雨には何も隠せない
明日
雨には何も隠せない
「外に行く」
それだけ言って駆け出した彼女を、私は慌てて追いかける。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。様々な感情が激しく明滅する。なのに一部だけやけに冷静で、つい先程起きたことを何回も繰り返し再生していた。
今でも鮮明に思い出すことができる。
告白を断った彼女の、細い背中に這ったあいつの太い指を。それがぐっと歪んで、白いブラウスに幾本もの皺を刻んだことを。
そして、無理矢理同じものを押し当てられて歪む、彼女の唇の赤色を。
彼女を置いて教室から去ったあいつは、私に気づかず足早にいなくなった。
物陰に隠れた私の前を通り過ぎた、それだけであいつの身体から熱気が伝わった。
教室に入ると、彼女はまだそこに立ったままだった。
窓の外はゆっくりと暗くなってきている。天気予報が、今夜は雨だと言っていたことを思い出す。
電気の通っていない古びた教室は、窓の外と同調してほの暗くなりつつあった。その中で一人立つ彼女だけが、私にははっきり見えていた。
私が近づいても、彼女の瞳はこちらをうつすことはなかった。完璧な角度のまつ毛は震えることなく、私ではないどこかを見つめている。
声をかけようとした、でも何を言っていいかわからなくて、とりあえず唇を開いたその時、彼女が言ったのだ。
外に行く、と。ただそれだけを。
それだけなのに分かってしまったのだ。彼女の声が恐怖で満ちていることが。
1階まで駆け下りて、上履きのまま外に飛び出して、体力のない私はその場でへたりこんでしまった。コンクリートの地面から、雨がゆっくりとスカートに染み込んでくる。
私はただ突っ立って、息を殺してあれを見ていた。
私は彼女の友人として止めるべきだった。私だけが勝手に恋人のような気分になって、同じ女の私より彼の方が、彼女のことを幸せにするなんて思っていた。そのくせその場から立ち去れなかったのは、それでも彼女が私の事だけ見て笑ってくれる可能性に縋っていたからだろう。なんてちぐはぐなんだろう。
私は止めるべきだったのだ。彼女は私のことを、友人として見ていたのだから。
同じ女の子として。同じ恐怖が分かるものとして。私は、本当に彼女のことが好きならば止めるべきだった。彼女を守るべきだった。
ただ見ていることしかできない私の視界は、いつでも彼女でいっぱいだ。
舞台の上にでも立っているかのように、彼女は両手を広げ、どす黒い空を見上げ、すっと息を吸い込んだ。
あははははははは、と彼女は笑った。透き通った声が雨音でぐちゃぐちゃにされていく。
彼女は笑っているように見えた。
私にはわからない。彼女が本当に笑っているだけなのか。
誰も、何も許してはくれない。重く暗い空から、肌にあたると痛いほどの雨粒が降り注ぐ。
雨が伝う。彼女があいつに触られた背中にも、口付けられた唇にも、全部に雨が伝って落ちていく。流れていく。
雨が伝う。彼女の大きな瞳を彩るきらきらも、言葉を飾る唇の桃色も、笑う度に香ったほのかな香水も。
全部、全部。
流していく。ありのままに、剥き出しにしていく。
自らも雨に打たれながら、私は彼女を見ていた。いつも近くにいた私にすら見せなかった、ひとりの女の子の姿を見ていた。
自分が悲しいのか辛いのか、それすらも分からなかった。
ゆっくりと近づいてきた彼女を、私はただ見上げた。
彼女の顔は歪んでいた。泣いているのか笑っているのか、寒いのか暑いのかさえも分からない。くしゃくしゃに歪んで、きっとこの彼女を見て彼女だとわかるのは私だけだろう。
それでも何もしない私に、彼女は抱きついた。座り込んだ私に合わせて、身体を屈めるようにして。ぴたりと触れ合った私達の肌は、雨に打たれてまるで体温がなかった。
彼女の額ににきびがあることも、彼女の目は本当は一重だということも、雨には隠せない。
雨には何も隠せない。私は体勢を変えて彼女を受け入れた。手をゆるりと動かして、彼女の細い肩を抱いた。あいつの感覚を消すように、私が抱きしめているとわかるように、私があいつとは違うとわかるように。
そうして私は、好きな女の子の身体をしっかりと抱きしめた。
私の肩に雫がぽたりと落ちた。
私は抱きしめる力を強める。
その雫は、雨に冷えた肌にはあまりにも熱かった。
雨には何も隠せない 明日 @Hariwooru
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