五. 隠密行動①

荒野の空を大きなハゲワシが旋回している。

スラウは空を仰いだ。

ミレーの村がまだあった頃の空と今の空。

フィリップはあれから10年経ったと言っていた。

だが……地上がどんなに変わり果てても、空が変わることはない。


「スー。行くぞ」


フィリップが小声で突いてきた。

スラウは我に返ると彼に続いて岩陰から這い出した。

ゾルダークのいる要塞までは今まで潜伏隊を率いていたトニーに案内してもらうことになっていた。

曇天でも太陽が高く昇っている間は明るく感じる。

そのおかげか、闇狼あんろうも、咆烏ほううも今は見当たらなかった。



肩に乗っていたラナンが急にスラウのローブを引っ張った。


「あそこに何かがいる」


目を凝らして、草の間に隠れる小さな影をようやく見つけた。

背の曲がった小さな身体にぎょろついた黄色い瞳。

数本欠けているが、尖った歯と頭の先まで伸びた耳が特徴的だ。


「ゴブリン?」


「いや、屍食鬼ししょくきだな」


首を傾げるスラウにライオネルが口を開いた。


「身体はゴブリンよりも小さいが、鋭い爪と歯で獲物を引き裂き、その肉を喰らう。屍を主な主食とするが、空腹時には闇に乗じて狩もする非常に危険な種族だ。昼間のうちからここに居るとはな……」


「みんな! こっち!」


フォセが隊員たちを手招いた。

隣にはトニーが落ち着かなげに立っている。


「あの岩の下に扉があるの。分かる?」


目を凝らしたスラウは頷いた。

最初は岩の一部に見えて、なかなか見つけられなかったが、その陰に留め金の外れかけた錆だらけの鉄の扉が見えた。


「トニーさんが見つけてくれた隠し扉だって」


トニーは照れくさそうに頭を掻いた。


「い、いや、偶々見つけたんですよ」


グロリオは微笑むと彼の肩に手を置いた。


「それじゃ、行きましょうか」


***


扉が軋みながら開き、パラパラと足元の小石が暗闇に吸い込まれていった。

グロリオは扉の奥に顔を突っ込むと、皆に待つように指示を出し、崩れた階段をひょいと飛び降りた。


指を軽く振って指先に火を灯して掲げる。

坑道が続いているようだ。

古びたシャベルやバケツが散らばっている。

もう1度左右を確認すると上で待機している隊員たちに合図した。


「よし、全員揃ったな」


グロリオはそう言うと全員に向き直った。


「突入する前に、ある程度の位置関係を把握した方が良いだろう。ハイド、チニ、フォセ、アイリスとランジア。悪いが、この先の通路の下見をしてきてくれ。無茶だけはするなよ。ある程度分かったらここに戻ってきてくれ。俺たちはここで待っているから。侵入は慎重に、隠密にしないとな」


「当たり前だ。お前ほど馬鹿ではない」


「なっ?! 人が心配してやったのに!」


ハイドは唖然としているグロリオに背を向けて去っていった。

フォセたちはニヤリと笑って手を挙げると彼に続いて通路に消えた。


「さて! むっつりバカもいなくなったことだし、俺たちも行動しようかっ!」


グロリオがふてくされ気味に言った。


「ここは坑道だ、ランタンくらいはあるだろう。まずはそれを探して……それからここを調べよう」


グロリオの言葉で残った者たちは一斉に散らばった。


ひしゃげたバケツをひっくり返したライオネルは首を振ってそれをガラクタの山に戻した。


「おい」


突然声をかけられて振り向くと、フィリップが立っていた。


「お前ら、何者だ?」


「……何が言いたい?」


「た・ま・た・ま・狼に襲われた仲間が瀕死にならずに済んだ。た・ま・た・ま・突風が吹き荒れ、狼の群れが吹き飛ばされた。何が起こっている? お前たちは、スラウは……何者なんだ?」


ライオネルはしばらく沈黙していたが、徐ろに口を開いた。


「俺たちは人間だよ」


「は?」


「君たちを地上界に住む人間、地上人とするなら、俺たちは天上界に住んでいる人間、天上人だ」


「天上……人……?」


「あぁ。ただ、俺たちは、半分は天使の血を継いでいる。君の周りで起こった偶然はその力によるものだ」


「じゃあ、スラウもその……「天上人」ってやつなのか?」


フィリップは、まるで初めてスラウを見るかのようにまじまじと彼女を見つめた。


「唐突なことで驚くのも無理はない。だが、彼女もその資質を持っている」


フィリップはそうか、と低く呟いたきり黙り込んでしまった。


「スラウ?」


アキレアは首を傾げた。

スラウが大きな木の箱に片足を突っ込んだまま固まっていた。


「どうしたの? ぼうっとして」


「あ、いや、な、なんでもないよ……」


スラウは慌てて首を振った。


「ねぇ、もしかして……」


アキレアはぐいと顔を寄せた。


「彼に気があるんでしょ?」


目線の先には話をしているフィリップとライオネルがいた。

スラウの顔がみるみる赤くなっていくのがこの小さな明かりでも分かる。

アキレアは彼女の肩を小突いた。


「べ、べつに、そ、そ、そういうのじゃない……よ」


次第に消え入りそうになっていくスラウにラナンが思わず振り向いた。


「え?! まじ?!」


「そ、そんなんじゃないってば!」


スラウは慌てて否定した。


「でも……」


「でもぉ?」


思わず口をついて出てきた言葉に、2人がにやにやしながら聞き返してきた。


「でも! ひ、久しぶりに会ったら……背も伸びてるし凛々しくなったなぁって思ってさ……私なんて全然変わらないのに」


スラウは自分の身体を見下ろした。


あの日、天上界に来た日から自分の身体は少しも成長していない。

でも同じ年のフィリップは見違えるように変わっていて、ずっと育ってきた故郷も変わっていて……


「何か、私だけ置いてかれちゃったみたいだなって」


ラナンとアキレアは気まずそうに目を合わせた。

天上人は地上界に住む人間よりも永く生きる。

理由は諸説あるが、天上人の身体的な成長は非常に遅い。

力が開花したスラウの成長が止まってしまったように感じるのも無理はない。

天上界に居る間は時間の流れというものはあまりにも遅く、それを意識することはない。

だが、地上界では……

アキレアはふと微笑んだ。


「時をどれほど経ても彼は彼だし、スラウはスラウでしょう?」


「そう……だよね……」


スラウは何気なくフィリップの方を見た。

その時、彼もこちらを見て2人の視線がかち合った。


「……っ!」


妙に意識してしまい、勢いよく顔を背けた瞬間、バランスを崩して箱の中に倒れ込んでしまった。

思わずアキレアの袖を引っ張った為、彼女も箱の中に倒れ込んだ。


「いたたた……」


頭をさすって起き上がった時、ガタンと箱が大きく傾き、2人は再び尻餅をついた。

次の瞬間、箱は勢いよく通路に飛び出した。


「きゃぁぁぁぁぁっ!」


「あ! おい!」


ラナンが慌てて追いかけて箱の中に転がり込んだ。


「何?! 何が起きているの?!」


アキレアが身を乗り出して後ろを振り返った。


「トロッコだったんだ!」


ラナンはガタガタという音に負けじと叫んだ。

「地面を見てみろよ! レールが敷かれているだろ?」


「戻れないの?!」


「分かんねぇよ! こんなの初めてだ! スラウ、何とか言えよ!」


スラウは真っ青な顔をして黙っていた。


「大丈夫か? そんなに気にしなくて良いぞ? 戻れるだろうし……」


「違うの……」


消え入りそうな声に2人は耳を近づけた。


「気持ち悪い……」


「マジかよ! ちょっと待て! 今、スペース作ってやるから!」


ラナンはそう言うと慌てて動物の姿になった。


「うぉっ……! この姿だと感覚が敏感になりすぎて……目を回しそう……だ……」


「ラナンまで?! しっかりしてよ!」


アキレアは気を失った2人を揺り動かした。


「どうしよう?!」


「アキレア!」


声に振り向くと別のトロッコが追いかけてきていた。


「グロリオ!」


「大丈夫か?!」


「えぇ、私はね。でも、この2人が目を回しちゃって……」


「分かった! ライ、頼む!」


ライオネルが印を結ぶと木の枝が伸びてきて、アキレアたちの乗るトロッコと繫いだ。


待ってろ! 今行くから!」


グロリオはトロッコの前部分に付いている金属を掴んだ。

手から炎が噴き出し、鉄が赤い光を放った。

2つのトロッコがぶつかり、熱された金属がくっついた。


「トウッ!」


グロリオは叫ぶとアキレアのいるトロッコに転がり込み、彼女の澄んだ瞳を覗き込んだ。


「君が窮地に陥っている時、例えそれが世界の果てだろうと飛んで行くさ。もう俺から離れるなよ」


「グロリオ……」


「アキレア……」


手を取り合い、良い雰囲気になっている2人にライオネルが声を掛けた。


「これ、どうやったら止まるんだ?」


「いや、分からん」


「レバーだ!」


ライオネルの後ろからフィリップが顔を出した。


「前を探ってみろ! 細長い金属がついているはずだ! それで方向転換もできる!」


「これか! 随分錆びついているな……どう動かすんだ?」


「グロリオ! 前! 前!」


アキレアがグロリオの袖を引っ張った。

壁が迫っている。


「横に倒せ!」


フィリップの声にグロリオは慌ててレバーを引っ張った。

ガガガッ――

トロッコの側面が壁に擦りつけられながら勢いよく曲がった。


「よ、よし! 何とか乗り切ったぞ……」


「待ってグロリオ! 前見て!」


「アギャァァッ!」


グロリオの叫びが細い坑道に響いた。

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