七. 想い③

「スラウ」


アキレアの声にスラウは我に返った。


「恐らくだけれど、フィリップ君のお父さんの身体は幽鬼ゆうきに取り憑かれているわ。実体を持たない魔物で、魂を失った身体に入り込むの。だから、その人の癖や声がそのまま残ってしまうのよ」


その説明にスラウは思わず息を呑んだ。


「じゃぁ、ハリーさんは……」


「残念だけど……もう亡くなっているわ」


「……っ!」


スラウは思わず幽鬼ゆうきと剣を交わすフィリップを見つめた。


「なぁ、親父」


フィリップは重い大剣を受け止めて口を開いた。


「やっと迎えに来れたよ」


スラウを港へ送り届けて、ここへ戻ってきた時、かつてミレーの村であった場所にはもう何も残されていなかった。

父は焔から逃れることのできた人々の傷を癒し、物資を提供した。


だが、ようやく人々の平穏な生活が取り戻せたと思った矢先にその男はやって来た。

ゾルダーク・エリオット。

彼はそう名乗った。


彼の率いる得体の知れない生物により、幾人も捕らえられ、連れて行かれた。

父は彼らの釈放を要求すべく、単身で乗り込んで行った。

もし3日以内に戻らなければ、フィリップが団長を継ぐよう言い残して……


だが、やはりというか、父が帰ってくることも捕らえられていた者たちが戻ってくることもなかった。


「相変わらずだよな、昔から……自分のことなんて構っちゃいねぇんだ。俺、いつまでもあんたに勝てる気がしねぇよ」


フィリップは感情のない眼を見つめた。


「だから……! だからっ! 戻って来い、親父!」


「フィル! 聞いて!」


スラウが叫んだ時だった。

ハリーの身体がゆっくり震え始めた。


「……コ……ムス……コ……」


苦しげに歪んだ口から声が聞こえた気がした。


「親父?」


「……ムス……コ……」


ハリーは身体を曲げたまま手を伸ばしてきた。


「ムスッ……」


だが、爪の剥がれた指は空を掻き、彼はそのままゆっくりと前に倒れ込んでいった。


「親父っ!」


フィリップは咄嗟に支えようと腕を伸ばした。


「よせフィリップ! それは罠だ!」


ラナンが叫んだが、遅かった。


「親父! しっかりしろ!」


フィリップが抱き留めた瞬間、ハリーは不気味な笑みを浮かべるとフィリップのみぞおちに拳を入れた。


「クヒヒヒヒッ! ムス……コ……」


ハリーは掠れた声で笑い声を上げると、よろめくフィリップを殴りつけた。


「やめ……ろ……親父……」


「ムスコッ……!」


ハリーは楽しそうに嗤うと拳を振り下ろした。


「フィル!」


スラウは殴られ続けるフィリップの元へ走り出した。

彼が、何が何でもここへ来ようとした理由。

それは……!


「どいてっ!」


立ち塞がる屍食鬼ししょくきを突き飛ばし、スラウは走った。


今やハリーはフィリップを片手で軽々と持ち上げている。


「おや……じ……」


フィリップの唇が僅かに動いた。


――『残念ながらあんたの望みは叶わない』


トニーの言葉が蘇る。

父親を連れ帰る。

自分の望みをゾルダークは知っていたのだろうか……

手から剣が滑り落ちた。


「クヒヒヒヒッ……ムス……コォォッ!」


ハリーはフィリップの首に剣を突きつけた。


「フィル!」


スラウは叫ぶと、襲いかかってきた闇狼あんろうの首元に剣を投げつけ、突っ込んだ。


「スラウゥッ!」


ラナンは幽鬼ゆうきの剣を受けるスラウの元へ走り出した。


――『良いかスラウ、天上人は使う術によって己の体力を制御しておる』


血相を変えて走ってくるラナンを視界の隅に捉えたスラウの脳裏に、ふと光の長コウルの声が蘇った。


――『長い呪文が良い例じゃ。持続的に力を引き出す分、体力の消費も少ない。反対に、術の中で瞬間的に最も強い力を引き出すことができるものがある』


弾丸のように相手を貫く威力を持つ力。


――『それが言霊じゃ』


『浄化!』


両手から迸り出た光がハリーの身体を突き抜けた。


――『我々は言葉を発さずとも力を使うこともできるが、言葉には魂が込められておる。魂の込められた言葉程、強い力を持つものはおらん。本当に強く願いや想いを込めたい時に使いなさい』


ハリーさん。

スラウは光に包まれる彼の身体を見つめた。

フィルはどんな手を使ってでもあなたを取り戻そうとした。

それは私も同じです。


カラァンッ――

剣が音を立てて手から滑り落ち、ハリーの身体は風雨にさらされた石像のようにゆっくりと崩れ始めた。


「親父!」


フィリップはまろぶように父親の元へ向かった。


「親父、親父っ!」


床に倒れこんだハリーを抱きしめるフィリップの背中に屍食鬼ししょくきが飛びかかった。

次の瞬間、その小さな身体は炎を上げて2つに裂けた。


「……邪魔するなよ」


グロリオの言葉に魔物たちはじりじりと後ろに下がった。


幽鬼ゆうきの抜けたハリーの身体は、今や光の泡となって消えかけていた。


「親父……あんたが消えかけてるってのに、俺は……それを見ていることしかできねぇんだ……」


フィリップは震える唇を噛み締めた。


「なぁ……あんなに大口叩いたのに、あんたに何もしてやれねぇままだな……」


鼻をすするフィリップの腕の中でハリーが屈託のない顔で笑ったように見えた。


「そういや、最期は笑顔で見送ってやるのが男だ、って言ってたか……」


――『フィル。そんなに泣くんじゃぁないよ』


母の棺の前で泣きじゃくる自分に父はそう言った。


――『おっかちゃんはな、神様の住む国に旅に出かけたんだよ。おっかちゃんはお前が家を出る時、泣いてたか? ……そうだろ、「いってらっしゃい」って笑ってたろ? だから笑え。最期は笑顔で見送ってやるのが男ってもんさ……』


そういう父は赤らんだ鼻をすすり、涙をボロボロと零して笑っていた。


フィリップは顔をぐしゃぐしゃにして必死に笑みを浮かべた。


「父さん……今までありがとう……」


小さな声が崩れ去るハリーの身体に吸い込まれていった。

彼はしばらく父親の消えていった膝を握りしめていたが、ふと気配を感じて顔を上げた。


「……使うと良い」


ライオネルはそう言うと、小さな黒い瓶を差し出した。

フィリップは黙って受け取ると膝の上に僅かに遺された父親の骨を掬って入れた。


「立てるか?」


ライオネルがフィリップの腕を肩に回してゆっくりと立ち上がらせた時、後ろでドサと何かが落ちる音がした。


「トニー!」


フィリップはその腕を振りほどくと地面に転がるトニーに駆け寄った。


「お人好しだな……俺はあんたを裏切ったというのに」


「何者だ?!」


鋭い声を上げ、グロリオが剣の柄に手をかけた。

瓦礫の上に黒いマントを纏った男が立っている。


「ねぇ、あれがゾルダーク?」


フォセが小声でライオネルを突いた。


「いいや、奴じゃない」


ライオネルの目は男を見据えたままだ。

男は肩を震わせて嗤った。


「警戒する必要はない。ただゴミを捨てに来ただけだ……」


「てめぇ!」


フィリップはフラフラと立ち上がると剣を抜いた。


「おや。生きていたのか。実の父に殺される最高の最期エンディングを用意してやったのに。まあいいか」


男はそう言うとマントを翻して彼らに背を向けた。


「待て!」


グロリオとハイドが剣を手に走り始めた。


「どこだ?! ゾルダークはどこにいる?!」


男が足を止めたので2人もつられて立ち止まった。

静寂の中、男の肩が細かく震えた。


「クククク……アハハハハッ!」


男の嗤い声が広間に響いた。

彼は振り返ると茫然と立ち尽くす隊員たちを見回した。


「天上人のくせに随分お人好しだな。まだ裏切り者の言葉を信じているのか?」


「まさか!?」


「我が君がこんな所に居らっしゃるとでも? 我が君がこんな間抜けなお前たちに御執心な理由が分からないな」


「……っ!?」


「茶は出せないが、ゆっくりくつろいでくれたまえ……クククッ……」


男はそう呟くと去っていった。


「チッ……!」


「ちょっと待って!」


グロリオが飛び出した時、アキレアが叫んだ。


「何か……変じゃない?」


言われて初めてグロリオは周りを見渡した。

さっきまで自分たちに群がっていた屍食鬼ししょくきやゴブリンたちが一斉に散っていく。

闇狼も低く唸ると尾を垂れて走り去っていった。


「一体……何事だ?」


低い声で呟くグロリオの背後でフィリップが声を上げた。


「トニー! しっかりしろ!」


揺り動かされ、トニーはどんよりと曇った瞳を開いた。


「もう良いんだ。俺はもう……」


「そんなこと言うんじゃねぇ!」


「相変わらずあんたは人が良いな。それにひきかえ、俺は……ただの臆病者さ。あの日――俺の村が灼かれた日……山から帰ってきた俺は燃え盛る村を見た。それでどうしたと思う?」


トニーの乾いた笑い声が響く。


「あろう事か、俺は村に背を向けて逃げたんだ。悲鳴も、助けを求める声も全部聞こえていたのに。家には病気で動けない妻とまだ幼い娘がいたというのに……」


彼は力なく笑った。


「怖かったんだ……助けに行く勇気がなかった……」


フィリップは大きくむせるトニーの背中をさすってやった。


「あんたに拾われた後だってそうさ。何も変わらなかった。俺はまた逃げたんだ。あんたの背負わせてくれた役目から……」


トニーの燻んだ目には涙が光っていた。


「あんたに偵察隊を任されてここへ来た日。俺はゾルダークに会った。あんたをここに連れてきたら、家族に会わせてくれる、そういう条件だった。藁にもすがる勢い思いだった。何としても会いたかった……謝って全てを許してもらいたかった……」


「もう良い。十分だ……」


フィリップは静かにそれを遮った。

トニーは血の気の失せた唇を噛むと、静かに目を閉じた。

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