第9話 アイドルは強くなりたい

 瑞希の予想外のセリフに、戸惑ってしまう純。だからといって、先輩女子の目前で、ちょっとガン見させてなんて言えるわけもない。返事に困っていると、丸テーブルが浮き上がった。咄嗟に仰け反り、背もたれに身を預ける。

 前髪を揺らしたそれは、クルクル回転しながら、4つの足がドスッと鈍い音を鳴らして天井に突き刺さった。


「いきなり何すんの!」

「あら、残念」


 正面に足を組んで座る五十嵐部長の右腕が振り上げられていた。


「俺じゃなかったら、顎が砕けてたよ!」

「砕ければ良かったのに」

「いくらポーションがあったって、うぉ」


 純は小首を傾げれば、耳の側で空気が鳴る。背後を見れば、壁からナイフの柄が生えていた。ここの壁ってダンジョンの壁だから、ただのナイフが刺さるはずがない。エナジーを込めて投げるってさすがに酷いくないか。

 バッと振り返れば、北極の極寒の如き冷たすぎる笑みを浮かべた般若がいた。怖い。手にはナイフが握られているが、純は取り出したのを見ていない。まるでマジック。人の虚をつくのが得意な、部長らしい技。おっと感心してる場合じゃない。


「俺、モンスターじゃないって。いくら何でもエナジー込めてとか酷すぎ、刺さったら死んじゃう」

「どんな時も油断しないのはさすがね、純。でもね、ダンジョン内で幼馴染とはいえ、不純異性行為は許さない」

「瑞希の足じゃ追いつかれるから、抱っこは仕方なくだし!」


 五十嵐部長口早に言い訳をするけど、エナジーの高まりは止まらない。

 エントランスで待機していたアタッカーがどうしたどうしたと集まってきた。


「お姫様抱っこはちょっと嬉しかった」

「どうしてそういうこと言うの!」


 その辺りを濁して報告した意味ないじゃいか。


「ふーん」


 五十嵐部長が右手を小さく振るとナイフが消えた。変わりに胸の前に右手を突き出し開く。


「ここエントランスホールだけど、魔法は不味くないですか?」

「大丈夫、犯罪者の取締だから」

「見ただけで犯罪とかねーよ」


 高まるエナジーに五十嵐部長のショートな髪まで揺らいでいる。ちょっと高めすぎだから。純の額にぶわりと冷や汗が湧き出る。


「純なら余裕で、倒せるはず。それをせずにお姫様抱っこなんて、邪な気持ちが無いわけなない。」

「幼馴染だよ。兄妹みたいなのに、そんなのないから。時間も時間だし、お腹も空いてたから早く帰りたかったの」

「ふーん。さっき言ってた男の性っていうのはどうしたのかしら?」

「うっ」


 言い訳するほどドツボに嵌っていく。だけど、しないという選択肢もない。


「純はお腹が空いてるらしいから、氷をたっぷり食べさせて上げる。アイス・バレット、シングル」


 五十嵐先輩の魔法のコール。

 まさか反撃するわけにもいかない。

 集まったギャラリーも、本気なんだと静まり返る。

 まさに純への虐殺ショーが始まろうとしていた。

 その時だ。

 不意に瑞希に抱きついていたほのか先輩が立ち上がった。

 止めてくれるのか。もしそうならまさに女神様。しかし何故か五十嵐部長ではなく純を向く。止めるんなら、五十嵐部長を見ないか。疑問符を浮かべていると、あまりな斜め上を行ったセリフがアヒル口から放たれた。


「ねぇねぇ、純君って胸の大きい子が好きなの?」


 場が硬直し静寂が訪れる。

 まさにマイペース。一切周囲の状況など気にしていない。

 一拍の後に盛大なため息が五十嵐部長からこぼれて、エナジーが霧散した。


「はぁ、もういいわ」


 助かったぁ。

 しかしこれで安堵するわけにはないかない。ここでほのか先輩への答えを間違えると、虐殺ショーに逆戻りしてしまうからだ。

 ジッと見つめてくるクリクリした大きな瞳。

 ゴクリと生唾を飲み込む。


「そんなことないよ。好きになった人のサイズがベストサイズだよ」


 緊張で日本語が片言になってしまった。ダンジョンのモンスターなど比べ物にならないくらいの強敵だ。

 再び訪れる静寂。

 審判を待つ純。

 固唾を飲むギャラリー。

 1拍、2拍と鼓動を打つ心臓がやけに煩い。

 耐え難いほどの時が過ぎる前に、ほのか先輩の表情がバラが咲いたような可憐な笑顔に変わった。


「ほんと、嬉しい」


 さすがトップアイドル、存在感が凄すぎて目が釘付けになってしまう。

 ミッションクリアだ。ホッとして全身から力が抜けた。


「ショーは終わりよ、散りなさい」


 五十嵐部長が周囲を見回して手を振れば、アタッカーがつまらなそうに散っていく。

 シケタ痴話喧嘩だったなとあちらこちから呟く声が聞こえてきた。荒くれ者が多いだけに派手なやつを期待していたのだ。こっちは命懸けだったっていうのに呑気すぎだろ。

 4人は丸テーブルが天井に突き刺さったままだから、隣に移動する。

 ほのか先輩がよいしょよいしょと、純のすぐ横に椅子をずらして座る。そして、左手を伸ばしてきてた。拒否して私のこと嫌いなのと拗ねられても困るから、仕方なく握り返した。


「わたしも!」


 瑞希も元気よく手を上げて、椅子をずらしてくる。そしてほのか先輩と同様に右手を伸ばしてきた。どうして瑞希も、と考えるが浮かんでくるのは久しぶりの再会で直接温もりを感じたいのかなというくらい。さっきは状況が状況だけにそんなのを感じる余裕はなかっただろうし。考えたとろこで手を取らないという選択肢はないから手を伸ばして握り返す。純にしてみれば本当に仕方なくだ。これっぽっちも嬉しくない。頬が緩んでいるのは気のせいだ。さっきの過激な話しを聞いただけに、写メだけは気をつけなければ。


「両手に花、いえアイドルで羨ましいかぎりね。熱狂的な過激派に刺されてしまえばいいのよ」

「あはははは」

 

 五十嵐部長の妙に刺々しい声に、返すセリフなんて見つからないから、純はあからさまな作り笑いを返すのみ。

 

「もしも、もしもだけど、不貞を働いたら社会的に抹殺してあげる」

「部長が言うと、シャレにならないから止めて」


 純の緩んだ頬が一瞬で引き締まる。五十嵐部長の実家は日本代の財閥系グループ創始者一族。日本を代表する企業を多数抱えていた。コネクションをフルで利用されたら冗談抜きで日本に居られなくなる。


「まあいいわ。今回のことはこれ以上追求は止めてあげるから、瑞希のボディーガード頼むわよ」

「もちろんだけど、ダンジョンの外は滝川さんにお願いしたいな」


 本名、滝川霞美。甲賀忍者の末裔だ。ダンジョンでも黒いバトルスーツに、どういう訳か腿が半分見えている袴に半袖の上衣に頭巾、そして腰には手裏剣、背には小刀、忍者装束を現代風にアレンジして装備していた。ダンジョンの中と違って、外では感覚が鋭敏ではない。本格的に襲ってくるとなれば、人混みや初めての場所では守りきれるか。プロに任せたほうが安心できる。


「政府要人からの依頼があってね。しばらく学校休みなの」

「滝川さん、高校生だけど。何の仕事やらせてるんだよ」

「戻れなくなるけど、知りたい?」

「知りたくないです」


 純はぶんぶんと首を振る。


「っていうか何者だよ。滝川さん」

「裏の世界は孤独よ」

「そんな世界関わりたくないって」


 激しく否定していると、隣のほのか先輩が口を挟む。


「だけど、ほんとう外で襲うなんてあるのかな」

「外のほうが簡単でしょ。ダンジョンと違って訓練していなければ、標的はただの高校生なのだから」

「ここ日本だよね?」


 あっさりと言う五十嵐部長に驚く純。ダンジョンの外は至って普通だし、日本て世界的にも治安が良い国じゃないっけ。誰かが襲われたなんてニュースそうあるもんじゃない。


「ダンジョンで人を陥れるなんて、普通じゃないことが起きてるの。バレたら外で人を襲うより大変な事になる。だから私は、アイドルの仕事とは関係なく、襲われたと考えているわ」


 五十嵐部長の視線が瑞希に固定されると、純の手を握る瑞希の手に力が入る。


「気が付かないうちに、見てはいけないものを見てしまったのか。ご家族の関係とか、理由を考えればいくらでもあるもの」

「私が見ちゃったかは分からないですけど、母さんは普通の会社員ですよ?」


 それだけじゃないの、と五十嵐部長が首を振る。


「祖父母、それから亡くなったお父様もね」

「お父さんは・・・」


 あぁそういうば、瑞希のお父さんて国会議員だったんだよな。五十嵐部長もそれくらい知ってるはずだ。しかし


「無遠慮でゴメンなさいね」

「はい、もう吹っ切れてますから大丈夫です」


 あれからもう4年も経ってるから、今回のこととは関係ないはず。それにしても、だいぶ良くはなったけど、声はまだどこか寂しそうなだ。


「部長として、瑞希の安全のために、可能性は全て潰していかないといけないから」

「私も調べてみる」


 五十嵐部長とほのか先輩が頷き合っている。


「うち部員に手をだしたことは、誰だろうと絶対に許さない。必ず後悔させてあげるんだから」

「うん。とういうことで、純君、ガード頑張って」

「私もほのかも、ダンジョンの外ではちょっと強い程度の女子高生なの。いいわね」

「了解しました」


 純は左右の手を振り解いて立ち上がり、五十嵐部長に向かって右手をこめかみの側に寄せて挙手の敬礼した。さり気なく手を離すためだ。女子とのふれ合いに慣れてないから、そろそろ羞恥心で心臓が破裂しそうだった。


「トレーニングもお願いね」


 親指を立て、喜んで引き受ける。


「オーケー」

「去年、ほのかを鍛えていたでしょ。瑞希には弓を使って貰う予定」


 ほのか先輩は魔法特化の後衛職だから、ほぼ同じメニューで鍛えられる。ガードは瑞希の命が狙われているのだから当然やる。でもそれ以上はと渋ってしまう。ダンジョンアタックする時間をこれ以上削られたくなかった。


 瑞希も立ち上がって頭を下げる。


「純ちゃんよろしく。私を強くしてください」

「俺的には、ほどほどにしておいて欲しいとこだけどね」

「純、それは駄目」


 五十嵐部長から厳しい声が飛んでくる。純が視線を向けると続きを話だす。


「幼馴染だから、守って上げるとか思い上がってるでしょうけど、いつも一緒という訳にはいかない。別々にダンジョンに潜ることもあるだろうし。それに、あなた先に卒業するって分かって言ってる?」

「あっ」


 口がポカンと開いてしまう。先にすっかり卒業するってことをすっかり忘れてた。瑞希を振り返り、あからさまな掌返しをする。


「ビシバシ鍛えるからそのつもりで」

「頑張る」


 目標があるから、拳を胸の前で作り本気のアピールをする瑞希だった。

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