五. 隠密行動②

「あっづー……」


フォセが力なく手であおった。

延々と続く坑道は進む程、蒸し暑くなっていった。


「フォセは風を起こせるから良いじゃないか」


チニが気怠げに口を開いた。


「全然意味ないよー。だって微風だと」


フォセが手を振ると熱風がゆっくりと流れた。


「うぅ……フォセ、もう良いよ……暑い……」


チニはねっとりと纏わりつく風を払いのけた。


「ちなみに強風だとね」


フォセが手を振った途端、彼の身体が前に吹き飛んでいった。


「チニ! 大丈夫?!」


アイリスが慌てて駆け寄った。


「もう、フォセ! チニが怪我したらどうするの? それに、今は力を温存しなきゃ」


フォセは首を縮めて小さく舌を出した。


「でも、暑いんだもーん……」


「アイリス、それを言うならこの人にも言うべきよ」


ランジアがクイッと顎でハイドを指した。


「え? どういうこと?」


ハイドが首を傾げるフォセをチラリと一瞥した。

相変わらず表情だけでは何を思っているのか見当がつかない。

フォセはぐいと彼に近づいた。

汗ひとつかいていない。

何で?

再び首を傾げるフォセの隣でチニが声をあげた。


「あ、氷気だ」


「あーっ! ずるーい! あたしも冷やしてよ!」


フォセがハイドに飛びついた。


「……やめろ」


「きゃはははっ! 冷たーい!」


ハイドの首に飛びついたフォセが楽しそうに声を上げた。


「良いなぁ、僕も混ぜて!」


チニもハイドに抱きついた。


「わっ! 本当だ! 冷たーい!」


2人にもみくちゃにされるハイドをアイリスは微笑ましく見守っていた。


「これ、本当に涼しいのかしら?」


ランジアが黒髪に手をやりながら呟いた。


「ふふふふ……さぁ?」


アイリスは目を細めた。


「でも……可愛らしい光景ね」


その時、通信機が鳴ったのでハイドは両腕にくっついている2人を軽々しく払いのけると、胸ポケットから銀色の機器を取り出した。


『あ……ハイ……ド……?』


途切れ途切れにアキレアの声が聞こえてくる。


「何だ」


ハイドが尋ねると通信機の向こうで悲鳴が上がった。


「敵襲かしら?」


アイリスが心配そうに後ろから覗き込んだ。


『ハイドか?!』


突然、声が明瞭になった。


「ライか」


『少し助けてほしいんだ。うわぁぁっ!』


「ライ、大丈夫?!」


フォセが身を乗り出した。


『あ、あぁ。大丈夫だよ』


「一体どうしたの?」


ランジアが尋ねた。


『少し想定外のことが起きてね。俺たち、今、トロッコに乗っているんだ』


「……」


『……』


「……は?」


『それで……』


「説明しろ」


ハイドがライオネルの言葉を遮った時だった。


「あああぁぁぁ! ぎゃぁぁぁぁ!」


隣を何かが猛スピードで通り過ぎて行った。


「……」


「……今の、何?」


フォセが恐る恐る口を開いた。


「ちっ……!」


ハイドが突然走り出した。


「え?! 走るの?! 追いつけないわよ?!」


慌てて後を追ったアイリスが息を切らして言った。


「良いこと思いついた!」


フォセがポンと手を叩いた。


「チニ、トロッコ出してよ!」


「あのバカ達の為に体力を使いたくないわ」


ランジアも賛同した。


「分かった。ちょっと待ってね……よし! トロッコよ、出て来い!」


チニが箱型に折った紙を飛ばすと、それは地面に触れた途端に大きなトロッコになった。


「早く乗ってぇ!」


慌ててトロッコにしがみついたチニが叫んだ。


***


「ライ! どうだった?」


グロリオが振り返った。ライオネルは今しがた切った通信機を見つめ、首を横に振った。


「要件を伝える前に切れてしまったようだ」


「 切れてしまったようだ、じゃないわよ!」


アキレアが叫んだ。


「どうするのよ?!」


「落ち着いて、アキレア。そうだな……」


グロリオは大きく息を吸って腕を組んだ。


「……あれ? どうしよう?」


「それを聞いているんでしょ?! ハンドルも壊れたのに、どうやって操作するつもり?!」


グロリオは無残に折れた鉄の棒を目の前に掲げた。


「チニが居ればなぁ。新しくハンドルを作ってもらうんだけど……あ! 分かったぞ! カーブに来たらフォセにどかーんと風穴を開けてもらうんだ! それで、ランジアに氷の道を作ってもらえば良い!」


グロリオがポンと手を打った。


「……」


アキレアは黙って聞いていたが小さく呟いた。


「……その2人もいないわよ」


「あ」


「あ、じゃないわよ! 全く信じられない!しかも、スラウもラナンもまだ気を失っているし……」


グロリオは恨めしそうに鉄の棒を睨んだ。


「そもそもこれが折れやすいのが悪いんだ」


「グロリオが力入れ過ぎなの!」


アキレアが再びツッコミを入れた。


「2人とも!」


ライオネルが叫んだ。


「前を見ろ!」


目の前に壁が立ち塞がっている。

先のレールが真横に曲がっているのが見えた。


「きゃぁぁぁっ!」


ガタンという音と共にトロッコが勢いよく前に飛び出した。


「……ったく……お前ら、その「力」とやらに頼り過ぎだ!」


ライオネルの後ろに座っていたフィリップが声を張った。


「右だ! 右に寄れ!」


言われるまま、隊員たちは右の縁にしがみついた。

ガガガガッ――

トロッコの側面が火花を散らしながら壁を擦った。

片方の車輪がレールから浮きながらカーブを曲がった。


「た……助かった……」


グロリオが息を吐いてへたり込んだ。


「カーブが来たら曲がりたい方向とは反対側に寄れ。そうやってトロッコを動かす。特に後ろの車に人を集めた方が良い」


フィリップはぶっきらぼうに言うと座り込んだ。


「俺も手伝うよ」


ラナンは黄金色の小さな手で顔を掻き、大きく欠伸をした。


「この姿じゃ感覚が敏感になり過ぎて参っていたんだ。そっちに行けば良いんだな」


ラナンはそう言うとトロッコの縁をよじ登った。


「よっと……うおっ!」


トロッコが大きく揺れた拍子に小さな黄金色の身体が宙に浮いた。

ライオネルが慌てて屈むやいなや、青年が転がり込んできた。


「ったたた……」


フィリップはあんぐりと口を開けて見つめていた。


「誰、だ……? 誰だ、お前?!」


琥珀色の眼の青年は不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔を見せた。


「俺、ラナンだよ。フィリップも知っているだろ?」


「は……?」


「今までお前に説明していなくて悪かったな。俺、姿を変えていたんだ」


「ちょっ……ちょっと待てよ?! じゃぁ、いつもスーの肩に乗っていたのが、お前だったっていうのか?!」


「そうだ」


「……嘘じゃないよな」


ラナンは疑うようなフィリップの視線から目を逸らした。


「次のカーブが来るぞ!」


グロリオが叫んだ。


***


ガタンッ――

トロッコが大きく飛び上がった。

フォセは狭いトロッコで隣に座るランジアとハイドをちらりと見やった。

このメンバーでは会話も弾まない。


「アイリスー、つまんなーい」


フォセはチニと話していたアイリスの服を引っ張った。

彼女は振り向くと小首を傾げた。


「つまらないって……何事もないのは良いことじゃないかしら?」


「でもさー、このトロッコ、あたしの風より遅いし、こんなに長いこと走っても敵もいないし、暑くなるだけなんだもん。トロッコがレールから外れるとか、敵が襲ってくるとか、もっとスリルがあった方が楽しいじゃん」


アイリスは苦笑いを浮かべた。


「チニのおかげで安全に進めているんだから良いじゃない。でも、確かに誰もいないのはおかしいわね」


「今は使われていない坑道だからね。見張りも手薄になっているのかもしれない」


チニが話に入ってきた。


「それよりフォセ、この先に何か見えないかな? 音の反響の仕方が変わったんだ」


フォセは目を閉じた。


「もうすぐレールが終わるみたい。気をつけて。その先、木の残骸が散らばっているから」


言っている間にも、トロッコはトンネルを抜けて広い空間に飛び出した。


「きゃぁっ! ブレーキをかける余裕は無さそうよ!」


アイリスが叫んだ。


「風を逆噴射してトロッコを止める! しっかり掴まって!」


フォセはそう言うと両手を突き出した。


『風渦!』


両手から風の渦が飛び出し、壁にぶつかった。

前方に散らばっていた木片が宙を飛び交う。

チニは慌てて頭を下げて飛んできた破片を避けた。

トロッコがゆっくり止まった。


「とーちゃーっく!」


フォセは無傷のトロッコを見て満足気に頷いた。


「そう言えば……先に行っていた人たちはどうなったのかしら?」


ランジアの声にチニが慌てて木片の残骸に駆け寄った。


「これ、もしかして……」


その時、音を立てて木片の山が崩れた。


「ケホッケホッ……おう、お前ら……ケホッ……着いたのか」


砂塗れのグロリオが立ち上がった。


「あれ、みんなどうしたの?」


フォセが驚いて尋ねた。


「いやぁ……ハンドルが折れちまってブレーキがきかなくってさぁ……そのまま突っ込んでトロッコはバラバラ。そんで……」


グロリオは恨めしそうにフォセを見た。


「立ち上がりかけた矢先にどっかの誰かさんのせいで、残骸もろとも吹き飛ばされたってわけだ」


「へぇ、そう」


さりげなく背を向けて逃げようとするフォセの肩をグロリオが掴んだ。


「フォセェッ!」


フォセは楽しそうに悲鳴を上げると困ったように笑みを浮かべるアイリスの背に隠れた。


「惨めね」


冷たく言い放つランジアにグロリオはくしゃくしゃの髪に絡まった木くずを取るのに苦労しながら返した。


「別に良いじゃねぇか。無事、ここまで潜入できたんだし……」


ライオネルは苦笑して付け加えた。


「隠密行動とはかけ離れてしまったがな……それより偵察の結果はどうだったんだ?」


「そのことだけど、少し気になることがあるの」


アイリスが口を開いた。


「みんなも通って来たから分かるでしょうけど、この坑道には誰もいなかった。でも、ランジアが声を聞いたわ」


「声?」


スラウが首を捻った。


「ええ。ランジアには副次的な能力があって触れた物の記憶が見聞きできるのよ、過去と未来がね。それで……」


アイリスがランジアを見ると、彼女は髪を掻き上げた。


「会話を聞いたわ。それから姿も見えた。人間ね。10人は居たんじゃないかしら」


「つまり、捕らえられ、働かされている人間がいたのか……」


ライオネルの言葉にフィリップは相変わらず仏頂面を浮かべたままだった。


「でも、そこまでしてゾルダークは何を掘ろうとしていたの? 別に金脈が通っていたわけじゃないよ?」


スラウが尋ねると、チニは坑道を見回して答えた。


「彼の目的は金じゃない……もっと危険なものだよ」


「……?」


「僕らが地上界に降りる時にアーチを潜るでしょ?」


「うん」


「あのアーチに使われている鉱石は時空を歪める程の強大な力を引き出すことができるんだ」


「通称、時空の扉。それがこの山に眠っているのよ」


アキレアが補足した。


「知らなかった」


スラウは思わず呟いた。


「使いようによっては非常に危険なものでもある。ゾルダークが時空を歪め、地上界と魔界を繋げば、屍食鬼ししょくきや闇狼あんろうだけじゃない……もっと邪悪な生物がここを闊歩するようになるだろう」


「ここで働かされていた人たちはどうなったのかしら?」


アイリスが呟いた。

しばしの沈黙の後、アキレアが口を開いた。


「この鉱石は原石の状態では非常に強い毒気を放つの。すぐに解毒すれば命に別状は無いわ。けれど……」


「恐らくゾルダークは解毒せずに働かせていたでしょうね」


ランジアが言葉を継いだ。


「あ、ちょっと待てよ? 俺がトロッコで気を失っていたのって?!」


ラナンが思わず声を上げた。


「敏感になった感覚が毒素を感じたんでしょうね」


「でしょうね、ってランジア! 他人事じゃねぇぞ?! 俺だけじゃなくて、全員の身体に毒素が入り込んでいるってことだよな?!」


気まずい沈黙が訪れた時、不意にライオネルが立ち上がった。


「大丈夫。想定内だ。解毒剤を調合してある」


言うが早いか、それまでずっと黙っていたトニーがライオネルの手に飛びついた。


「早く! 早く寄越せ!」


彼は瓶をひったくると一気にそれを飲み干した。

飲み干してから周りの様子に気がついたらしい。

もじもじとして気まずそうに視線を彷徨わせた。


「あ、あの、その……」


「トニーさん、大丈夫ですよ」


グロリオは笑顔でライオネルから受け取った瓶を煽った。

一瞬、渋い顔をしたが再び笑顔に戻ると言葉を続けた。


「死にたくない。それは誰でも同じです。トニーさんの行動は当然のことだと思いますよ」


「あ、はい……」


トニーは小さくなって頷いた。


「それよりライ。薬の味、もう少し甘くならねぇかな。俺、苦いの苦手なんだけど」


「俺もできればそうしたいんだが……」


ライオネルは困ったように笑うと首を振った。


「……ガキが」


ハイドが空になった小瓶を振って呟いた。


「おうおう、ハイド! 今のは聞き捨てならねぇな! 誰が子どもだって?!」


グロリオが食ってかかった。

ハイドはしばらく小瓶を見つめていたが、徐ろに口を開いた。


「……訂正する」


「おっ?!」


期待する表情のグロリオ。


「小瓶以下だ」


「は?! え?! ちょ、ちょっと待て! もう人じゃないってことか?! つーかな、小瓶て言う方が小瓶なんだぞ! このむっつり小瓶!」


いがみ合う2人は突風に煽られて吹き飛ばされた。


「な、何すんだよ、フォセ!」


「ん? 喧嘩の仲裁」


文句を言うグロリオにフォセはつまらなさそうに髪をいじった。


「もう、ほら……立って」


見ていられなかったようでアキレアがグロリオを助け起こした。


「それで? これからどうするの?」


「そりゃ……いよいよ攻め込むさ」


彼の指差した先には巨大な要塞の影が伸びていた。

その遥か上に開いた穴から曇天の空が顔を覗かせていた。

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