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それでも、背筋を伸ばし、歩幅を広げて路を進む。オフィス街の雑踏の中でも、仕事終わりのくたくたな夜でも、なるべくそうすることにしている。
そうでもしなきゃ、やっていられないじゃないか。
この体は僕のものだ。僕が司令塔だ。
毎日、毎分、毎秒。気の滅入ることなどザラにある。その度に、体に疲れたポーズを許していては、心もきっと悪くなる。
体に活発だと命令すれば、心は自然と明るくなる。前を向き、進んでやろうと考える。
毎日、毎分、毎秒。善くなることも、きっとある。
昔から健康には気を使っていた。食事は特にそうで、きっかけは、幼い頃に両親を病気で亡くしたことだった。
両親に代わって僕を育ててくれた祖父母は、食事に重きを置く人たちだった。野菜、魚、穀物。淡白だが豪勢な、和食中心の食卓。
祖父母と暮らし始めてから、家の中でインスタント食品やジャンクフード、スナック菓子を目にすることはほとんどなくなった。僕がおやつをねだると、二人は旬のフルーツや手作りの焼き菓子を与えてくれた。
僕はそれでもよかった。ファストフードが食べたい、チョコレートやポテトチップスが食べたいなどと駄々をこねたりしなかった。
仕事が忙しかった両親は、欠食することがままあった。対して食べるときとなれば、時間に余裕がなければカップラーメンかコンビニのおにぎり、余裕があれば焼肉、寿司、酒をたらふく胃に詰めるかのどちらかだった。
そして、両親は死んだ。今となっては、二人は食事以外のことにおいてもその場しのぎのめちゃくちゃな生活をしていたのだから、若くして死んだのは食事だけが原因ではないのだろうとも考えられる。だが、もっと体に、食べ物に気を使っていたなら、罹らなくてもいい病気にも罹らず、もう少しは長生きできたのではないかと思う。だから僕は、祖父母にジャンクなものや刺激物を遠ざけられ、時間をかけて作られた、舌に体に優しい食べ物を与えられると、安心し、大事にされているのだと感じた。僕にとって、食事は快楽であり、凶器だった。
中学に入ってからは、自分でも健康に気を使うようになった。僕が所属していた陸上部には、中学生ながら体作りに取り組んでいる先輩方が多くいた。
その時に、ミネラルやタンパク質などの重要性を知った。祖父母に倣い、和食を食べているだけで健康になれると信じ込んでいた僕にとって、その知識は衝撃であり、自身の乏しい探究心をくすぐるものだった。今にして思えば、僕が『食』と『健康』に携わる仕事に就きたいと考え始めたのもこの頃だ。
祖父母は僕の要望を頭ごなしに否定したりせず、不器用ながらもできるだけ協力をしてくれた。食卓には肉や乳製品、ビタミン、ミネラルを補う食品が置かれることも増えた。
このことについて、僕は今でも二人に感謝してもしきれない。
大人になり、様々な遊びを経験してきた今だからこそ、栄養価を無視した食事を〝楽しむ〟ことの大切さや、それに伴う自分の体との付き合い方などがよく分かる。だが、その頃の僕は、食に対してとても神経質になっていた。思春期特有の過敏さや、不安定さのせいもあったのかもしれない。経口するものに納得がいかなければ、体が毒され、追いつめられていくような気がした。もしも祖父母が自分たちの方針をかたくなに押しつけていたなら、僕は自暴自棄になり、拒食に陥っていたかもしれない。
大学を出たあと、僕は製薬会社に入社し、希望だった食品部門に配属されることとなった。
面接試験のとき、志望動機を聞かれた僕は、同情を引くつもりなどなかったものの、早くに亡くした両親のことや育ててくれた祖父母のこと、運動部で得た経験などをありのままに話した。
あとで分かったことだが、その時僕を担当した人事の人は僕の話にえらく感動し、試験中、涙をこらえるのに必死だったそうだ。その後の問答は形式的なもので、僕の採用は、あの瞬間に決定していた。
このことについても、やっぱり僕は祖父母に感謝している。幼くして両親を亡くした僕を不憫に思うあまり、二人が僕に好物だけを与え、砂糖漬けにして育てていたなら、僕は食の有難みや大切さを理解できなかっただろうし、二人が徹底的に僕を管理していたなら、食を楽しむということも、この仕事を志すこともなかっただろう。
営業を六年務めたあと、企画部に移った。
社会人になってからも、僕の健康に対する意識は変わらなかった。〝仕事だから〟というだけでなく、幼い頃から染みついた習慣のようなものだった。
先週、健康診断の結果が返ってきた。僕の体は例年通りオールAだった。祖父母も、重い病気一つすることなく元気で暮らしている。
だが、僕には何かが欠乏していた。
この体を造るもの。
血。肉。骨。
水。酸素。電気。
自分に足りていないもの。その物質に、僕はずっと昔から気がついていた。
両親を亡くしたあの日から。祖父母に愛情をかけられても、友人と羽目を外しても、上司に恵まれても、僕は完璧な健康体になりきれていなかった。
僕は欠乏した人間のまま生きていくのか。
僕は、補完されることを望んではいけないのか————。
信号が赤だった。
足止めをくらい、三柴はふと、両隣に並ぶ通行人に目を向けた。肩を丸め、覇気のない表情でうつむく人々。自分はまだ、手遅れではないと気づかされる。
街灯。オフィスビルの明かり。赤信号。四月にしては少し蒸し暑い夜が、くっきりとした人工光をぼやけさせる。
三柴はしゃんと前を向いた。
対岸に続く白い線。それが特別なものだと、思ったことなどなかった。オフィス街なら尚のこと。街路樹や標識と等しく、常に、凡庸に、整えられているはずのもの。
だが三柴の目には、今はそれが発光する導のように映されていた。連なる白線の先に、一人の女が立っていた。
やわらかく、はなやいだ春など、名残り惜しむことも放棄し、即座に打ち切っていた。
はやる五月を、湧くような夏を、生い繁る花を。電気。電気。電気。
信号が青に変わった。
歩行者たちが、ぞろぞろと群れを成して進んでゆく。
立ち尽くしてなどいられなかった。異常に、鋭敏に。それを欲していた。
三柴は大きく脚を広げ、颯爽と歩いた。
対向の群衆と共に、女が、どんどんと近づいてくる。二つの波が、交わってゆく。
行き交う波の途中で、三柴は、躊躇なく女の手を取った。
車のウインカー、ビル看板のイルミネーション、点滅し始めた青信号————。
そう。こんなにも、健やかに、体を壊してしまうことがある。
ああ————。
三柴はその肉体で、生きる歓びを感じていた。
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