四. 襲撃

「……そうだったのか」


重たい沈黙を破ったのはライオネルだった。

グロリオは空を睨んだまま、ズボンを強く握りしめている。


「獄焔ひとやのほむら……かつてゾルダークが光の領域を攻めた時に使われ、多くの死者を出した」


「えぇ」


グロリオの言葉にアキレアが頷いた。


「見る者の恐怖を掻き立て、それを糧として威力を強める。呪われた焔……」


だからか……

ライオネルは内心で頷いた。


初任務に同行した時、彼女は見張りにつきたがった。

責任感を1人で背負いこんでいるのかと思っていたが、この時の恐怖のせいで火の傍に来ることができなかったのだ。

フィリップは小さく身じろぐと口を開いた。


「当時、俺たちは村で何が起きていたのかなんて知りもしなかった。だが……再び戻った時には、ここは既にそうなっていた。ゾルダーク・エリオットと名乗る男の名が囁かれ、得体のしれない生物が闊歩するにはそんなに時間はかからなかった」


スラウはふと思い立って尋ねた。


「ねぇ、ハリーおじさんは? どこにいるの?」


フィリップの表情が一瞬凍りついた。


「まさか、ゾルダークに……?!」


思わず呟いたチニを睨んだフィリップは立ち上がると、物言いたげなスラウの頭に手を乗せた。


「親父の話は別に良いだろ……お前はそいつらと帰れ。故郷なら俺が必ず取り返す。お前の存在は邪魔でしかない」


「何よ、その言い方?!」


フォセが頬を膨らませた。


「あなた、スラウの友だちでしょ?! 何でそんなこと言うの?! ほんっと信じらんない!」


フィリップに冷たい視線を向けられ、フォセはライオネルの後ろに隠れた。


「当たり前だ。これはお遊びじゃない。俺は命を懸けて故郷を奪回しようとしている。友人だろうが、家族だろうが、邪魔なものは邪魔だ」


「まぁ、ちょっと待てよ」


グロリオは遮るとゆっくりと腰を上げた。


「別に俺たちは君の邪魔をするつもりはねぇ。だがな、1つ忠告してやる。ヤツは人間じゃねぇ。生半可に攻め込んでも死ぬだけだぞ」


「人間じゃねぇ? 何を根拠に……っ?!」


フィリップが声を荒げた瞬間、上空で甲高い音が響いた。

スラウは思わず耳を塞いで空を仰いだ。

灰色の空に黒い生物が大きく旋回している。


「ほら、おでましだ……何羽だ?」


グロリオに尋ねられ、フォセは目を閉じた。


「5……6……7、7羽!」


「ライ、そっちは?」


グロリオはいつの間にか茂みの向こうに姿を消していたライオネルに声を掛けた。


「足跡がまだ新しい。群れが4、5ってところだな」


「ここにはどれくらい居るの?」


「一昨日の夜に来たばかりだ」


フィリップはアキレアの問いにやや困惑しながら答えた。


「来たばかり、ね……彼らにとっては十分すぎるほどの時間だわ」


ランジアの顔が険しくなった。

その瞬間、遠くで男たちの叫び声が聞こえた。

獣の咆哮も聞こえてきた。

スラウは反射的に顔を上げた。

この声を知っている……


「闇狼あんろうだ! 急げ!」


グロリオを先頭に隊員たちが走り出した。


上空には2つの頭を持つ烏が旋回していた。

この鳥の鳴き声は2種類ある。

1つは普通の烏と同じだが、もう1つの声を聞いた者は立っていることはおろか、息すらもできなくなる。

烏は身動きできなくなったその獲物を集団で襲うのだ。

烏たちが本当に「鳴き」始める前に仕留めなくてはならなかった。


『我に宿りし、火の力よ! 大空に咲く赤き花となれ、曼珠沙華!』


アキレアがそう唱えて矢を放った。

天に放たれた矢の先が赤く輝き、先端に炎の花が現れた。

火花を散らしながら飛んで行った矢は鳥を包み込んで燃やした。


『風鎌!』


風の渦がフォセの手を離れ、鎌のように曲がって鳥に襲いかかった。

ドサドサと鳥たちが落ちてくる。

間一髪で攻撃を逃れた最後の1羽が大きく羽ばたいて逃げようとした。


「ラナン!」


「おう!」


ラナンが指を動かすと、薄い青色の膜が広がっていき、小さな立方体が鳥を包んだ。


「行くぜ!」


ラナンの指が軽やかな音を立てて鳴ると、それに合わせて立方体が空中を転がり始めた。

烏は転がる檻の中に捕らわれたまま、彼らに突っ込んできた。


「いっけぇ!」


フォセが迎え撃つように風の渦を飛ばした。

滅茶滅茶に破壊された檻の中で黒い羽が舞った。


***


スラウはうめく男性の腕を肩に回して立ち上がらせた。

左ももが大きく裂け、ズボンに血が滲んでいる。

闇狼に噛みつかれたのだ。


「大丈夫ですよ」


そう元気づけ、自分より大きな身体を引きずるようにして茂みを掻き分ける。

獣の咆哮が聞こえ、スラウは後ろを振り返った。

グロリオ、ハイド、ランジアが闇狼の群れを引き付けている間に、負傷した人たちを保護するのがスラウの役目だった。

ライオネルが薬を調合して待っている。


崖に背を向けるようにしてチニが防壁を築いていた。

既にフィリップやスラウに運び込まれた人々が座り込んでいた。

チニはスラウの姿を見つけると手を下ろした。

ゆっくりと壁が薄れていく。

スラウが男性を壁の向こうへ押しやるとアイリスが手を伸ばし、男性の肩を支えた。


「スー! 1匹、そっちに行ったぞ!」


フィリップの声がした瞬間、茂みから黒い獣が飛び出してきた。


『我に宿りし光の力よ、我に力を与えよ! その力でかれを清めん、浄化!』


スラウが唱えながら剣を振り下ろすと、金色の光が狼を斬った。

狼は身のよだつような声を上げてひっくり返ると光に包まれて消えていった。

すぐに茂みからフィリップが飛び出してきた。


「スー! 大丈夫か?!」


彼はけろりとした顔で立っているスラウをまじまじと見て首を捻った。


「あれ? 狼は?」


「え? あ、狼ね! えっと……何か、そのまま崖の向こうに落っこちちゃった」


スラウがぶんぶんと手を振ると彼はそうか、とだけ呟いて茂みの向こうへ引っ込んでしまった。


「あ! フィル、待ってよ! 私も行く!」


スラウは慌てて茂みに飛び込んだ。


狼たちによる襲撃は夜明けまで続いた。

グロリオたちが狼と対峙している間、スラウたちはチニの築いた防壁の中で待機していた。

彼の防壁は隊の中で最も強力なものだと聞いて安心した。


「朝日だ」


フィリップの言葉にスラウは思わず顔を上げた。

崖の下に広がる荒野のはるか遠くで、紫色の空が金色の光を帯びていた。


「闇狼あんろうは太陽が苦手なんだ。もう襲ってくることはないはずだよ」


チニが安堵の溜め息を吐いた時、狼の遠吠えが聞こえた。

思ったよりも近いところから聞こえる。


「まだ残ってるみたいだね」


スラウは呟くと茂みににじり寄った。

だが、茂みの向こうから襲ってくる気配はなかった。

思わず首を傾げた時、背後で叫び声が上がった。


「狼だ! 狼が崖を上ってきてる!」


「今、行きます!」


思わず振り返るスラウに、茂みから飛び出してきた獣が飛びかかった。


「スラウ!」


フィリップが叫んで、その爪を弾き返した。

茂みから現れた狼の群れは低く唸りながら2人を囲んだ。


その瞬間、崖の方から風が吹き込んできた。

咄嗟にスラウはフィリップの肩を掴むと地面に伏せさせ、もう片方の手を突き上げた。

スラウの手から広がる光は2人を覆う盾になった。


「スー! 何だよ、急に?!」


フィリップが立ち上がろうとするので慌てて引き留める。


「今は立っちゃダメ!」


「は? え、何?!」


「良いから!」


彼の頭を押さえつけたまま防壁越しに見ると、風に煽られた闇狼あんろうが吹き飛ばされ、木に打ちつけられるのが見えた。

風がおさまったので盾を消して立ち上がる。


「うわっ……」


思わず声が漏れた。

自分たちの居た場所を残して地面が大きく抉られている。

後ろの木々は根元から折れて互いに寄りかかっていた。


「スー、いきなり何なんだよ……」


フィリップは腰を上げかけたまま凍りついた。


「何だこれ?!」


「みんなぁ、大丈夫?」


フォセが崖をよじ登って顔を出した。


「フォセ! これが大丈夫に見えるの?!」


チニがピシッとこちらを指差した。


「ん?……あ! スラウだ! なぁんだ元気そうじゃん」


「そうじゃなくて!」


「……何か問題あるの?」


フォセはきょとんとした顔で首を傾げた。


「全部倒せたから良いじゃん」


「……」


言葉を失うチニの肩を叩き、アキレアはアイリスの元へ向かった。


「アイリス、そっちはどう?」


「随分、負傷者が出たわ。でも、毒が回る前に治療したから大丈夫よ。ただ……」


そこで言葉を切ったアイリスは、茫然と座り込んでいるフィリップに目をやった。


「……故郷の奪回は諦めた方がよさそうね」


フィリップはゆっくりと立ち上がると負傷者たちのところへ向かった。


「大丈夫か、お前ら」


「えぇ。何分、彼らの手当が早かったものですから」


皆、さり気なさを装って深緑色のワンピースに身を包んだおさげ髪の少女を見つめている。


「それにしてもあの狼、何だったんだろうな?」


1人が思い出したかのように口を開いた。


「突然、転がり落ちていったもんな」


「昨日雨も降ったし、ぬかるみで滑ったんだろ? その証拠にほら、崖が崩れてる」


「そんなことより……お前ら、行けるのか?」


フィリップは脱線しかけた会話を戻した。

皆、互いに顔を合わせると気まずそうな表情を浮かべた。


「フィリップ様……申し訳ございません……あと数日、痺れは残ると言われまして……」


「そうか……」


「申し訳ございません。フィリップ様がずっとお望みのことでしたのに、我々のせいで……」


「気にするな」


フィリップはぞんざいに手を振った。

彼らの釈明もろくに耳に入ってはいなかった。


何かがおかしい……

偶々全ての狼が足場を失い、偶々突風が吹き荒れて群が全滅するなんて、余りにも偶然が重なりすぎている。

彼らと会って以来、得体のしれない何かが起きている気がする。


「おいおい、ひでぇなこりゃ……」


草を搔き分けて青年が現れた。

日焼けした肌にくしゃくしゃになった赤い髪。

グロリオと呼ばれていた青年だ。


「フォセ、また派手にやったな」


グロリオはわざとらしくしかめ面を作ってフォセに近づくと彼女の金色の髪を力いっぱい掻いた。


「もうっ! やめてよ!」


フォセは膨れ面で彼を見上げると手を払った。

グロリオは楽しそうに笑っていたが、近づいてくるフィリップに気がついた。


「あ、フィリップ君。怪我は?」


「……おかげさまで」


「去れ、死ぬぞ」


グロリオの横に立っていた黒髪の青年が口を開いた。


「ハイド。いきなりそれを言ったらまずいだろ……」


金髪の青年が諭した。

おさげ髪の少女と一緒に怪我人の手当てをしていた奴だ。

そう考えるフィリップの思考が読めるのか、彼はニコリと笑ってみせた。


「紹介、まだだったよな? 俺はライオネル。傷口は塞いだが、回復には時間が必要だ。敵方に場所もばれている。これ以上の被害を出さないためにもここを去るべきだ」


フィリップは思わず拳を固めた。


「ふざけんな! 俺たちは! 命懸けでここまで来たんだ! こんなところで引き上げるわけにはいかねぇんだよ!」


「別に止めないわよ。私たちはただ、これじゃ死にに行くようなものだって警告してるだけ」


黒髪の少女の淡い緑色の瞳がまっすぐにフィリップを射抜いた。


「ランジア、少し言い過ぎよ」


アイリスが諭した。


「手負いの仲間を巻き込むほど俺は馬鹿じゃねぇ……俺が1人で行く!」


「フィリップ様! おやめ下さい!」


男たちから声が上がった。


「お考え直し下さい! 奴の成したこと、あなた様もご覧になったでしょう?! あなた様、おひとりでなんて……!」


「だから何だ?!」


フィリップは声を荒げた。


「今、行かなくてどうする?! この機会を逃せばもう2度とチャンスは無いんだ!」


「待ってよ、フィル!」


スラウは思わず叫んだ。


「何も1人で行かなくて良いじゃん! ここは私の故郷だよ?! 私も行く!」


「おい、スラウ! 無茶だ! よせ!」


ラナンが尻尾を立てた。


「仕方ねぇな……」


ポリポリと頭を掻くグロリオにアキレアが思わず声を上げた。


「ちょっとグロリオ?!」


「俺だって、俺たちがゾルダークを倒せると奢ってはいないさ。だが……ここから追い出すことくらいはできるかもしれない」


「つまり、俺たちが奴の居場所を掴んでいることを示して圧力をかけると?」


ライオネルは呟くと顎に手をやって考え込んだ。


「でもね、グロリオ。今回は任務じゃないのよ? ラナンの言う通りだわ。情報だって十分にはないし……」


心配そうなアキレアにグロリオは微笑んでみせた。


「確かにアキレア、君の言う通りだ。でも俺たちは……その無茶をいつもやってただろ?」


「仕方ないわね」


アキレアが大きく溜め息を吐いた時、突然ハイドがフィリップの喉元に剣を突き出した。


「……っ!?」


フィリップが寸手のところで避けると、ハイドはふと力を抜いて剣をおさめた。


「おい、てめぇ! 何のつもりだ?!」


フィリップはハイドの肩を掴んだ。

今のは本気だった。

自分が避けなければ串刺しになっていただろう。

彼はフィリップの手を払いのけると静かな瞳で見下ろした。


「試しただけだ」


「はぁ?!」


「あぁ、わりぃな。うちのむっつりバカが……」


グロリオが慌てて割って入るとハイドの腹を叩いた。

「コイツなりに心配してんだ。簡単に命を懸けていないかってな」


ハイドはグロリオの拳をおざなりに払ったが、対するグロリオは白い歯を見せて笑うと言葉を続けた。


「「命を懸ける」――それだけの覚悟があるっていうのは良いことだ。だけどな……生きる闘志を持たない奴は勝てない。命の重さを知らない奴は勝てない」


フィリップは鼻で笑った。


「ハッ! がたがたうるせぇよ……命の重さくらい分かってらぁ」


「ま、待って下さい!」


その時、座り込んでいた男の1人が声を上げた。


「お、俺も行きます! 俺は皆さんに比べたら怪我も軽い」


「トニー、お前……!」


「偵察隊だって任せてもらっているんだ! この辺りは誰よりも知っているつもりです!」


フィリップはしばらく彼を見つめていたが、つと息を吐いた。


「そうだな。一緒に行こう。じゃあ……俺が居ない間、あの人たちを頼む」


他の男たちはフィリップの言葉に深く頷いた。

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