第8話 自鳴琴

雨の冷えきった風が吹き付けられる。

警察の方と話している間に台車の音が背後にながれる。きっとその音の正体は咲が招いた出来事で、その本人は息を引き取って目を閉じている。悲観にも首には電気コードのようなものだと思われる赤い線を遺しながら…


目をつぶっている姿を想像すれば、彼女がどんな想いを抱いて命を閉じてしまったのだろうと自分達を責めてならない桜久良と湊である。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


冬を越えてようやく咲き満ちた桜も花弁を全部落とし人間に踏まれ千切れている。そんな哀しみよりも深い悲しみにある黒い参列者はまだ若い女性の遺影を観ては嘆く。私たちは命は取り戻せないと散々学ぶのに、一向に人が死ぬとこの世に居ないことに一度は説教してしまう。その人は人生を全うしたというのに。


居合わせている湊はどこか遥か遠い意識の上で遺影を眺める。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


「俺は…事件簿の主人公じゃないんだぞ……」

間に合わせで買ってきたお弁当の隅をつつきながら米粒を箸の先端でつかんで口元を緩めた。

「こんな話で悪いんだけど…咲とはどこで知り合ったの。いつから喧嘩のようなやり取りが始まっていたの?」 と、取り替えてもらった綺麗な割り箸をおいた桜久良。苦笑いのように目を細くしながら繊細に物事を話す姿をみて抱いていた想いとは違うと考えさせられた。


咲と湊の出逢いは、ある出来事が切っ掛けが始まりだった。

『それは自分のファンが始まりだったんだ…。母らしき人が出て行き、父も連絡が途絶えたまま顔を見せなくなったあの日から俺は鬱々していた。俺の人生は何だろうって。誰のためにあるのだろうって。自分が唯一手にしていた携帯が最期の取り柄になったとき、面白半分でネットに顔を出したんだ。あの頃は自分は世界が広いことなんて知らなかったから、出すだけですぐバレると思ったんだ。罵声だとか非難とか浴びさせられるだろう、だけど死んで父を呼び寄せるぐらいなら一度だけ顔をみて人生の進路を考えようって…。実際にはそんな恐怖心は別物だった。初めはこの米粒のような少なさが次第には膨れて大きくなってきた。自分が使ったアプリもあってか、自分で思い込ませるために使った「イケメン」という単語がトレンドになり首位をとるようになった。その頃には俺もファンと呼べる仲間に助けられて元気になった。その頃だった。仲間に元気な姿を見せて恩返ししたいと、海での配信をしようと出掛けたときファンの子に出逢った。でもその子はあまりにも俺に溺愛過ぎて、まだ握手する勇気も必要性も準備出来ていない自分が断ったその日……そのファンの子は海に身を預けた…。その子が発した黄色い声を覚えている。そして、その子の身をみて悲鳴をあげていた周囲の声を覚えている。態勢のない俺が膝付いたとき、咲が駆け付けた……。助けが必要な目の前の女性よりも、ただ目を見開いているこんな自分に………』

『…咲からは何も聴いていなかったけれど、そんなことが』

『咲はなんにも悪くなかったんだ…。本当に何も悪くなかった。

俺はそのあと配信で顔を出すのを自粛をしたんだ。それに咲とあの日に出逢って色々とお世話になり始めたんだ。携帯を弄るのは悪いなという心構えからだったけれど、そのお陰で彼女がいる大切さや幸せを感じた。仕事も順調になり配信の必要性もなかった。だけどどうしても拭えないものがあった、………、』

『…なに?』

『独りで居ること。寂しさを埋めるためには戻りたくなかったけれど、確実なものがそこにはあったんだよ。配信をすればコメントも投げ銭もしてくれる。俺は生きているんだって。でも配信後にはいつも咲にバレた。通知登録していたら気付くのは当たり前だけも。咲は怒鳴る。「もう配信をしないで」と。そうしているうちに咲は俺に嫌がらせをしているかのように感じる“水回り”の問題が起こり始めた。ピークだった。我慢が出来なかった。でも一緒に居たかった。彼女の寝顔を何度観ては、反省の言葉が溢れた……咲は自分が殺したんだ…桜久良さんの大切な友人を、僕は殺しちゃったんだ』


目薬をさしていたのかと思うような粒が、黒い影となって立ち尽くす男性の瞳から垂れ落ちる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る