第10話 アイドル、トレーニングする
競技場のトラックをダラリと両腕を下げて、足を引きずるように走る短パン体操着姿の女子。
その前を、後ろ向きで怪走するジャージの男子。
「はぁ、はぁ。もう無理~」
「こんなんじゃトレーニングにならないから、ちゃんと走れって」
だらけた声の主は、新人アイドルにして幼馴染の塩坂瑞希。そして、息切れもしていない声の主は、期待のダンジョンアタッカー今市純だ。
「もう3周もしてる~」
「まだ、3周だから。アイドルやってたら、ダンスとかで体力作りしてるんじゃないの?」
「こんなハードな特訓してないよ」
「ダッシュとランニング、繰り返してるだけなんだけどね」
瞬発力と持久力を同時にアップしたいから、インターバルランニングというトレーニングをしていた。その前にトレーニングマシンをを使って筋トレしてるけど、十分休息はとっている。
「後、何周?」
「7周」
「純ちゃん手加減してぇ」
「10周くらい走らないと、トレーニングにならないよ。3、2、1、はい、ダッシュ」
瑞希が走る。
純も後ろ向きのまま走る。もちろん瑞希のペースに合わせて。そして、50メートル走ったところでまたカウントする。
「3、2、1、はい、ランニング」
「もう、むりぃ」
ぜぇはぁぜぇはぁしてやっと答える瑞希。それでも足を止めないのは立派。
純は呼吸が落ち着いたところで話しかけた。
「このトレーニング、脂肪燃焼に効くからスタイル良くなるよ?」
「うっ、それは魅力的だけど、仕事あるし」
瑞希は腕を持ち上げて、二の腕をプルプルさせる。
「5週でも筋肉痛だから、頑張れ!」
「明日、ダンスの収録あるんだけど!」
純は白い歯を見せて親指を立てた。
「酷い」
「しばらく続くから諦めろ」
「ポーション飲んじゃうもん」
「高いけど大丈夫か?ダンジョンで怪我したんじゃないから、部の備品は使えないよ」
あらゆる怪我を直す薬。ハイポーション、グランドポーションとランクがある。
「お幾らくらい?」
「部員割引で10万」
「高すぎぃいいいいい」
Oの字に開いた口、両頬に手を当てる姿は、ムンクの叫びそのままだった。
瑞希は文句を言いつつ、残り1周、ダッシュとランニングをこなす。
「3、2、1、終了」
「ゴォオオオル」
メインスタンド前を両手を広げ、汗を舞い散らせ走り抜けた。
全身で表現する達成感。
ゴールテープと満席のスタンドを容易に幻視させてくれる。まるでオリンピックで金メダルを獲得したマラソンランナーだ。
たった5週だけど。
純はトラックの外に出て足を止める。
力を出し切った瑞希はトラックで足を止め、前屈みになって肩を上下させた。
「そこで足止めるな」
純は停止したままだが、瑞希は足を動かしてもいないのに、後ろに向かってスライドしていく。
「あっ」っという顔を作るが、時すでに遅しだ。
ガクンツと止まると、ひっくり返ってゴロンゴロン転がっていった。
「あーあ」
純がゴーグルを取れば、晴天の競技場から殺風景な部屋へ一変する。
そうここは学校内にある探索部専用トレーニングルームだ。ただトレーニングするだけでは味気ないということで、VRルームで走っていた。
迷宮探索部は秘密の部活。アイドルが校庭を走って、騒ぎになるのは困る。
瑞希は後頭部を、壁に強かに打ちつけていた。ラバー製だけど、あの勢いでぶつかれば衝撃で痛そうだ。
床の中央部分は、巨大なランニングマシンになっていた。だから純はそこから移動して止まったのだ。
始める前に口が酸っぱくなるほど注意しておいたのに。でもあれだけ疲れきったいたら、忘れても仕方ないのかも。そういえば、ほのか先輩も転がっていたなと、どうでもいいことを思い出す。
純は壁際に移動して、ランニングマシンのスイッチを切る。
そこへ瑞希も息も絶え絶えにやってきた。棚に設置された冷蔵庫からスポーツドリンク取って渡すと、ゴクゴク飲み干していく。ペットボトルが半分にまったところで、ようやく一息つけたようだ。
「ダンスじゃないトレーニングしたの、すごい久しぶり」
「体動かすのなんて、学校の体育の時間くらいだもんな」
「頑張りたいけど、仕事もあるし。うううう悩ましい」
「今は仕事をセーブして、体力つけたほうがいいかも」
純はタオルを渡しながら、悩む瑞希にアドバイスをした。
「どうして?」
「ダンジョン内ではモンスター倒せば強くなれるけど、素の体力にエナジーが乗算されるから、鍛えないと駄目って、講習で教えられたでしょ」
「うん。倒すモンスターによっても、伸びる能力が違うって勉強した」
「例えば瑞希は弓がメイン武器だから、素早さをとか、命中補正上るのが常道かな」
素早さを上げるならポイズンドッグ、命中補正ならホークアイが、5階層にいるから手っ取り早い。
「強くなるためには、楽できないってことだね」
「できるだけ手助けはするから」
「私、アイドルも、ダンジョンアタックも、中途半端にならないように頑張る。マネージャーさんにも相談してみる」
「んじゃ続けよう」
「うん」
特権を利用して、午後の授業を休んで訓練をしている。ますは負荷がかかっても筋肉痛にならない身体を作ることだ。だけどそれだけじゃ飽きるから、実践的なトレーニングも混ぜていく。
純は壁のフックにかかっているナイフを2本取り、飲み終わった瑞希に1本差し出す。
「はい、これ」
「私に必要?」
「絶対必要。弓で仕留めきれなかったら接近されるけど、その時どうする?」
淡桃色の唇に人指を当てて、うーんと考える瑞希。
「倒される未来しか思い浮かばない」
「だろ。だから、近接戦闘の訓練」
「なるほど」
瑞希は空のペットボトルを置いて、真っ黒なナイフを受け取った。そして、それを物珍しそうに見つめている。
「これ、訓練用だからゴム製なんだ」
「へぇ」
純が指で刃を弾いてみせた。硬いゴムで作られているけど、重りが内蔵されているから重量は本物と同じなっている。
「ホントだ。柔らかい」
「怪我しないから、遠慮なくやろう。躊躇するのが一番良くないんだ」
「どうして?」
「訓練で躊躇する癖がついたら、多分人型モンスター相手でも躊躇する」
「ありえるかも」
純はナイフの持ち方、構え方を教えた。続いてゆっくりした動作で、振り方、突き方を実演して真似て貰う。
1時間もやると汗だくだ。
時計を見れば瑞希の仕事の時間が近づいている。最後に少し手合わせをしたい。向かいあってコールして始めるのも有りだけど、それじゃぁつまらないし、油断するとろくな目にあわないということも、知って貰いたい。
だから瑞希が純の脇腹に、ナイフを突き刺す動作をしたところで、手首をとり軽くひねる。そしてバランスを崩したところで足首を払えば、簡単にラバー製の床から浮いてくれる。
もちろん怪我をしないように、手首を返して背から落とした。
「きゃっ」
瑞希は短い悲鳴を上げて、ひっくり返る。
当然、勢いよく起き上がって文句言ってきた。
「いきなり、酷い!」
「油断大敵ってことで」
純はかかってこいよと、手の平を上に向けて指をクイクイさせる。こういう時、幼馴染で気心知れているから、遠慮しなくてやりやすい。
途端に顔が赤くなった。
「このっ」
瑞希が怒りに任せてナイフを横に振る。躊躇なく教えた通り首筋を狙ってきた。
純はスウェーバックしてやり過ごす。うん、良い感じだ。だけどナイフの切っ先がブレブレ。まだまだ筋力が足りてない。
「残念でした」
ナイフを持つ腕の肘を押して加速させれば、着物を着たお姉さんの、あれ~よろしく回転して、そのままひっくり返ってしまった。
純はまたすぐに向かってくるだろうと待ち構えているが、ピクリとも動かない。目を回して気絶したかな。
近寄っても反応がない。
監視カメラがあるから、やりすぎるとほのか先輩に怒られる。けど今、マブタがピクピク動いた。あ、これ不意打ち狙ってるやつだ。もちろん気が付かない振りをする。
「大丈夫?」
屈んで左頬を叩いてみた。
反応はない。
焦らしてもいいけど時間もないから、すぐにもう一度叩くと、パッと瑞希の瞼が持ち上がった。
ニッコリ笑う純。
「俺、強いからね。こんなんじゃ、奇襲にもならないって」
左手はナイフを持つ瑞希の振り上げた腕を掴んでいた。
「絶対に、絶対に、強くなってやるんだから」
瑞希は闘争心剥き出しで起き上がってくる。
「やる気満々になったところだけど、時間切れ」
純は顎で壁の時計を指す。やる気満々は良いことだけど、すっかり仕事のことを忘れているみたいだ。
「悔しい。純ちゃんにやられっぱなしっていうのが、超悔しい」
瑞希はラバー製の床を足裏でバンバン叩いて、憂さ晴らしをしていた。
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