第11話 アイドルとモンスター料理
暗闇に浮かぶ、等間隔に設置された街灯の光。
不揃いな石が敷き詰められた、クモの巣状に張り巡らされた通り。
左右に立ち並ぶ石レンガを積み、朱色に塗られた三角屋根の建物。
空を見上げれば、見えるのは星ではなく岩の天井。
影を作る道行く人は、簡素ドレスやダボッとした布を縫い合わせただけのワイシャツを着る男女ではなく、原色のワンピースやら、デニムのパンツに緻密な装飾が施されたブラウスや、派手な文字が書かれたTシャツ着た観光客。
ここは新宿にある東京都庁地下ダンジョンのセイフティゾーン、名をフロンティアという。
城壁に囲まれた様子は、まるで中世ヨーロッパをモチーフにしたテーマパークだ。似つかわしくないのは、馬が引く馬車でなく、人力車が走り回っている点だけ。
時間は昼の12時を少し回ったところ。
どこもかしこも賑わっている。それは中央通り大門前の一角ある立入禁止地区も同じだった。壁近くにある、格子窓が幾つも並ぶ一際大きな建物、スイングドアしか無い開放的な入り口から、幾つも重なった声が騒音となり、外にまで漏れてきている。
広い室内に数十並ぶテーブルは、防具を装備したダンジョンアタッカー達で満席だ。アタック前に打ち合わせがてら腹ごしらえをするチーム、アタックを終えて打ち上げをするチーム、色々だ。ファンタジーな世界の、冒険者ギルドに隣接した食堂まんまである。
中央付近のテーブルに座る純もその中の1人。
向かいには座る瑞希は、注文したモンスター料理を今か今かとソワソワして待っていた。
基礎訓練を初めて2週間経っている。その間、家に帰るまで護衛をしているけど、今のところ襲われたりといったこともなく平穏な日々が続いていた。
訓練も順調で、ようやく筋肉痛も無くなり、晴れてダンジョンアタックデビューの運びとなった。前回の汚名を挽回しようと意気込みすぎていたから、肩の力を抜いて貰うためにも、学校を早く出て昼ご飯を食べにきている。汚名といっても巻き込まれただけで仕方がないのだけど。
「おまたせしました」
ウェイターが料理を運んでくる。
瑞希の前に、食欲をそそる焦げ目がついた分厚い肉の塊と、パンが置かれた。グラスランド・ターキーのステーキだ。熱々の鉄板の上で脂を飛び散らせている。
純が頼んだのは、ハンバーガー。付け合せにポテトとナゲットが添えられている。ワイルドバッファローの濃厚で肉肉しい味が気にいって、こればっかり食べていた。
立ち昇る香ばしい匂いに、瑞希はしきりに鼻をクンクンさせながら、ナプキンに置かれたナイフとフォークを取って、肉を切り勢いよく口に運ぶ。1噛み、2噛みしたところで、長いまつ毛を伏せた。その間も咀嚼は止まらない。
だけどこういう素直に感情を表現するとこが、ファンに人気なんだろうなと、アイドルに興味のない純でも分かる。
あまりに恍惚としたその表情を、周りの男達がチラチラ見ていた。あんまり男達を刺激しないで欲しい。スマホを構えてる奴もいる。幼馴染のこんな写真を撮られるのはしゃくだ。なので、チーズがトロけて零れそうになっているハンバーガーにかぶりつきながら、エナジーを迸らせる。
男達はビクッと体を硬直させて、慌てて仲間達と話し始めたり、酒を飲んで誤魔化している。女アタッカーに足の甲を思い切り踏まれている奴もいた。
何も気がついていない瑞希が、ゴクリと飲み込んで、それはもう蕩けきった声を上げてくれる。
「ん~美味しい。この脂のとこのお肉が特にたまんない」
そしてまた大振りの肉をフォークで刺す。
純は周囲のアタッカーを、視線で牽制しながら答える。
「脂っこいのに、後味がさっぱりしてて軽いから、幾らでも食べれちゃうんだよな」
「うん、うん。はむっ」
瑞希がハムスターのように頬を膨らませて詰め込んでいた。
体長1メートルあるグラスランド・ターキーのステーキは、外なら3時間待ちの行列が出来るほどの旨さだから仕方ない。予約無しに食べれるなんて、滅多にあることじゃないけど。
「アタックの後は、必ずここで飯食って帰るし」
純の口の中で、ワイルドバッファローの旨味が弾ける。チーズと抜群に相性が良い。肉から染み出す深いコクのある半透明の汁は、まさに天上の味。
「私もそうする。ここでご飯食べれるなら、毎日ダンジョンアタックしたい」
「アイドル業は?」
「うっ、じゃあ3日は無理だから、2日にする」
肉を頬張りながら泣き顔を作る瑞希に、純は苦笑いする。アタッカーを職業にしていることは秘密だったから、ダンジョンの食材をプレゼントしたくても出来ない状況だった。
「外じゃ高いし、お金があっても食べれないし」
ここフロンティア内にあるアタッカー専用の食堂では、瑞希が食べているステーキが2千円、純が食べているハンバーガーは千円という良心的な価格で提供されている。
モンスターがドロップした食材は高値で取引されていて、セレブな人達御用達の食材になっていた。レストランで食べれば、最低6桁からという恐ろしい価格設定がされている。それでも1年以上予約で埋まっていると聞くから、世の中金持ちが多くて驚いてしまう。純もお金は腐るほど持っているが、高校生が高級料理を食べに行って奇異の目で見られるのも嫌だから、わざわざ行くこともない。
「これだけでも、ダンジョンアタッカーになったかいがあったよぉ」
瑞希はすっかりダンジョン料理の虜になっていた。
「じゃあ、全種類制覇しないと」
純は壁にずらりと並ぶ料理名の書かれた札を見渡す。各国の言語で書かれている札は50近くはあった。
「制覇するのにどのくらいかかるかな?」
「簡単な計算じゃん」
週2回でだいたい半年あれば足りる。
瑞希が刺さった肉の塊をパクっと食べて、フォークを横に振った。
「ちっちっ、甘い。ホイップ多めのフラペチーノくらい甘いって」
純はモグモグしながら首を傾げる。
「わかんないかぁ。メッチャ美味しいのあったら、リピートするに決まってるじゃん」
「わかる。このハンバーガーもそうだし、海鮮パスタばっか食べてた時もあった」
「海鮮パスタ、美味しそう。具材は全部モンスターだよね?」
瑞希は壁のメニューを端から目で追っていた。
「もちろん」
「地下なのに、海の魚がいるの?」
「20階層に海っぽいフィールドがあるんだ」
「本当にここって、何でも有りだよね」
「海水はないんだけど、地形は海底っぽいし、モンスターも魚っぽいから、海って言ってるだけなんだけどさ。本マグロの大トロなんて目じゃない旨いモンスターがいるんだよ」
瑞希は始め驚いていたけど、だんだんと興味が勝っていくそんな表情だ。
「それ食べてみたい!でもさっ、どうやって魚は泳いでるの?」
「宇宙遊泳みたいに」
「まさか、人も泳げたり」
「もちろん」
「楽しそう」
「モンスターがいなければ、楽しいかもね」
ここにいれば襲ってこないというポイントが無くて、小魚まで襲ってくるから休んでいる暇も無いくらい忙しい。
不意に止まる瑞希の手。目が点になっている。
「たっか。パスタが1万円って。ステーキのほうが、ぜんぜん安いよ。外で食べたら幾らするんだろう」
「高いけど、パスタ好きなら病みつきになる味だから」
20階層ともなれば、それなりのアタッカーしか入場できないから仕方がないともいえる。
「どうしよ。食べないほうが良い気がしてきた」
「何で?」
「病みつきになったら困るよ。破産しちゃう」
「ぶっ」
純は吹き出してしまう。
瑞希は怒るのではなく、不思議そうにしている。
「ここはどこ?」
「東京都庁地下ダンジョン」
それがどうしたのという顔をしている。まだ分からないらしい。
「モンスター倒せば」
純は先を促すように言えば、ようやく気がついた瑞希が、ナイフとフォークを持ったままテーブルを叩いた。
「お金がガッポガッポ」
鉄板がテーブルの上で踊っている。
「女子高生アイドルが、その表現どうなの」
「えっえっえっ」
瑞希は会話どころではないらしい。予想外な自身の力に驚いている。慌てて鉄板を抑えて、ステーキが床に落ちるのを阻止していた。
「ゴメン。言うの忘れてた。今更だけど、エナジーの力に慣れるまで優しくね」
前回に少しエナジーを吸収したと五十嵐部長が言っていたから、力が増しているのは当然のこと。悪いことをしたなと、純は頭をかくしかなかった。
「ほんと今更だよ。ステーキが床に落ちてたら、弁償して貰うところだったよ」
「食い意地張りすぎ」
「それは女子に失礼!ここの料理が美味しすぎるのが悪いの」
瑞希が顔を真っ赤にしてナイフを持った手を振り上げる。
「振り下ろしたら、テーブルが!」
純は未来を予測して、フライドポテトとナゲットの乗った皿を持ち上げた。
ドンガラガッシャン。
残念、瑞希の手は止まらなかった。
テーブルは真っ二つ。
3分の1ほど残っているグラスランド・ターキーのステーキは鉄板ではなく、床の上にあった。お菓子じゃないから、3秒ルールは適用されない。
呆然と硬直している。
純はあまりにも憐れすぎて、からかう気にもなれず淡々と告げた。
「新しく注文する時間ないから、また今度だね」
そろそろダンジョンアタックの時間だ。
涙目になった瑞希。
「カムバァアアアック!ステーキィイイイイイ!」
純は見て見ない振りをして、死守したハンバーガーにかぶりつく。
それに気がついた瑞希の宙をウロウロさまよっていた視線が、純の右手にあるまだ口をつけていない食べ物にロックオンされる。
純は早く食べてしまなければと、無理やり口に詰め込んでいくが、間に合わなかった。
「そのナゲット寄越せ~。私はまだ全然満足してないんだ~。純ちゃんだけ食べるのは、ズルいぞ~」
瑞希がナイフとフォークを構えて、にじり寄ってくる。
初めて食堂を訪れたルーキーが、たまに無我夢中で食べているのは見かけるが、ここまで酷いのは無い。
ナゲットめがけナイフを突き刺してくる。
皿を横にスライドさせる純。
繰り返されるスカの荒らし。
周囲はさっきと違って、可愛くても痛い奴とは関わりたくないと、極力こっちを見ないよにしている。
純はまるで諦めない執念が、面倒臭くなってきていた。ハンバーガーは食べれたから、まぁいいかと皿を差し出せば、瑞希は奪うのではなくて、ナイフでナゲットを、フォークでポテトを突き刺して、まるでコントのように貪り始めたのだった。
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