九. 選択肢②

前を行くフィリップの足が止まり、スラウは我に返った。

随分長いこと山を登っていたらしい。

木々の間から覗く白い空が朝の訪れを告げている。

フィリップが黙って前方を指差した。


「これ……」


白い石碑が朝日に照らされて静かに佇んでいた。


『ロナルド・セルター ここに眠る』


スラウの唇が微かに動いた。


「ロナルドおじさん……」


スラウは跪くと墓にそっと触れ、静かに手を合わせた。

しばらく祈りを捧げ、ゆっくりと立ち上がるとフィリップを振り返った。


2人はしばらく黙ったまま、互いを見つめていた。

そのうち、フィリップが目を逸らして口を開いた。


「ずっと……考えていたことがある」


グロリオが明かした、彼らを指すもう1つの名。

忘れられた天使。

詳しくは聞かなかったが、天上人が人間の記憶に残ることは決してないという。

例えそれが、幼少期を共に過ごした大切な者であっても……


「スー。ここで暮らさないか、一緒に」


「……ふぇ?!」


スラウは火照る頬を抑えた。

嬉しさと混乱の波が打ち寄せる。

フィリップは口調を変えずに続けた。


「グロリオに聞いた。天上人は選べるんだろ? 人間になるかどうか……」


フィリップは戸惑った表情を浮かべたままのスラウの頭に手を乗せた。

手に収まる小さな頭を撫でる。

スラウは答えを探すかのように目線を泳がせていた。

フィリップは息を吐くと彼女に背を向けた。


「俺さ、ターナにプロポーズしようと思う」


「え?!」


スラウは思わず耳を疑った。

フィリップは眩しそうに朝焼けの空を見上げている。


「え、え? 一体どういう……?」


答えを聞きたくないのに口が勝手に動く。


「お前が居なくなって、あの人は全てを失った。家も、家族も……ロージーさんは焔に巻き込まれはしなかったが、その後の苦労がたたって、病床に伏せている。俺はあの人のそばにいて支えてやりたい。そう思うんだ……可笑しいだろ? こんな気持ち、初めてだよ」


フィリップは振り返ると恥ずかしそうに頭を掻いた。


それから後の話はスラウの耳には入ってこなかった。

ターナのことを話す彼は、今までに見たことの無いほど幸せそうだった。

ずっと傍にいたはずなのに、こんな表情を知らなかった。

一瞬でも勘違いして、ぬか喜びした自分に腹が立つ。

自然と口調が自嘲的になった。


「じゃぁさ、私は何で人間にならなきゃいけないの?」


「……?」


「私が人間になる意味はあるの?」


スラウの反応はフィリップにとって意外だったようだ。


「え? そりゃ……またみんなで暮らしたいだろ? 俺らは家族みたいなもんだし。昨日みたいに危ない目にあうこともない」


「でも」


言い返そうとしてふと気がついた。

フィリップに撫でられた頭に手をやる。

そっか……

頭がクラクラしてくる。

すっかり大人になった彼と、まだあどけなさを残した自分。

天上界の歪んだ時間軸は同じ年だったはずの2人の成長を大きくずらしていた。


「それならさ、2人で幸せになりなよ」


思った以上に冷たい声が出た。


「は?」


「そもそも無理な話だよ。天上人をやめたら、今までのことも全部忘れちゃうんだよ? 2人と一緒に暮らすなんて……」


フィリップは怪訝な表情を見せた。


「さっきから何だよ? ちゃんと面倒見てやるって言ってんだろ?」


「面倒見てやるって、何様のつもり?! 私だって子どもじゃないもん!」


スラウにつられてフィリップの口調も荒くなった。


「俺はな、どんな形であれ、皆と暮らしたいんだ! 良かれと思って言ってやっただけだ! 何の不満があんだよ?!」


「じゃぁ、1つ聞くけど! 誰の為に良かれと思っているわけ?! 私じゃない! ターナでしょ?!」


「……!」


フィリップは驚いた表情をした。

否定しないんだ……

違う、そう叫んで欲しいのに。


「お、お前だって、そう思うだろ?! 俺達、昔から家族みたいなもんだったじゃないか!」


「結婚したら2人は家族になれるでしょうね! でも私は?! フィルとも、ターナとも、血が繋がっているわけじゃない!」


もう自分では止められなかった。

こんなことを言いたいんじゃない。

こんなことを思っているわけじゃない。

でも、もう引き返せなかった。


「私はロナルドおじさんに拾われただけだもん!!」


言ってしまった。

言ってはいけないことを……

荒い呼吸が思考を乱す。


ただ、1人の女の子として見て欲しかっただけだったのに……

みるみるうちに彼の顔色が変わった。


「……行けよ」


こちらに背を向けた彼の声に、もはや感情は残っていなかった。

もう選択肢は1つしか残されていない。

与えられた選択肢を自ら破り捨てたのだから……


スラウは歯を食いしばると来た道を戻り始めた。


「変わったな、お前」


小さな声がズキンと胸に刺さる。


「……そっちこそ」


返したスラウの声は草の揺れる音に消えていった。


***


「フィリップ様! ご無事ですか?!」


フィリップはふと我に返った。

振り返ると団員たちがやってきたところだった。


「お前ら戻ったんじゃ……」


1人が頭を掻いた。


「やはり気が気ではなくて。ずっと探しておりましたが、こちらにいらっしゃったとは……そう言えば、トニーさんはどうなさったんです? 姿が見えないようですが?」


「……死んだよ」


「……そうですか」


男たちはめいめいに俯き、祈りを捧げた。

これだけ慕われていたのだ、彼が裏切ったことは自分だけが知っていれば良い……


「それより、スーとすれ違わなかったか?」


彼らは互いに顔を見合わせた。


「スラウだよ。お前らもよく遊んでくれたろ?」


彼らは怪訝な表情を浮かべて、フィリップを見つめていた。


「フィリップ様? 仰っていることがいまいち、その、理解できないのですが?」


「……昨日のこと、覚えていないのか?」


息を押し出すように尋ねるフィリップに彼らはより首を傾げた。


「昨日?」


「狼の群れに襲われただろ?! その時に助けてくれた奴らを覚えていないのか?!」


団員たちはますます困惑した表情を見せた。


「確かに狼はおりましたが……崖が崩れたおかげで我々は無事だったではありませんか」


「じゃぁ、お前らのその傷は?! その腕の! 脚の! 傷はどこで負ったんだ?!」


彼らは顔を見合わせて黙っていたが、突然笑い出した。


「フィリップ様、心配し過ぎですよ。あなた様を探す時に木に引っ掛けたのでしょう。ほら、傷口だって浅いじゃありませんか?」


「……っ!」


「フィリップ様? どうかなさいましたか? さっきから何だか様子が……?」


1人が顔を覗きこんできた。


「様子が可笑しいのはお前らの方だろ」


フィリップは吐き捨てると山道に飛び出した。


「アイツら……!」


彼らが居なかったら自分はここにはいない。

スラウが居なかったら……

彼はポケットの中の小瓶を握りしめた。

父に別れが言えなかった……


道に突き出た枝が時折、彼の顔を引っ掻いた。

グロリオの顔が思い浮かぶ。

さんざん首を突っ込んでおきながら……

茂みから飛び出したフィリップは足を止めた。

ここで彼らはテントを張っていたはずだった。


「は!?」


だが、テントの影はなかった。

ただ草が穏やかに風に揺られているだけだった。

フィリップは地面に齧りつくように伏せると、テントを張っていたはずの杭の跡を探した。


「無い!」


天上人が居たことを示す証拠も無く、仲間の記憶にも残っていない……

スラウが最後に見せた表情が瞼の裏をよぎる。


「くそっ……!」


フィリップは腹立たしげに拳を地面に叩きつけた。

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