第8話 アイドルも楽じゃない

 純が不貞腐れたままエントランスホールに戻ると、五十嵐文緒部長と白石ほのか先輩が待ち構えていた。五十嵐部長はショートカットで背が高く、宝塚ばりの男装の麗人だ。シルバーの眼鏡がチャームポイントで胸が絶席に近いのが、アニメで言う所のもろ委員長キャラでいけている。実際は生徒会長なんだけど、そんな目で見ているなんてバレたら、冷淡な流し目で睨まれてゴミ屑って言われる。拓哉辺りならご褒美だって喜びそうだけど、純にそんな趣味はない。


「純。よくやってくれたわ」

「お疲れ様です。部長」

「だけど2人が知り合いだったとはね。塩坂さんの調査書にそんなことは書いてなかったんだけど」

「多分、瑞希と家が近かったのは小学校までだからじゃないかな」


 瑞希の父親がその頃に亡くなって、母親の実家に引っ越していった。といっても東京の違う区というだけでそれほど遠くないから、寂しいとかの気持ちはあまりなかった。SNSで連絡は取ってたから余計かもしれない。


「あぁ」


 このことを純が話さなくても、五十嵐部長は察してくれたのか頷くだけだ。当時の泣きじゃくる姿が痛ましかったから、父親が亡くなった話は、あまり瑞希の前でしたくない。

 不意に五十嵐部長の視線が純から外れる。後を追って見れば、ロリフェイスロリボディのほのか先輩が、瑞希の胸に顔をグリグリ押し付けていた。2人ともピッタリ身体に張り付くバトルスーツを着用してるから少しエロい。


「お疲れ様です。部長、ほのか先輩」

「瑞希ちゃ~ん、良かったよー、無事でー」

「怪我はなかった?」

「あったけど、純ちゃんに貰ったドリンクで治りました」


 純が5階層であったことを説明すると、ほのか先輩が驚いて大きな目を更に見開く。瑞希の背後に回り、茶褐色の汚れを見つけたみだいだ。


「モンスター寄せ!」

「発見した辺りには材料になる植物も無かったよ。触った覚えもないって」


 純の説明に、五十嵐部長の眉根がわずかに寄る。


「やっぱり、あのルーキーが何かしてたのね」


 トラップに引っかかった渋谷学院高等学校の1年のことだろう。

 純はスマホで証拠の写真を撮っておく。


「そのルーキは?」

「洞窟エリアで無事保護されたわ」

「良かった。どんな奴でもアタッカーが命落としたなんて、聞きたくないからね」

「ないない、命なんて絶対に落とさないから」

「もしかして武道の実力者とか?」

「あははは。面白い冗談は止めてよ」


 五十嵐部長は高笑いする。うん、いつも思うけど、秘密結社の女幹部そのままだ。


「救助に行ったチームの話しによると、モンスター除けを持っていたそうよ」


 喋っている途中で電子音がなり、五十嵐部長が口を閉じた。

 皆の視線が一斉にエレベーターに向く。

 開いた扉から現れたのは、ボディビルダーも真っ青の筋肉ダルマ遠野重幸、日本のトップを走るチームのリーダーだ。その後に4人のアタッカーも疲れた顔で後に続いて出てくる。


「よう、五十嵐」

「こんばんは、遠野さん」


 陽気な挨拶に答える五十嵐部長は、さっきまでとは違う完全なる営業スマイルを浮かべている。部長は身内に入っている者と、そうでない者とではあからさまな程態度が違う。遠野さんは人の良いおじさんにしか見えないが、気を許していないということは何か含む所があるということだ。部長が信用していない人は、基本純も信用はしないことにしている。それくらい信頼していた。


「こんな所に集まってどうしたんだ?」

「純から、ヘルプを終えて戻るっていう連絡があったから、待っていたんです」

「そうか」


 遠野さんは頷くと、純に顔を向けてきた。


「ダニーからダイレクトメッセージが着たが、10階層で変異種が出たんだって?」

「強かったですよ。倒せませんでしたから」

「純がか?」


 遠野さんだけではなく、ここにいる皆が驚いている。五十嵐部長とほのか先輩も例外ではない。瑞希だけがキョトンとしていた。日本人で30階層まで攻略している、純の実力を知らない者はいないから、当然といえば当然だ。

 五十嵐部長が後で話しなさいと目で訴えてくるから、小さく頷いておく。


「ダニーが報告書を提出するって言ってましたけど、俺からも詳しくっていうことだったら、明日部室でお願いします」


 純が周りを見回せば、それだけで遠野さんは察してくれたようだ。事が事だけに、世界各国のアタッカーがいるエントランスで、詳しく報告して騒ぎになっても困る。


「よし、じゃあ夕方行くわ」

「では私達そろそろ行きますね。失礼します」

「おう、それじゃぁな」

 

 五十嵐部長は会釈して歩きだす。

 3人も挨拶をして後を追う。

 遠野さん達からだいぶ離れたところで、純の横を歩くほのか先輩から不機嫌な声が上がった。


「わたし、あの人嫌い」

「どうして?」

「遠慮なしに、づけづけ私達の領域に入ってくるから」


 それほのか先輩も一緒だよね、と口から飛び出しそうになったセリフを純は口を抑えて飲み込む。


「どうしたの?」

「何でもない」


 不思議そうな顔をするほのか先輩に、純は慌てて首を振った。前を歩く五十嵐部長の肩が揺れているから、気持ちは同じに違いない。

 4人は待機エリアの人気のない隅にある丸テーブルで、途中の自販機で買ったジュースを飲んで一息をついていた。


「さっきの続きだけど、瑞希がトラップで飛ばされた時の映像、私のにもほのかのにも証拠となりそうなものは映ってなかった。モンスター寄せは背につけられていたから、瑞希のカメラにも恐らく何も映ってない。これが他国だったらもっと警戒してたのに、まったく私としたことが弛んでたわ」


 五十嵐部長がその時の事が脳裏に浮かんでいるのか、口惜しそうに薄い唇が歪んでいる。ほのか先輩もそれは同じだった。


「文緒ちゃんだけのせいじゃないよ。わたしももっと気をつけておくべきだった」

「あの、私が無理言ったばっかりに。大変なことになちゃって、ごめんなさい」


 瑞希が申し訳なさそうに謝れば、それは五十嵐部長もほのか先輩も同じだったようだ。


「謝ることはないわ。危険なめにあったのは瑞希だし、私達が狙われた訳じゃないのだから。むしろ謝るのは私達、あなたを守らなければならなかったのに」

「うん。瑞樹ちゃん、ごめんね」


 瑞希がどう声をかけていいのか分からのか、キョロキョロしている。純と視線が合うと、手を合わせて助けてと訴えてきた。

 このまま放っておいたら場の空気がどんよりして行きそうだから、任せておけと手振りを交えて頷く。


「もう起こっちゃった事は仕方ないって。瑞希だって、怪我もなく元気なんだから、それでいいじゃん。これからの事を考えよう」

「そうね、純の言う通りね」

「うん。きっとこれで終わりじゃない」


 と言うと、ほのか先輩は立ち上がり、瑞希の元に移動して抱きついた。


「次は頑張るから」


 ほのか先輩の精一杯の親愛の表現に慣れていない瑞希が、目の白黒させて硬直している。

 純はといえば、頬を押し付けたられて潰れた大きな丘をガン見していた。


「スマートな男子は、見て見ぬふりをするものよ」


 冷え冷えとした声に、純はハッとしてそっぽを向いた。どちらかと言えばこれは男の性なのだから、五十嵐部長が見てみぬふりをして欲しい。もちろん言えないけど。


「まったく。仕方がないんだから。だけどやれる事といったら、抗議くらいよね。モンスター除けは、危険がないように持たせておきました、って言われたらそれまでだし」


 今更誤魔化しても仕方ないけど、純は一応咳払いをしておく。


「飛ばされたのが5階層っていうのがね」


 モンスター寄せの材料が採集できるのも5階層なのだ。


「そうね。でなかったら渋谷学院の奴ら、問い詰められたのに」

「でもさ、レアアイテムが欲しくて他の国のアタッカーを狙うんなら分かるけど、どうして同じ日本の高校生が瑞希ちゃんを狙うんだろうね」


 よっぽど気持ち良いのか、ほのか先輩は頬をベッタリと密着させたままだ。

 ダンジョン攻略機関により、敵対的行為は禁止されている。そうはいっても全世界の国が、仲が良いわけではない。モンスターを倒したと思ったら、狡猾に他のモンスターを押し付けて場を荒らし、アイテムを奪って行くことなど、頻繁にではないが普通には起こっている。


「でもどうして私なんだろう?」


 瑞希は手の置き場に困ってどうしたもんかと泳がせた後に、抱きつくほのか先輩の背に置くことにしたようだ。

 純には妹をあやす姉にしか見えなかった。この場合、妹が年上だが。


「今の情報だけは、全てが憶測になってしまう。分かっていることは故意ということだけ。だから事件として報告書を作って組合には報告する。だけどダンジョン内のことだから瑞希のご両親にも、マネージャーの方にも、報告はできないから。そこは理解して」

「機密だからですね」

「そう。大変かもしれないけど、普段通りに」

「はい」

「瑞希ちゃん、新人の中だと飛び抜けて人気あるから。嫉妬とかありそう」

「アイドルの嫉妬コワッっていうか、許せねぇ」


 幼馴染が死ぬ一歩手前まで追い込まれたのだから仕返しまでしないと気がすまない。

 ほのか先輩が、瑞希のメロンからやっと顔を離して振り向く。


「アイドルの、じゃなくて、ファンのが正解」

「えっ、そうなの?拓哉達、すげー熱狂的だけど、そんな感じないけど」


 どっちかといえば、応援しているアイドルの素晴らしさをこれでもかと称賛しあっているだけだ。


「純君の友達は穏健派だね。それとは逆に追ってくるアイドルを蹴落としてやろうっていう過激派もいるんだよ私は無いけど、他のアイドルの子が握手会で自分を見てくれなかったっていうだけで、カッターで切られた子もいたし、薬品かけられたって子もいるくらいだから」

「こえー」


 純が素直な感想が零すと、隣に座るほのか先輩が腕をツンツンしてくる。


「純君はアニオタで良かったね」

「それ今関係ないから。だけど渋校のルーキーって女子でしょ。過激っぽい感じの子だったの?」

「いいえ、終始おどおどしてた。モンスター寄せを付着させたのその子だと思うけど、きっと頼まれたのでしょうね。とてもじゃないけど1人で何か出来るタイプじゃない」

「私のファンに、そんな酷い人いるのかな」


 悲しそうに目を潤ます瑞希を、純が励ます。


「ほのか先輩が勝手に言ってるだけだから、気にすんなって」

「ねぇねぇ、純君もやっぱり、大っきいオッパイ好きなの?」

「へっ」


 唐突な話題変更に突拍子もないセリフに純の目が点になる。


「抱っこされてる時に、チラチラ見てるの気がついてたよ。純ちゃんのムッツリスケベ」


 瑞希が予想外の追い打ちをかけてくる。

 純が視線を泳がせれば、五十嵐部長とほのか先輩の眉間が激しく歪んでいる。


「眼の前にあったら見ちゃうのは、男の性だから仕方ないって。逆に目がいかなかったらホモだよ。ホモ」

「純ちゃんになら見られても平気だし、わたしは怒ってないよ」

「えっ、いいの?」

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