いけにえの方程式

牛盛空蔵

いけにえの方程式

 空気がひりついている。

「この状況、いかにすべきか……」

 宇宙船NFアルファ号の船長が、うめくようにつぶやく。

「最善を尽くした上で、どうしても駄目なら……一人を犠牲にするしか、ないでしょうね……」

 副船長も力なくうなずく。

 そこへ航海士の毒島が。

「色々問題はありますが、どういう基準で選ぶかと、実際に誰を犠牲にするかの二点が最も現実的な話ですね」

 言っている横で、機関室担当の横道は、ただ口を閉じ、心配そうに三人を見つめる。


 この宇宙船は、某星の小さな基地へ、現地で流行り始めた病気のワクチンと特効薬を届けるため、地球を出発した。

 ところが、途中で宇宙海賊と戦闘に突入した。幸いNFアルファ号は、もともと戦闘もこなせるように造られていたこともあって、相手を返り討ちにすることができた。

 しかしこの戦闘が悪かった。思いがけない被弾をしてしまい、船内の空気、クルーの食糧等のリソースが流出したのだ。

 現在は破損を修繕し、船内管理システムを見る限り流出は止まっているのだが、――残量が足りなくなってしまった。

 食糧や水は、多少足りなくてもシェアと節約でどうにかなるだろう。しかしこの船の場合、必ず全員が一定量を消費しなければならないリソースがいくつか必要である。空気だけではなく、特定の宙域への対策として搭載した抗放射線液や、ある種の宇宙エネルギー体の干渉を弾く薬など、割と多岐にわたる。

 クルーは四人で、密航者などの痕跡もない。しかし現在のリソースの残量は、目的地との距離を考慮すると、どう見積もっても三人分と少し。航路の近くに寄港できる宇宙港もない。

 四人全員で行こうとすると、船員は空気等の不足で全滅する。


 船長が意見を述べる。

「ここは一人、宇宙に投棄されてもらうしかない。それは既定事項だ。問題はその一人をどう選ぶか、だな」

「やはり、誰かが犠牲になるのですか……」

「だが」

 彼は冷静に議論を進める。

「ただ『誰がいい』『誰がダメだ』と言ったのでは、好き嫌いや運、あるいは人徳の無さだけで犠牲者が決まりかねない」

「とすると、総合的に見る、と?」

「そう」

 毒島の言葉に、船長はうなずく。

「航宙活動への貢献の大小、その者が死ぬことによる社会やコミュニティの損失、これまでの功績、将来性といったことを客観的に判断するのがよい、とおれは考える」

「しかしですね船長」

 毒島が言葉を挟む。

「客観的とは言っても、人間のやることですから、主観は入りますよ。どうしても、好き嫌いなどが混ざる、というか、常にバックグラウンドで走っている状態になります。人間とはそういうものです」

「客観的判断に……努める」

「努めると言いましても」

「どうしても混じるのは仕方がない。百パーセントの排除はできないとしても、可能な限り取り除ければ、それに越したことはない」

 船長の語調は幾分ばかり下がった。


 副船長が口を開く

「主観の排除に役立つやり方があります」

「ほう。それはなんだ」

「手続的保障です」

 てつづきてきほしょう。

 一瞬の静止ののち、一同は首を傾げた。

「なんです、それ?」

「一言で言えば、弁明や反論の機会を充分に与えるということです」

 彼は説明を続ける。

「相手の話を遮らない、問答無用の決定をしないといった基本的なことから、発言の手番を分ける、牛歩戦術を禁止する、質疑専用の時間を設ける、公正な進行をするなどという実質の保障まで広く含みます」

「ほう」

「公正な結論は、適正な手続から。歴史的な真理です。そうして決まった結論には……従うしかない。やるしかないのです……」

 副船長は若干力無げに結んだ。

 しかし、これにも毒島は反論する。

「具体的なルールを決めるための議論が必要になりますよね。時間も食いますし、その議論を統制するルールも……となると、堂々巡りになります」

「ルールを決めるルールということですね。それはもう、切り捨てるしかないでしょう。迷走するおそれも多少はありますが、時間もないことですし」

「手続的保障を重視するなら、犠牲者選び本体の議論も時間が到底足りないように思えますが」

 毒島は弁を振るう。

「重厚な手続で時間をかけ、慎重に決めるというのが副船長のおっしゃる趣旨のはず。人が死ぬのであれば、平時はそれでもいいですが、今回のように急を要する場面でそれでは、永遠に決まらないのでは?」

「それは……見切りをつけて」

「見切りをつけたら慎重にやる意味がありません。それに主観が混じるリスクも上がるんじゃないですか?」

 副船長は沈黙した。


 そこへ毒島が、満を持して口を開いた。

「ここまでの話し合いだけで、だいたい死ぬべき人間が分かりました」

「なにっ?」

「それは誰ですか?」

 船長と副船長が驚き、横道がびくりと震える。

「そう、横道です」

 事もなげに彼は言った。

「そ、そんな、僕は」

「彼だけこの話し合いにほとんど参加していません。犠牲者を、またはその決め方を決める大事な会議を、ただひたすら傍観していました」

 彼の声がどんどん冷たくなる。

「傍観なんて……僕は……」

「クルーにあるまじき行為です。犠牲などどうでも良いともとれる振る舞いです。実際にはそうでなかったとしても、そうとられても仕方がない」

「違う、違う、話が難しすぎて」

「だったらクルーに必要な知性が足りない。貢献度は低く、死んでも社会の損失たりえない人間と考えられます」

 彼は続ける。

「思い返してみてください。彼は機関室担当にもかかわらず、度々ミスをし、今回のリソース流出でも対応が遅かった。もっと早く処置していれば、まだ四人分のリソースを保全できたはずです。その程度の予備はありました」

「それは……まあ、そうだな」

 船長は小さくうなずいた。

「それに三年前の戦闘や一年半前の故障事故で、この男がしでかしたこと、お忘れではないでしょう」

「さすがに……過去を持ち出すのは」

 副船長が異論を出すが、さらに毒島は切り返す。

「過去とて客観的事情には違いありません。死に値するか否かの指標にはなるでしょう。犯罪を裁くのとは違います」

「まあ、犯罪は過去を原則的に見ないですが、今回のは……ううむ」

 副船長も口を閉ざした。

「死に値するのはどう見ても横道です。決め方を云々せずとも、それは明らかです。皆さんも会議の前から薄々思っていたのではありませんか。さあ、裁決をお願いしま――」

 言いかけて、突如、横道がブラスター銃を抜いた。

「ふ、ふ、ふざけるな!」

 ――ものの、手も肩も、全身が震えている。

「そんな妄言でみんなを煙に巻いて、殺すなんて、ふざけたことを、みんな死ね!」

「おいおい、横道、これは船内反乱罪だぞ。もう誰も何も言わなくとも鎮圧処分だな」

 毒島が横道に近づく。

「ち、近づくな、撃つぞ!」

「撃ってみろよ。その前に眉間に風穴が開くぞ。俺の腕前はお前も知っているだろう?」

 毒島は、自分の実弾銃に手をかけた。跳弾のない室内用弾薬を装填したリボルバーである。

「来るな!」

「断る」

 横道はしばらく後ずさりしたあと、ついに引き金の指に力を込めた。

「し、死ね!」

 瞬間、話し合いは吹き飛び、殺意と生存の意思が交錯した。


 それから三ヶ月後、宇宙船NFアルファ号は、船長、副船長、毒島の三名で任務を達成した。

 彼らと横道の「事情」は上層部に報告され、横道の犠牲について彼らが罪過を問われることはなかった。

 一名の犠牲者は、罪人とはいえ、内密にかつ丁重にとむらわれ、灰は墓へ眠ることとなった。

 彼は、結果として三人を生還させた。


 その六十年後、毒島は亡くなり、遺品整理の際に、タブレット端末の中に手記を発見した。

 当時の判断についてこう記されていた。


 結局のところ、誰が死んでも、社会的損失だの貢献だのは大きく変わらない。誰だって死んだら悲しむ人間はいるし、周辺は少なからず困惑し穴埋めに四苦八苦する。

 だから俺は、この中では一番嫌いな横道を犠牲にすることにした。

 誰が死んでも変わらないなら、主観に立ち返って、一番嫌いな人間を殺したほうがいい。なぜなら、それによって全体の――俺個人も、その主観も含めた、全体の利益が最大化するからだ。

 つまり、俺もハッピーで、他の連中もとりあえずは帰還の席を確保できる。そうだとすれば、これ以上の結論はないだろう。

 だから俺はそうした。謀殺と評されようが、異常者とそしられようが、このことについて、俺は死ぬまで恥じることはないだろう。

 俺は正しかった。ここに永久に宣言する。

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