第18話 アイドル仕事をする その3

 もう収録が始まるからと、速水翼は純白のシースルースカートを翻して行ってしまう。


「もう、心臓が止まるかと思った」


 鈴木さんの安堵の声に、純が顔向ければ胸に両手を当てて大きく息を吐き出していた。


「そんなに心配しなくたって、瑞希も鈴木さんも大丈夫」


 純が気にしたふうもなく答えれば、鈴木さんの瞳が揺れる。


「おかげで私達は目をつけられなかったけど」

「元々俺のワガママでボディーガードしてるんだしね。そりゃ、自分たちの領域にズケズケ入られたら、面白くないのは当たり前。仕方ないって」

「だけど速水翼に強気な態度とったら、五十嵐社長にクレームがいくじゃない。いいの?」

「五十嵐のおじさんのとこにいくなんてことは無いよ。もし行ったとしても、JBCテレビだけの問題じゃなくて、五十嵐財閥全体の問題だから」


 鈴木さんは絶句している。五十嵐財閥といえば、日本屈指ではなく世界屈指の企業体。最大手の芸能事務所といえど、五十嵐財閥全体からみれば、吹けば飛ぶ程度の企業でしかない。探索部部長の五十嵐文緒は、五十嵐財閥総帥の娘、その彼女から依頼されたのだから、強引だけど全体と言ったのは間違いってないはず。総帥は部長に甘々だし、この程度好きにやりなさいというはずだ。


「だからね、問題ないんだよ。使える権力は使い尽くそう、っていうのが俺の信条だし」


 冗談ぽく言えば、鈴木さんはまた大きく息を吐き出した。さっきと違う呆れのため息だ。


「今市君はダンジョンアタッカーなんだから、権力の権化よね」

「そうだよ。だからさ、くるみさんのサイン貰ってくれないかな。いやぁ、まさか生で見れるなんて、俺、運良すぎっ」


 話を突然変えて悪いのだけども、発見した時からチラチラ見ていた。今期ハマっているアニメの声優に会えるなんて、瑞希のボディーガードも悪くないかもしれない。速水翼なんて目じゃない。


「ほんと、真面目に仕事しなさい」

「それでサイン、貰ってくれるの?貰ってくれないの?あっ出来れば握手も、スマホで写真も撮りたいなぁ」

「まったく、あなたが役に立ったら、考えて上げないでも無いわよ?」

「鈴木さん、安心して全部に任せてくれ」


 純は表情をキリリとさせて言うのだった。


「今市君が活躍するには、瑞希が襲われないとならないんだけどね」

「そうだった。襲われないに越したことないし。役に立つこと考えないと」


 何かないかなと、純が腕を組んでうーんと唸って考えていると、スタジオにシンセサイザー独特の電子音が流れる。そして、曲が徐々にフェードアウトしていくと、すきっ歯が特徴の人気芸人が時事ネタをコミカルにトークし、アシスタントの女子アナが合いの手を入れる、定番のオープニングが始まった。

 華やかなステージに続くベニア板がむき出しの扉裏に、最初の紹介されるアイドルがスタッフの指示で移動する。何だか現実と夢の境界線みたいだ。

 曲が変わると、フタッフが出番を待つアイドルに手振りで合図をする。

 勢いよく押し開かれる扉。

 差し込んでるくる強烈な光の中へ、アイドルが飛び出していく。

 2人目、3人目と続き、4人目の瑞希もステージに飛び出していく。


「鈴木さん、行こう」


 純は鈴木さんを促してセットの裏から表に回る。天井から吊り下がるスポットライトの光量が凄くて、ステージは写真撮影したら白飛びするだろってくらい輝いていた。司会を務める芸人、そして並ぶアイドル達は素晴らしい笑顔で、眩しそうな素振りすらない。さすがプロだ。

 オープニングトークが終われば、アイドル達はひな壇に着席する段取りになっていた。瑞希は向かって右手の二段目に座る予定だけど、出番が来れば司会者の隣に移動するから、どこで何があっても対応できる位置が良い。歌の収録のスタジオは狭かったから、どの位置からでもすぐに対応できたけど、ここではそうはいかない。

 そして、現在大ヒットしている楽曲に変わる。

 セットの中央奥にあるシルバーの大扉が開き、現れたのは速水翼だ。走ってではなく、歩いての登場。もうそれだけで目立っている。

 当然のように司会の芸人の横に立ち、ここで初めてカメラ目線になってニッコリ。もう1年以上トップアイドルを維持しているだけあって、ファンへの見せ方をしっかり心得えたそつのない仕草だ。悔しいけど、瑞希とはまだまだ貫禄が違う。

 純は物音をたてずに壁づたいに移動して正面までやってくると、ステージのほうに歩みを変える。ジッと見守るスタッフが鬱陶しそうな表情をしていて、手振りでどっか行けとジェスチャーしてくるけど、本番中で声を出せないからかまわず進む。フリップでステージに指示を伝えるアシスタントディレクターの真後ろまでやってきた。


「由佳ちゃん、じゃぁ曲お願い」


 司会の芸人がアイドルを促すと、立ち上がりカメラからフェードアウトしていく。そこで収録が一旦ストップした。

 すると純に退場願おうと、早速スタッフがやって来る。そして、近くに鈴木さんの姿はない。遠くの壁に背を預けながら、ごめんねーという感じで苦笑いしていた。頼れる人もいなくなり、純は仕方なく吊り下げられている集音マイクに顔を向ける。


「こんな近くで収録見られるなんて、五十嵐社長におねだりして良かったなー」


 まるで文章を読んでいるかのような棒読みだけど、近寄ってきていたスタッフの足がピタリと止まった。雲の上の上司なだけに、おじさんの名前は効果絶大だ。

 ひな壇に座る司会の芸人からアイドルまでもが純を凝視してくる。邪魔者がいきなりテレビ局社長の知り合いだとなれば、誰だって驚く。瑞希は苦笑いしているけど。


「邪魔にならないようにするから、ここで見学してたいなー」

 

 一人のスタッフがインカムで少し会話をしてから近寄ってきた。他のスタッフは持ち場に戻っていく。


「君、今市純君?」

 

 問いかけられて、純は頷く。


「上からの指示で、君のことは放っておけと言われたから何も言わないけど、邪魔だけはしないでくれよ。出演者のスケジュールがあるから、撮影時間が伸びるのはできるだけは避けたいんだ」

「もちろん邪魔なんてしませんって」


 純は何も起きなければ、というセリフを飲み込んで、爽やかに笑って見せる。

 スタッフの人は表情を緩めて戻っていった。

 収録が再開される。

 こんな時こそ大いに役に立つイケメンフェイス。大概仕方ないなぁと許してくれて、悪印象を持たれることがない。

 順調に収録が進み瑞希の出番が回ってきた。


「次のアイドルは、今乗りに乗っている塩坂瑞希!セカンドシングルを引っさげての登場だ!」


 高校の制服に似た衣装を着る瑞希が元気よく立ち上がり、カメラの向こうにいるファンに大きく手を振ってから、司会の芸人の横に移動する。


「よろしく、お願いします」


 とお辞儀をして着席した。


「高校生になったんだよね?」

「はい」

「おめでとう。どう?中学とは全然違う?」

「ありがとうございます。朝の通学から全然違って、電車に乗るのもドキドキしてました。だけどあんなにぎゅうぎゅう詰めなんて、もうビックリです」

「早くも満員電車の洗礼を受けちゃったんだ。女性専用車両があるでしょ?使わなかったの?」

「初日はちょっと寝坊しちゃって、ギリギリだったから乗れなかったんです」


 瑞希が肩を竦めると、司会の芸人は苦笑い。


「それはぁ仕方ないね。それでどう、学校生活は?」

「何もかも新鮮で、毎日が楽しくて仕方がないです。一番驚いたのが、給食が無かったことかな」

「そうだねぇ。僕も購買部で菓子パン買って、屋上で食べたの思い出すなぁ」

「みんなと同じ物を食べるんじゃなくて、好きな物が食べられるっていうのが、とにかく新鮮で」


 和やかなトークが5分と続いたところで、アシスタントの女子アナが口を挟む。


「そろそろ新曲の紹介をお願いします」

「おーそうだった。トーク番組じゃなくて、歌番組だったの忘れてたよ。おじさん懐かしくて、ついつい長話しちゃった」

 

 司会の芸人があははと笑う。

 瑞希がセカンドシングルがどういったものか説明を終えたところで、女子アナが締める。


「それでは歌って貰いましょう。本日公開のセカンドシングル、ビジー・モーニング・ダンス。特にダンスには力を入れているということなので注目です」

「じゃあ、瑞希ちゃんファンに一言お願い」

「一生懸命練習したダンスの成果、皆見てね!」


 瑞希が立ち上がったところで、出し抜けに行動を起こす純。前にいたアシスタントディレクターを押し倒してステージに踊りでたのだ。

 芸能人もスタッフも氷ついたように硬直する。

 瑞希までもが1歩踏み出したままの不自然な体制で硬直していた。 


「君、早くそこをどきなさい」


 我に返ったスタッフが怒鳴る。

 その声に合わせて他のスタッフが、純を排除しようと動き出した。鈴木さんは鬼の形相だ。瑞希がアイドルとして大成出来るか出来ないかの、大事な時期の収録を邪魔されたのだから。

 純だって邪魔したくて邪魔した訳ではない。しなければならない理由があったからだ。だから殺気を迸らせて鋭く叫ぶ。


「動くなっ!」


 それだけで芸能人もスタッフも動きが止まる。硬直ではなく、濃密な死の危機を感じさせる圧力に、無意識のうちに震え上がってしまったのだ。

 まるで時間が止まったように静まる。


「聞こえないかな、さっきからずっと変な音がしてるんだけど」


 純がチラリと上を見上げる。

 耳を澄ますまでもなく、金属が軋む異音が煩く鳴りだす。

 スタジオにいる人間が騒ぎ出す暇もなく、天井からスポットライト落下する。それは1個だけではなく数十個全て次々とだ。支えていた支柱までもがだ。

 激突音が激しく身体を震わせた。

 ひな壇に座る芸能人なんてひとたまりない。だが事が全て終わった後、スタジオに阿鼻叫喚の悲鳴が響くことはなかった。頭上に展開された半透明の緑の膜が全てを防いでいたからだ。

 こんなことができるのは、もちろん純しかいない。

 司会者の後ろ、二段目で右手を掲げていた。その手にはダンジョンの素材を使って作られた六角形の盾が握られている。金属部分は60センチ程しかないが、込められたエナジーを展開して広範囲を守ることができる便利アイテムだ。ダンジョンの外でエナジーなんて使えないから、アイテムには最初からエナジーを込めてあった


「只者じゃないとは思っていたけど、ダンジョンアタッカーだったのね」


 下から聞こえてきた声に純が顔を向ければ、視線を獲物に狙いを定めた肉食獣並に鋭くさせている速水翼がいた。

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