物語にとって、理論と好きは相反する存在
お久しぶりです星浦です。
カクヨムでの活動はあまりしていなかったりするんですが、一応新作の小説は書いていました。それがとりあえず推敲前ですが書き終わったので、こっちでも新作に挑戦して気づいたことについて書き残そうと思います。
(私はある程度、目標や狙いを考えて新作を書くようにしていて、そこで試してみないことには、それが効果的なのか判断がつかない人です。故にここの更新も新作を書き終えたタイミングが多くなり、更新自体は3か月や4か月に一回程度になりそうです)
さて、前置きはこれぐらいにして、今回、4か月かけて私が気づいたことについて書きますね。
まず、私が新作を書こうと思って挑戦した点から話しますね。
***
一つ目は、序盤の書き方についてです。
何度か挑戦した結果、私が序盤で必要だと思う要素が見えてきたため、それをまず満たしている作品を書くこと。
具体的に上げると、
A 物語の事件の始まりであること(この物語の目的と、どのような面白さを持つ物語なのかを読者に提示すること。これにより統一感が出る)
B 描くべき魅力はシュチュエーション的面白さであること(面白い状況と言うのは面白さの足が速いため。面白い場面を書くというのを重要視する)
このAとBを含む序盤としました。
***
そして、二つ目は、自分の面白いと思っている要素は、本当に物語に必要なのかを探ることです。
私は今まで、理論的に面白いポイントを押さえれば、どんなプロットでも面白い傑作になるのではないか? と考えており、自分の最高の雛型さえ用意できれば、それによって面白い作品を無限に作り出せるのではないかと考えていました。
故に、それが本当かどうか――確かめたかったんですよね。
具体的に何をしたのかというと、以下の2点です。
A 私が面白く必須だと思っていた好きな要素である〝命懸けの戦い〟と〝SF要素〟に頼らないで雛型は変えずに作品を書いてみる。
(命懸けの戦いは、無くても面白い作品と言うのはいくらでも存在しているため。SF要素は、どうしてもその説明が必要となり、説明と言うのはつまらなくなりがちで読者を選ぶというマイナスポイントがあるため)
B 最終的に人と人の繋がりが物語の根幹なのであれば、他の要素を削り、主人公とヒロインの関係を主軸に描き、ページの大半をそれにつぎ込むことで関係性を今までの作品よりも強化する。
***
さて、序盤の強化は良いとして、二つ目の目標(雛型が完璧なら面白い作品が描けるかを確かめること)は、今にして思えば、本当に愚行だったと思います笑笑
書き終えて分かったことではあるんですけれど、私がこの目標を立ててしまったのは、自分に自信が無かったからだったのです。
三年半ほど長編を書き続けてきましたが、私にはまだ受賞歴どころか電撃の一次選考すら通ったことがありません。人気の異世界転生というジャンルを使っても、カクヨムやなろうで読者を獲得することができませんでした。
そういった対外的な要素において、私はまったく評価されておらず、素人同然と言っても過言ではありません。
それゆえに、私は臆病になっていたんだと思います。
自分の好きな要素と言うのは、他の人にとってまるで面白くない要素だったのではないか、と。私の感性が間違っているのであれば、もっとマイナスのない作品を書くべきで、評価されそうな作品を書くべきなんじゃないかと、考えてしまっていたようです。
そして、私は今回書き終えた新作が面白い作品になるのか、不安を抱えたまま執筆を始めていました。恋愛を主軸にもってくること自体が初めての試みではあったんですが、それを考えても書き終えるまでに4か月もかかったのはその不安で苦しかったからだと思います。
自分の好きというモノに自信がないから、理論的に間違いのないであろう指針を信じて、それに逃げたのです。
さて、ここまで書いているので察しはつくかも知れないのですが、私が結果的に新作を書き終えて得たものは――理論だけでは物語の面白さを完璧に引き出すのは不可能であるという事実でした。
いや、正直に言うと、最高の雛型があれば最高の物語を量産できる……というのは間違いではないと思います。
しかし、最高の物語、というのがネックで、その形は一つだけではないのです。
当たり前の話ではあるんですが、理論的に面白い作品と言うのは間違いなく存在しますが、それ以外にも面白い作品を書く方法は存在します。
その一つが、やはり趣味趣向。
作者の好きという曖昧な要素は、理論に匹敵する面白さを持っている。
例え説明が必要で人を選ぶようなジャンルの好みであったとしても、それは理論と双璧をなすほどに物語を輝かせることが可能であるという事。
で、それに気づいたのが……実はまた格闘ゲームをしていた時のことでした。(書くの苦しくてゲームに逃げてました大汗
格闘ゲームって、実は強さの種類が大まかに二つ存在しているのに気づいたんですよね。
一つは、〝システム〟的な強さ。
これっていうのは簡単な話で、強い技をふっていれば、そのままリターンが取れて強いってことです。分かりやすい話をするなら、相手の技が届かない距離で飛び道具の波動拳を打つと絶対に有利である、とか。
システム的に強い技っていうのは絶対的な正解であり、その技を使うことを否定する人はいませんし、強い技があるならそれを主軸に戦いを組み立てるのが基本です。だって強いのですから。
さて、それと双璧をなす格闘ゲームのもう一つの強さっていうのが、〝読み〟の強さです。
分かりやすい話をするなら、起き上がりに昇竜拳を出すのか、出さないのか。
昇竜拳によって相手の起き攻めを潰せれば危機を回避できますが、それを読まれてガードされれば、高火力のコンボをもらって負けることもあります。
昇竜拳っていうのは、間違いなく強い技ではあるのですが、リスクが物凄く大きい技なんですよね。
しかし、どれだけリスクのある技でも、昇竜拳を打たない人はいません。そして、昇竜拳を打つのは格闘ゲームにおいて間違いではありません。なぜなら、昇竜拳という技は、ガードされるリスクを背負って、それでも自分の曖昧な〝読み〟というものを信じて通すことで、初めてリターンを得られる技なのですから。
……どこかで聞いたような話だと思いませんか?
これって、私が悩みに悩んだ、物語の構造と同じなんですよね。
理論には間違いなく正解と不正解があります。
正解を選ぶのは正しいことです。
しかし、〝好き〟に正解は存在しません。
だからこそ、自分の曖昧な〝好き〟に対して自信を持つことは、本当に難しいことです。
しかし、逆に言えば〝好き〟に間違いはないんです。
自分が好きと思う要素というのは、その時点で全てが正解です。
例えリスクが見えていたとしても、それを上回るリターンの存在する要素なのです。
大切なのはリスクを恐れることではなく、リスクを知ったうえで、それでも自分の好きというモノを信じて物語にぶち込んで、理論を超えるものを書くこと。
考えてみれば、私が最近、読みやすさに文体を変えていたのは、読みにくいというリスクを恐れての行動でした。これも上記の話と同じです。リスクが恐いのは当然で、自分の曖昧な良い文章というのが信じられない。
しかし、その文体が好きならば、そちらを選ぶべきでした。
自分を信じて、リスクを受け入れて、その上で〝好き〟を物語に含むことが――理論を超えるものを書くために必要なのだと、私はようやく身をもって体験できました。
……正直に言って、今回書いた新作はあまり良いできではないと自分では思っています笑
でも、この新作に挑戦して良かった。
今まで散々苦手だと思っていた序盤だけで言えば、新作が一番面白いのは間違いないし、私の悩みを解決してくれました。
新作の犠牲に感謝を。
まだ何にも考えていないんですが、次は絶対に、もっと面白いものが書ける自信があります笑
喉のつかえがやっと取れたような気がしていて、私は元気です笑
みなさんも執筆を続けて様々な悩みがあるでしょう。
とても大変な道です。
でも、それだからこそ、面白い。
皆さんも執筆活動――頑張ってくださいね。
お互い、頑張りましょう!笑
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます