九. 選択肢①

フィリップは煙の燻る大地を見つめていた。

夜のひんやりとした空気が栗色の髪を揺らしている。

彼は無意識に右腕を吊っている白い包帯を軽く引っ張った。


「隣、良いか?」


顔を上げるとグロリオが立っていて、返事も聞く前に腰を下ろしてきた。

しばらく2人は黙って目下に広がる荒野を見つめていた。


「スラウのことだが」


グロリオが口を開いた。


「命に別状は無い」


「……そうか」


「止血してくれたの、君だろ? ありがとな」


「……」


「……知らなかったよ。スラウにあんなことがあったなんて……」


グロリオの口調はどこか硬かった。


「調べて分かった。被害に遭っているのはここだけじゃなかったんだな」


フィリップは黙ってその言葉を聞いていた。


「ゾルダークはこの国の王の指令を利用している。「魔術を使う者、もしくはその恐れのある者を処刑せよ」ってやつだ」


「……」


「獄焔ひとやのほむらに必要なのは、大きな負の感情だ。奴は人間に潜在する負の感情を少し引き出して、後は何もしない。焔は人間の猜疑や恨みを火種に大きくなっていく……王の指令が取り消されない限り、奴は同じ手で他の村も襲うだろう」


フィリップは長い沈黙の後、重い口を開いた。


「……何故、それを俺に言う?」


「1つは単なる報告の為。もう1つは君たち人間の記憶に残す為だ。君の心にこの言葉が残れば、王の指令を取やめさせるまではいかなくても、他の人間たちに伝えることが出来るだろう。これ以上被害を拡大させない為にも真実を伝える必要があった」


「……は?」


「それより」


眉をひそめるフィリップをよそにグロリオは立ち上がった。


「この後、どうするんだ?」


フィリップは荒野を睨んで答えた。


「……ここを捨てる。今のままじゃ、守りたいものも守れねぇ。全員が安全に暮らせる場所を探す。だが……必ずここに戻ってくる。もう2度としくじらねぇ」


「……そうか」


グロリオはふっと微笑んだ。


「安心したよ。行くなら東に行け。まだ奴らの勢力下には無いはずだ。じゃぁな」


「待てよ」


立ち去ろうとするグロリオの肩をフィリップが掴んだ。


「お前、何を隠している?」


***


「スー、起きているか?」


テントの入り口で声がした。


「うん」


スラウが答えると、フィリップがテントの中に入ってきた。


「んん……チニの……ばかぁ……」


寝言を言うフォセの手足がアイリスやチニの上に乗っている。

フィリップは少し呆気にとられたようにそれを見ていたが、スラウを手招いた。


「怪我、もう良いのか?」


「うん。天上人は怪我の治りも早いんだって」


スラウは、でも、と呟くと斜めに大きく裂けたローブを撫でた。


「これはこのままにしておこうと思う。剣士は背中を取られちゃいけない。ハリーさんの口癖だったけど、私は守れなかった。だから……これを見て自分の戒めにするよ」


フィリップはそうか、と呟いたきり黙ってしまった。

何だか気まずい空気に包まれる。


「そっちの怪我は?」


スラウは慌てて話を振った。


「大丈夫だ」


フィリップは短く言葉を返すと空を見上げた。

スラウもつられて顔を上げた。

ゆっくりと風が雲を散らせ、雲の切れ目から月が顔を出した。


「変わらないね、空は……」


思わず声が漏れた。

ふとフィリップはこちらに顔を向けると静かに言った。


「来てくれ。見せたいものがある」

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