第58話 F
朝。
自宅。
まだ登校には早い七時。
座卓の周りには、俺、舞、父さん、そしてレイが座っている。
卓上に並ぶのは、ご飯、生卵、納豆のパック、焼き鮭、おくらの鰹節和え、そして卓を彩る程度の夕飯の残りの煮物。
「んじゃ、いただきます」
最後の皿を置いた俺が音頭をとると、皆が手を合わせて『いただきます』と口にした。
父さんが納豆を手に取る。
舞は生卵を器用に割る。
そしてレイは焼き魚の皮と骨を箸で取ろうとしていたが、ことごとく身までついてきてしまい、いちいち首をひねっている。
俺は横から手を出して、レイの魚をほぐしてやった。レイは不器用だ。頭はめちゃくちゃ良いのだが。
「陣くん。ありがと」
「早く食って、学校に行くぞ」
「あら。急がなくてもいいじゃない。どうせ夏休みなんだし」
「夏休みとはいえ登校日だ」
「まじめよね、陣くんって」
「まじめか? 決まりに従おうとしているだけだろ」
「決まり? まさか。陣くんは、立派なルールブレイカータイプだと思うわ」
「レイの口はさっき『陣くんはまじめ』って言ってたぞ」
「あら。たしかに我ながら矛盾しているわね……まじめだからこそ、規則を破るタイプなのかしら」
「なんだそれ」
「さあ? でも、そう感じるんだもの。しかたがないわ」
きちんと飲み込んでから話をするので、こんな会話でも時間がかかる。
横では舞が、歌ともとれるような呪文を唱えていた。
「くるくる~、くるくる~、おいしくなーれっ」
舞は生卵をくるくるしてから、器に少量の塩・ごま油と麺つゆを入れる。
それをさらにかきまぜてから、刻みのりをかけたご飯にかけて、軽く混ぜ合わせた。
ようするに、たまごかけご飯である。
正確には『荒木家特性たまごかけご飯』だ。
醤油だけで食べるよりも、こうするほうが風味が増しておいしい。ごま油は本当に香りづけなので、数滴で良い。
父さんは父さんで、納豆のパックに生卵を入れてかき混ぜている。
そこに、舞とは違い、塩ではなく砂糖を一つまみ。醤油と小葱を入れてから、さらに数回混ぜてご飯にかけた。
納豆に砂糖を入れると粘り気が増す。さらに醤油の味の裏に若干の甘みが出るので、おいしくなる――らしい。
俺は朝に納豆を食べる習慣がないので、父さん用だ。
俺は口に汁椀を当てながら、首をかしげた。夏休みとはいえ、なんだか不思議な光景だ。
決して味噌汁の味が変なわけではない。レイも『今日の海苔のお味噌汁もおいしぃ……』とうきうきしている。
ようするに、おかしく感じるのは、そのレイが参戦している、この不思議な朝食のことだ。
迎えにくるだけだったはずのレイが、いつの間にか朝ごはんを我が家で食うことが当然のようになっているーーという話。
まあ夕飯も朝飯も同じようなものだから、別に良いのだけども。
「あ、そうだわ。陣くん、舞ちゃん、お父様」
レイがぽんと手を打って、どこからか封筒を取り出した。
「これ、お話していた食費です」
「え、まじで持ってきたのかよ。いらないっていったろ」
俺の言葉に父さんと舞も頷いた。
「いえ、ダメよ」
レイはしっかりと首をふり、立ち上がった。
どこへ行くのかと思えば、母親の位牌の前だった。
封筒を母の写真の前に立てかけてから、手を合わせる。
「お母さま。今日も陣くんのご飯はおいしいです」
こちらに戻ってくると、レイはしれっと食事に戻った。
父さんと舞がにっこりと笑っている。
俺は眉をしかめるしかなかった。
「現金は受け取らないっていったろ」
「図書券だから」
「図書券……」
「舞ちゃんの絵本とか、お父様のお仕事用の本を買えるわ」
「俺は……?」
「本、読むのかしら?」
「……舞、父さん、お礼して」
『ありがとう、レイちゃん!』と二人の声がはもった。
なんだこの朝の光景は――悪くはないが、不思議である。
朝の登校だけでなく、レイが朝食まで我が家で食べるようになったのには、深く長く、とても意味のある理由が――まるでない。
そう。
まるでなかった。
なんていうか、気が付いたら食っていた。
恐るべきことに、最近ではミヤコちゃんまで朝食を食っているときがある。
あの子、自宅に居場所できたって言ってたんだけどな……。
我が家は食堂じゃないぞー!、と主張しようとも思ったが、舞と父さんが楽しそうだから良いかとも思ってしまったのも事実だった。
やっぱり、みんなで食べるご飯はおいしい。
母さんが亡くなってから、三人での食事ばかりだった。
やっと落ち着いてきた生活も、変化は少なかった。
だからきっと、荒木家にとってはちょっとした良い切欠なのだろう。
おかしいと思うこともあるし、おかしいと指摘されることもあるだろう。
だがそれが『その人の出した答え』なのであれば、仮におかしかろうが、それが答えなのだ。
他人に迷惑はかけていないし。
うん。
だから。
「えー! レイちゃん、めだまやきに、ソースかけるのー! なんでー!」
「じゃあ、なにをかけるのかしら。醤油?」
「めんつゆー!」
「前から思っていたのだけれど、この家は、めんつゆを酷使しすぎじゃないかしら……?」
なんて議論が発生していても、それはそれで良いのだ。
「お父さんは、塩だなー! 塩! 渋い大人になるとだなあ、塩があれば大抵のものは――」
「父さん。早く仕事行って。遅刻するから」
「は、はい。行ってきます」
だってそれが『その人の答え』なんだから――まあ、責任のある父さんには厳しくいくけども。
◇
食事を終えて、食器を簡単に片づけていく。
父さんはすでに出勤している。
舞は学校がないがプールがある。
出発までレイとお絵かきをするようだ。
「責任、か……」
一人のキッチン。
口をつく言葉。
責任のある人間は、立場も変わる。
本当に伝えたいことがあっても、立場に邪魔されて、言えないこともあるだろう。
一人の少女の姿が思い浮かぶ。
辛そうだった、初めて出会ったときの顔。
注意をしてきた責任感のある表情。
いったい――。
「いったい、どっちが本当の姿なんだろうな……?」
答えはなかった。
そして俺は今日、彼女――イバラギさんから話を聞くことになっていた。
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