句霊喪唖

エリー.ファー

句霊喪唖

 プロになるなど馬鹿げていると思うし、そのことに関しては、心の底から同意する。

 しかし、それでもこれを始めて、これにのめり込んでいったという事実があるのだからここから出ることはできない。これが、すべてであり、これ以上のものは存在しないというのが僕の人生だ。

 寂しい限りだが、しょうがない。そして、その寂しい限り、というのはあくまで僕を外から見た人間の評価であって、僕が僕に対して行う評価とは程遠い。

 僕は満足だ。

 これ以上ないほど人生は充実している。

 元々、句霊喪唖というのは平安時代に生まれた囲碁を元にして、消失系遊戯と言われている。囲碁のような陣取り合戦の様相が、醜いことや、将棋のように、動きが決まっていてルール自体が分かりやすいものとは違い、非常に状況が不明瞭かつ抽象的。感覚的な部分がより表立ち、あくまである程度知能の高い者の遊びとして生まれ維持された経緯があることから、毛嫌いする者も多かったと聞く。

 句霊喪唖はその穴埋め的な役割をしたゲームだった訳だ。

 純日本産のゲームというわけではなく、駒の形や、動かし方などは将棋というよりもチェスであり、マス目などの判断や思考の種類はバックギャモンなどを参考にして作られたのではないか、と言われている。囲碁としての性質は正直、最初だけであり、文化として発展し多く遊ばれるようになってからルールなどが大きく変更された経緯がある。これにより、旧句霊喪唖、新句霊喪唖の二つが存在し、今のところ競技者人口が多いのは当然、新句霊喪唖。ただし、旧句霊喪唖は競技者人口の数こそ少ないものの、日本では多くの祭礼などの儀式として使われている側面がある。例としては新潟にある、西原井町では、過去に下村と凪村の二つの村の長が一年に一度句霊喪唖で対戦し、負けた方が勝った方の要求を飲み農作業の手伝いを行うという取り決めがされていた、とある。今では、当然、そのようなことはなくなったが、それでも、西原井町の町長選挙で、同数票になった場合は句霊喪唖で町長を決める、というのが決まりとして残っている。ちなみに、その句霊喪唖も旧ルールで行われる。

 現代では、この句霊喪唖は数少ない日本古来から続くテーブルゲームとして愛され、幾つかの高校や大学では、特別科目、特別講義という名目で触れる機会を設けている。多くの人はこの中で初めて知ることになる。

 私はこの句霊喪唖でプロを目指しており、今現在、京都の三千条館で修行の身である。同じ階位の者が関西でも約千二百人。この中で毎年プロに上がれるのが二百人。プロに上がったとしても一年以内に四十戦行い、半分以上勝てない場合、つまり、勝ち越しができなかった場合は、プロになれたという実績も剥奪され、またこの三千条館での修行を行わなければならない。ちなみに、ここでかかる費用に関してはすべて税金で賄われているため、私たちプロを目指す者たちからすれば非常にありがたいことこの上ない。ただし、この句霊喪唖という競技によって生まれる経済的な利益が、余りにも低いことが問題となっており、少しでもいいので寄付金という名目でお金を徴収するべき、と少しずつではあるが方向が変わりつつある。

「それでは、句霊喪唖。午前八時より開始いたします。同階位の皆さんは所定の位置でお待ちください。」

 今日も同じアナウンスを聞き、同じように進み、同じように指す。

「それでは、始めてください。」

 句霊喪唖の駒たちが甲高く、金属片をまき散らして鳴り始める。

「よろしくお願いしますっ。」

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