」
佐野は糸で引かれたように片方の口角を上げた。地味な紺色のスーツに身を包み、着せ替え人形片手に学生たちのバーガー談義に加わるこの男は、捜査一課の刑事であった。
「大体、相原さんもいるのがね」
本村はちらりと隣のテーブルを見やった。
「……え、うん?」
「んな、プライベートまでなかよしってわけじゃあるまいし」
ぼやくように池脇は言った。
「そうそう。二人が揃って現れる理由っていったら一つしかないでしょ」
大槻も言った。
「相原くぅん、この子たちやだぁ。若者はいつもこうやって年寄りを小ばかにして社会の隅に追いやろうとするんだよぉ」
佐野はメイリスを抱きしめながらごねだした。
「やだって……。佐野さんが言い出したんじゃないですか。本村君たちならなんとかしてくれるかもって」
呆れたようすで、相原は返した。
「なんですか?」
本村はたずねた。
佐野はテーブルの上にだらりと両腕を投げ出し、メイリスを弄びながら、ジンジャーエールを飲んだ。そして言った。
「ほら、こないださ、
「ああ、ありましたね」大槻が答えた。
「確か、病院の敷地内で首絞められて殺されてたんですよね?」本村は言った。
「そう、それ。被害者は
「ほう」
本村は言った。
本村と大槻はハンバーガーを頰張りながら、双生児のように揃った体勢で佐野の話に真剣に耳を傾けていた。池脇はウーロン茶を喉に流しながら、横目でそれを見ていた。
「殺害方法は
「分かった。神谷は、須藤に対して日常的に暴力を振るっていて、須藤の浮気に気づいてカッとなって殺した」大槻が言った。
「ところがです」
佐野は、メイリスの腕をつまみ上げて大槻を指した。「神谷には、アリバイがあるんだな」
「おお。出た。完璧なやつ」本村は言った。
「その通り。完璧なやつ。その日、須藤と同じ時刻に勤務を終えた同僚の
「はい?」
本村は大きく問いを挟んだ。
「だから、ラーメンよ。ラーメン。鶏、豚、魚介などの出汁で割ったスープに麺を入れて、ネギ、チャーシュー、メンマなどをトッピングした中国由来の身も心も温まる食べ物よ」
「いや、分かりますよ。それは」
「それが無性に食べたくなって、神谷を誘うことにしたんだって。神谷のマンションは越水のマンションの目と鼻の先にあって、越水が一時二十分に、『いましたにいるんだけどめしくいにいかね?』ってメッセージを送ったら、神谷は数分後に下りてきたらしい。そのあと、二人で近所のラーメン屋に行って、それが一時三十分。丁度、二人が店のカウンターについたと同時に、店内のラジオから、『真夜中のミッドナイト深夜便』っていう、一時三十分から始まる番組が流れたのを、店主が覚えててさ」
「あ、『今宵も始まります☆
DJの口調をマネて、大槻が言った。
「それそれ。それを聞いてたんだって。だから時間は正確だと思う。そこから二時過ぎまで、二人は店にいたって。病院の敷地内で生きている須藤が最後に目撃されたのが一時三十分きっかりだから、神谷のアリバイは確実ってこと」
「一時半から二時までの間、神谷は一度も店から出なかったんですか?」本村が聞いた。
「うん。越水がそう証言してる」
「店主さんは?」
「うん。神谷と越水がラーメン食べてる間、一度だけ、店の裏口へ出たらしい」
「じゃあその間、店主はカウンターにいる二人の姿を確認できなかったってことですよね」
大槻が言った。「神谷はその隙に病院へ行って犯行に及んだとか。同僚の越水が共犯だとしたら、不可能じゃないですよね」
「だとしても、店主が裏口に出てたのは、ほんの一分くらいだったらしいよ。いくらなんでも徒歩二十分の距離を一分で往復っていうのは……」
「すっごい車飛ばしたんじゃないですか?」
本村は言った。
「それは無理」
相原が言った。
本村たちが振り向くと、相原は赤い『AA』のロゴが入ったマグカップを片手に淡々と述べた。
「ショートオーバルじゃあるまいし。いくら深夜で車通りが少ないとはいえ、あの道じゃ最低でも片道三分はかかる。大体にして時間がなさ過ぎるよ。犯行自体何分とかかるかもしれないのに」
「何? ショートオーバルって」
本村は大槻に小声でたずねた。
「爪のことでしょ?」
大槻は言った。
「F1だろ」
池脇が言った。
「
「相原君、冷静に、冷静に」
佐野は伏せた手のひらを小さくはためかせた。そして本村たちに告げた。
「あのね、神谷は、車も免許も持ってないわけよ。仮によ? 神谷が無免許ながらプロレーサー並みの運転技術を持ち合わせていたとして、なんらかの方法で車を調達して共犯の越水の仕事が終わるのを律儀に待っていて、ラーメン屋に行って店主の隙を見て店を抜け出して信号も制限速度も無視して車ぶっ飛ばして短時間で須藤を殺害してまた車ぶっ飛ばして……っていうのは、俺にはどうも考えられないんだよね。車で移動時間短縮してのアリバイ作りなら、越水のことなんか待たずに、最初からもっと人目につく場所にいるでしょ」
「むーん」
本村はすぼめた口にフライドポテトを挿しながら、両の頰を揉んでいた。
「あの、須藤茉莉子のもう一人の交際相手っていうのは?」
大槻が聞いた。
「ああ、三柴広睦っていう製薬会社に勤めてる男で、越水の友人」
「越水の?」
「うん。ほら、須藤と神谷は、付き合ってることを職場に秘密にしてたわけでしょ? だから越水も、なんの悪意もなく須藤に三柴のこと紹介したってわけ。三柴は絵に描いたような好青年でさ。見かけだけでいったら相原に似て整った感じなのに、嫌味ったらしさの欠片もないのよ」
「僕は嫌味を言ってるわけじゃないです。一警察官、一社会人として当然のことを言っているだけです」
毅然とした態度で、相原は述べた。それから、本村たちの方を見た。「普通、いやだろ? 仕事だって忙しいのに何度も呼び出されて事情聴取されたり、事実確認とはいえ前にも聞かれたこと何度も何度も質問されたらさ」
「いやっす」
池脇は即答した。
「でも三柴は、なんでも協力します!みたいな感じでさ。嫌な顔一つせず、結構失礼な質問にも愛想よく答えてくれて……。それは、すごく助かるんだよ? でも、僕たちってそういうの真に受けていられる職業じゃないから。そういう人でも、疑ってかからなきゃいけなくて————。で、身辺調査をしてみたら、それが的中してさ」
「とんでもないゲスやろーだったんですか?」
本村が聞いた。
「ゲス、というか……。三柴には過去に付き合っていた恋人が、今分かってるだけで五人いるんだけど、五人全員、事故で亡くなってるんだよ」
「分かった! シリアルキラーだ!」
大槻はぱしりとテーブルを叩いた。「好意があるふりをして近づいて、事故に見せかけて次々と殺した!」
「でも、三柴にもアリバイがあるんだよね」
遠いまなざしでフライドポテトをかじりながら、佐野は言った。「友人と、深夜二過ぎまでバーで飲んでた。行きつけの店だったらしくて、こっちも店員の証言取れちゃった。ハハッ」
大槻は前傾姿勢をゆっくりと戻した。
本村はウェットティッシュで口元と指先を拭き取ると、両手を腿に置いて背筋を伸ばし、ハンバーガーを呑み込んだ。「それで、僕らにどうしろって言うんですか?」
「えっ。ここまで事件の概要明かしちゃってるんだよ? なんとなく察してくれない?」
佐野はわざとらしく困惑する素振りを見せた。
「それは分かりますけど。僕ら安楽椅子探偵じゃないんで。いくらハンバーガーがおいしくても、そんな詰みまくった情報じゃ素人推理だってできないですよ」
姿勢を崩さぬまま、受諾も拒否も書かれていない顔で本村は述べた。そうそう、と、大槻は気楽に便乗した。
「ないない。そんなことないって。そうやってすぐに結論を急いで無理無理って切り捨てるの、君らの悪い癖だよ? その足でさ、一歩踏み出してみてごらん!
たった二人の冷めたオーディエンスの前で、佐野は大袈裟に表情をこしらえ、訴えた。
隣のテーブルから、相原は、大人しく佐野と本村たちのやり取りを見ていた。
それから、コーヒーに手をつけようと自身のテーブルに向き直ったとき、ふと、正面に座る池脇の、ガン飛ばしのような視線に気がついた。
「何?」
「なんで今日は何も言わないんすか」
「え?」
「いつもは、佐野さんが俺らに捜査情報べらべら喋ると怒るじゃないすか」
「え……うーん……」
本村と大槻も、佐野の即興芝居を見放して相原の方へ目を向けた。
相原は長く美麗な指先をマグカップにからめながら、消極的に話し出した。
「やっぱりさ、どんな技術や情報網があったって、警察も若者の流行や心理にまで精通してるわけじゃないわけで……。しかも毎日のように変わるでしょ、それが。君たちも今はAAだなんだって言ってるかもしれないけど、明日にはBかもしれないしCかもしれない。なんなら、『
本村、池脇、大槻は、揃って間抜けな顔を浮かべていた。
「ごめんなさい、相原さん。話がさっぱり見えてこないんですけど」本村は言った。
やって来たかと思えば、いつも起き抜けのような調子の佐野。隣に立つ、清々しくも緊張感漂う相原。
馬が合っているのか、いないのか、判然としない二人の刑事。その二人が、この時、珍しく揃ってため息をついた。
佐野が言った。
「〝一時三十分きっかり〟の、目撃者のことなんだけど」
「はい」
「その子は
「へえ。郷葉大附属なら、結構頭いいですよね」大槻が言った。
「郷葉大附属の子が、深夜の病院の敷地内で何してたんですか?」本村はたずねた。
「『尾行』」
「え?」
「尾行だって言うんだよ」
くたびれ顔に、ほんの僅かに不機嫌をチラつかせ、佐野は言った。
「誰を尾行してたんですか?」
「それを聞いたら、守秘義務がどーたらこーたら。あれだよよく聞く文言だよ」
「それは感心ですね」
「でも、彼は病院とまったく接点がないわけじゃないんだよ」
相原が言った。「父親が、郷葉大附属病院の医師なんだ」
「あやしー」
大槻は薄ら笑いを浮かべた。「その高校生も、父親も」
「単純に、父親に会いに行ったんじゃないすか」池脇が言った。
「それも聞いた。『んなわけないでしょ』って鼻で笑われた。鼻で。いや、こっちの知ったことかよ」
佐野はストローでグラスの底の氷をザクザクと刺した。
「佐野さん、尋常に、尋常に」
相原がすみやかになだめた。
「須藤茉莉子と一緒にいた男については、何か言ってたんですか?」本村はたずねた。
「言ってたよ。『おっさんだった気がする。多分』とか、『メガネの奥に光る瞳がやつの異常性を顕著に表していた』とか」
微塵もおかしくはなさそうに、佐野は答えた。
「神谷と三柴はメガネをかけたおっさんなんですか? もしくはそういう外見なんですか?」
「いいや。さっきも言ったけど、三柴はもうすぐ三十には見えないくらいの好青年だし。神谷はメガネをかけてるけど、どちらかといえば童顔な方だし。でも、分かんないじゃん、そんなの。高校生からしたら二十代から上は全員おっさんに見えたりするんでしょ? そうなんでしょ?」
佐野はテーブルに覆いかぶさるようにして、本村の方におもいきり悲観した顔を寄せた。
「いや、そんなことないですよ」
寸分と身を引かず、本村は答えた。
「むかつくやつにむかつくこと言われたからって一緒にしてほしくないっす」
池脇も言った。
佐野は疑り深いまなざしで本村たちを見上げた。そして体を起こすと、ここぞとばかりに鬱憤を吐き出しはじめた。
「事情聴取の最中もさ、ずううううっと他人事みたいな態度でそっぽ向きながら、『はあ……』とか、『死にたい……』とか。何かあったの?って聞いたら、『妻が出てったんです』って」
「え、俺らって結婚できるんだっけ」大槻が眉をひそめた。
「できねえよ」鋭い反射で池脇は返した。
「愛があっても法と経済力がね」本村は言った。
「アプリだよ。アプリ」
佐野は疲れきった面持ちで言った。
「君たちなら知ってるんじゃないかな? 『ホムンクルス』っていうアプリ」相原が言った。
「ああ、架空の恋人とか、家族とか、見た目はもちろん声とか仕草まで自由に作れるやつですよね」大槻が言った。
「そう。そのアプリで、自分が作った奥さんと会えなくなったらしいよ」
「え? そんな返金レベルの不具合があったなんて聞いてませんけど……」
「でも、その子が言うにはそうなのよ」
佐野は言い、少々だらけていた上体を持ち上げて、本村たちに向き直った。「もうさ、まったく会話になんないわけよ。アルバトロスだかグレゴリウスだか知らないけど、俺らじゃ埒が明かなくてさ。だから、なんとか話合わせて、探り入れてくんない?」
「えっ、無理ですよ」思わず身を引いて、本村は言った。
「佐野さんて自分と同い年の人間なら誰とでも仲良くなれるんですか?」大槻も言った。
「大体なんか話聞いてたらめんどくさそーなやつじゃないすか、そいつ」池脇も言った。
「そおんなことない! 彼、すごくいい子だから!」
佐野は言った。それから、すぐにメイリスを自身の顔に引き寄せ、テーブルを這うような低姿勢ですがった。「おねがい、ほんと、たのむよ。超超超内密でさ。なんでもいいから情報引き出してよ」
本村は、くっきりとした凛々しい瞳でメイリスを見つめた。
栗色の髪。つぶらな瞳。ジェリービーンズ柄のワンピース。
こんなに愛らしい人形に懇願されてしまっては、断ることなどできないだろう。本村はそう思いながら、フライドポテトに手を伸ばした。
「佐野さんてなんか趣ちがうんですよね」
「はい?」
「ああ、分かる」
大槻も言った。「熱意を持って早急に事件を解決したいってよりは、花ざかりの俺たちに面倒事押しつけて楽したいって感じがする」
「ええー……。そんなことないでしょ。ねえ、君たちもうすぐ連休だよね? なんか予定あんの?」
「いえ、まったく」本村は言った。
「勝手に連休にされてもねー」大槻も言った。
「まあ、うちの親みてーに律儀に暦通りに過ごす人間もいるけどな」
頰杖を突き、ぼんやりと池脇は言った。「温泉行くとかって」
「え」
本村は憐れむようなまなざしで池脇を見た。
「温泉って、てつみち一人置いて?」
大槻は聞いた。
「そう。一緒に行くかって言われたけど、別にいいかなって」
「なんでだよ行けよ温泉」大槻は言った。
「そうだよ。日頃の学業の疲れを癒そうよ。僕なら夫婦水入らずだとか言われてもついてくよ」本村も言った。
「いいなあ。俺、池脇家の子になりたかった。池脇みやび。いけわきみやび。どうよ?」
「悪くない悪くない。むしろしっくり」
「はいはいストップストップ理想の親はアプリで作ることにしてさ」
佐野が割り入った。「何? 温泉連れてきゃいいの? それで交渉成立?」
「僕……」
本村はつぶやいた。「回らないお寿司がいいです」
「あ、俺も!」すばやく手を上げて、大槻は言った。
「俺、焼肉」しかめっ面で、池脇は言った。「いーとこの」
「だめ。無理。どっちか」佐野は言った。
「じゃ多数決で寿司ねー」気楽な口調で大槻が言った。
「やったー」
「……いーとこのな」
本当に、これでよかったのだろうか。
テーブルのやり取りを眺めながら、相原はため息をついた。
ふと、壁に張られたポスターの中の、ハンバーガーが目に入る。
相原は瞼を伏せて、コーヒーを飲んだ。
ナイフとフォークで食べれば、いいんじゃないかな。
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