第3話

 歩き続けた僕達は、とある廃墟に籠城して一晩を過ごした。その間、タロとジロとの思い出と蹂躙者レイパー共の下半身にあった『あれ』の光景が、僕の脳味噌に張り付いて離れなかった。


 夜が明けて、出発。『シボガ』へのルートに敵影が少ないことを確認して、僕達は進む。


 地上の景観から察するに、かつて地上には沢山の人間がいたのだろう。ジャングルみたいに建つビル群に足元の道路、どれも自然に在るもんだとは思えない。もっとも、今は容赦なく成長する植物によって緑色に蹂躙されまくってるんだけどね。


 今回もジョーが先導している。『シボガ』の位置はジョーのデバイスじゃないと分からないから。僕は後方からの襲撃に警戒するため、殿として後退するような形で歩いていた。


 と、背中にぶつかる感触。振り向くとジョーが立ち止まっていた。いや、ちょっと下を向いている。僕は胸騒ぎを覚えた。


「どうしたのジョー!? もしかして、昨日あいつらにやられたのが……?」


「いえ、なんでもありませんわ。ごめんなさい。少し、考え事をしてしまいましたの」


「考え事?」


 僕が眉を顰めると、ジョーが続けた。


「昨日、わたくし達に襲い掛かってきた奴等のこと、タロとジロとの思い出、成人の儀、色んなことを考えてましたの」


「そりゃ奇遇だね。僕も全く同じことを考えてたよ、昨日の夜にさ」


「なら話は早いですわ。……ねえユー、わたくし、成人の儀について、嫌な仮説が立ってしまいましたの。聞いて下さるかしら?」


「嫌な、仮説? まあ、いいけど」


 ジョーの確認に僕が恐る恐る同意すると、ジョーは半ば俯きがちな姿勢で歩き始めた。


「どこから説明したいいのかしら。ユー、あなたは蹂躙者レイパーの下半身に何か変なものがあるのを見ました?」


 もしかして、あれのことだろうか。僕は首を縦に振った。


「あれ、ユーには何に見えました?」


「ええと、僕には、タロの股間にだけあった何かのように見えたよ」


「奇遇ね、わたくしもですわ。ねえユー、ひとつ確認をしたいんですけど、あなたは見たことがあるんですのよね? タロとジロが子供を産む前、あの二匹が何をしていたのかを」


「確か、タロがジロの上に乗っかってた。で、なんだろ……僕見ちゃったんだ。タロの股間に付いてる何かが、ジロに繋がってたのを」


 でも、それがどうかしたの? 続けて僕がそう訊くと、ジョーは僕から視線を逸らし、下を向いた。そして、数回深く息を吐いた。なんだ? 震えてる?


「やっぱり……。実は、昨日わたくしを襲った蹂躙者レイパー達も、をしようとしていましたの。下半身に生えていたアレを、わたくしの――」


「言わなくていいよ。僕に覆いかぶさってきた奴も、同じことをしようとしてきた。でも待てよ? ということは……まさか!?」


 僕は、ジョーの言いたいことが何なのか分かった気がした。タロとジロ、蹂躙者レイパー共が僕達にやろうとしてきたこと、あと、最後にもう一つ、


「『C20エサヤ=アティク』で見たアレの通り、蹂躙者レイパーの正体が人間のだとするなら、あいつらの目的は明確ですわ。あいつらは私達と交わって、子供を作ろうとしている。そんな事実、G19アスカサの大人達が知らないわけありませんわ。つまり」


 導き出される結論に、僕達の口が震えた。


「成人の儀の本当の目的は、僕達を蹂躙者レイパーに襲わせて、子供を作らせるってこと……!?」


 ふと、僕達のまわりだけ空気がどろっとなるのを感じた。そいつは足に絡みついてきて、僕達の歩みを鈍らせる。


「じゃあ、僕達は何のために『シボガ』に向かってるの?」


「さあ」


「成人の儀で成人になるってことは、子供を持つってことだよね? てことは、どっちにしろ僕達の運命は蹂躙者レイパーにやられちゃうことなんじゃないの?」


「……」


「『シボガ』って、もしかしたら、あいつらの巣なんじゃないの? わざわざやられるために長い旅をさせられるとか、そんなんあんまりなんじゃないか」


「ユー、まだ『シボガ』がどんなものなのかは分かりませんわ。それに大丈夫です。シボガの正体がなんであれ、わたくし達ならなんとかなるでしょ? 今までも色んなものを乗り越えてきたのですから」


 ジョーの声は小さい。でも、揺らぎはなかった。今日まで僕と二人で積み重ねてきたものの重みが、その声には込められていた。だから、沈んでいた僕の気持ちに鞭打つには十分だった。


「そうだね、ジョー。僕としたことが、ちょっとネガティブになりすぎたよ。僕達ならなんとかなるんだ。今までも、これからでも」


 いつしか足元にまとわりついていた泥のような空気は消え失せ、僕の足取りは元の軽やかなものへと変わっていた。

 

 ★★★


 背の高いビル群にぐるりと囲まれた鬱蒼たる広大な緑――ここはかつて公園と呼ばれた、かつての人間達の憩いの場。でも、僕達よりもずっと背の高い木々が生い茂り、下を見れば足の踏み場もないほど植物が生い茂る所なんか行って何が面白かったんだろう。僕からすれば、草の向こうから敵が出て来そうでおっかないったらありゃしない。


 『シボガ』の反応は、この中心部からしているようだ。再び、ジョーを先頭に僕達は進む。と、ここで僕は並々ならぬ気配を感じて奥の方を見た。


「ねえ、ジョー。まさかだけど、あれが『シボガ』ってことじゃないよね?」


 僕が指差したのは、公園だったジャングルの先客達だ。最初、僕は流れる水だと思った。地上より低い位置で、一定の方向へと向かって進んでいたから。でもよく見たら違った。蹂躙者レイパーの大群! おびただしい数の蹂躙者レイパーが、干上がった水路に沿って歩いていたのだ。


「まさか。安心なさい。あれが『シボガ』なわけありませんわ。ただ残念なことに、『シボガ』の反応は奴等が向かっている方角と同じですけれど」


「嘘でしょ……」


 僕は背中に嫌な汗をかいた。


 元公園なだけあって、身を隠すには十分な高さの草木は多い。低い姿勢を維持しつつ、僕達は公園を進む。


 蹂躙者レイパー共の呻き声が聞こえて来る。僕達のすぐ隣には、連中の長い行列が通っている。おかげで、あいつらの糞のような臭いがこちらにまで立ち込めてきて気分が悪くなりそうだ。


 似たような大群は以前も地上で見た。あれが僕達のすぐ近くにいる。あまつさえ、そいつらが向かっているのと同じ方へ僕達は進んでいる。


 物音を立てるなんて厳禁だ。あいつら全員に気付かれたら、昨日のような襲撃だけで済むわけがない。もしかしたら、身体を引き裂かれるかもしれない。


 やがて、ジョーのデバイスが指し示したのは、芝生に囲まれた空き地にポツンと建つ小屋だった。ジョー曰く『シボガ』は地下にあるようで、目の前にある小屋はそこへ繋がっているようだ。扉を開けると、地下へと続く長い階段の入り口だけがあった。


 地下は巨大な水道となっていた。明かりがあっても遠くが見えないほど暗い空間だったけど、僕達にはどこか懐かしかった。故郷の地下鉄に似ているからかな。違う点といえば、線路が走っていないこととか、表面が酷く濡れているということくらいだ。


「ユー、この先ですわ。『シボガ』は!」


 ジョーの言葉に、僕はついに息を飲んだ。


 シボガ――成人の儀の終着点が、いよいよ間近に迫っている。コンクリートの硬い地面を踏み締める足と、小銃の銃杷を握る手に力が籠る。


 暗闇の向こうから、呻くような声が聞こえた。地下道の壁で反響して、まるで巨大な化け物の唸り声のように響いてくる。嫌な臭いもしてくる。さっきも地上で嗅いだような忌々しい臭い。


 だけど、隣にはジョーがいる。僕達には、今日までに歩んできた訓練の積み重ねがある。何が出たって怖くはない。


 遠くに光が見えた。電灯や焚火のように周囲を明るく照らすようなものではなく、暗闇の中で仄かに在ることを示してくれる程度のボヤッとした明るさ。恐らく、この地下水路に生えた何かが発光しているだけのようだけど、僕達が歩き進めば進むほど、その発光体の数は増えていく。


 開けた空間に辿り着いた時、僕達は驚愕した。


 星空が地下に埋まっている――それが僕達の第一印象だった。光る樹木か鍾乳石のような何かが、暗い地下の空間を埋め尽くさんばかりに生い茂っていたのだ。


 僕達は、それらが放つ煌びやかな明かりに恍惚と誘われていた。僕達は似たような光景をG19アスカサで見たことがある。誕生祭――成人の儀から誰かが帰ってきた時にする祭で、G19アスカサ中を派手な装飾で華やかにさせるんだ。もしかして、あの祭のルーツって、これ?


「これが、『シボガ』……?」


 近付いて分かったんだけど、それらは水上から生えてるみたいで、気が付くと僕達は腰の辺りにまで水に浸かっていた。しかも、明かりを照らして分かったんだけど、水は酷く白濁してる。


 ここで、僕達が入って来た方向とは別の場所から物音。僕達が銃を向けると、そこからやって来たのは、地上で見たあの蹂躙者レイパーの大群だった。せっかくここまでやって来たというのに、やっぱり奴等とは戦わなきゃいけないのか。


 しかし、そいつらは僕達など全く見ていなかった。群れは『シボガ』の方へと我先に殺到していく。僕達と同じように、腰まで水に浸かりながら。


 すると、そいつらの身体に変化が起きた。くぐもった唸り声を上げたのかと思いきや、何かが皮膚を突き破って全身から生えてきたのだ。僕達は『それ』を見たことがある。蹂躙者レイパー達は次第に動かなくなり、『シボガ』を構成するひとつに加わってしまった。


「ジョー、もしかしてあいつらから生えたのって、駅ビルで見たやつじゃない?」


 僕が確認すると、ジョーは首を縦に振った。


「ええ。あれは蹂躙者レイパーの成れの果てだったのですわ。年月を経た蹂躙者レイパーがなる姿が、あの全身からキノコもどきが生えた姿だったのですわね」


「そしてそれが、ここには沢山……。てことは、『シボガ』の正体は、『蹂躙者レイパーの成れの果て』が集まって作られた場所だったのか」


 僕は、改めて『シボガ』を構成するそれらを見た。言われてみれば、鍾乳石のようなテカテカした質感の粘膜に覆われているものの、確かにどれも人間っぽい面影がある。こいつらもまた蹂躙者レイパーだったのか。僕達に襲い掛かってきた奴等とか、信じられないな。


 明かされた真実に、僕達は溜息が漏れた。と、同時に全身の力が抜けていくのを感じた。今までの疲労がどっと出て来たのか、それともこの『シボガ』の魔力なのかは分からない。だけど、気付いた時には、僕はジョーと一緒に『蹂躙者レイパーの成れの果て』が茂る白い液体の上を、ただただ漂っていた。


 僕は夢を見た。いや『シボガ』の見せた幻だろうか。銃を持って立つ僕の目の前に、誰かがいた。


 人間だと思う。姿形は僕達とは全然違う。でも、少なくとも蹂躙者レイパーではない。僕達人間とさして変わらない何か。同じようなものを『C20エサヤ=アティク』の絵で見た。嗚呼、あれが、かつて存在したという人間の片割れ――。


 不思議な感覚がした。目の前のそれを見た途端、鼓動がおかしくなった。訓練の時みたいに走りまくった後じゃないのに、身体が熱くなって胸が苦してたまらなくなった。でも、悪い気分じゃなかった。初めての感覚だった。


 僕は駆けだした。両手を広げる目の前の人間らしき何かの胸へ、僕は飛び込んだ。拒む理由が無かった。暖かい抱擁に身を包まれていると感じた時、僕の意識は再び遠のいた。


 最後に僕が聞いたのは「G19 アスカサ――両名の懐胎を確認、帰投する」という淡々とした報告だった。

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