第57話 E(眠り姫サイド)
時計を見た。
深夜二時。
眠れない夜にはもう慣れた。
ベッドの上で寝返りをうつ。
思い出されるのは、今日のこと。
なぜ『あんな話』をしてしまったのだろうか。
話すつもりなんてなかったのに、思わず口にしてしまった。
アラキジン――その言葉の並びを忘れたことはない。
けれど、口にしたのは久しぶりのことだった。
「荒木陣……」
夜の闇に隠すように、そっと、あの不思議な男子生徒との思い出を回想した。
◇
彼と最初に出会ったのは桜舞い散る春のことだった。
私は一年の頃から風紀委員に所属していた。
やる気があったからか、適当に目についたからかなのかは不明だけど、第一学年長に任命された。
名前の通り、一年の風紀委員の代表ということになる。生徒数が多いので自治にも独特なやり方があるらしかった。
性格上、どうしたって職務を全うしなければならず、だから私は広大な姫八学園内をかたっぱしからパトロールしていたのだ。
「ちょっと! そこのあなた!」
そして――彼を見つけた。
「ん?」
外。
人気のない東屋だった。
姫八学園は広大すぎて、閑散とした自然公園の一角みたいな場所が所々に存在する。
私の注意を受けて、彼――荒木陣はゆっくりと起き上がった。
注意されて当たり前だろう。
彼は木製のベンチの裏側に潜り込んでいたからだ。
「一体、なにしてんのよ!」
私の率直な意見としては『春に現れるっていうバカなの?』だった。
なんで生徒がベンチの下にもぐってんの?
そういう趣味なの?
その時点ではまだ名前を知らなかった『彼』は、服についた泥をはたきながら、私の言葉の意味に気がつかぬように、あっけらかんと言い放った。
「このタイプのベンチ、あっちと違って、ひっくり返せないんだよ。確認するにはもぐるしかないだろ?」
「確認? 何を確認……まさか盗撮カメラとか設置してないでしょうね!?」
「そんな人に迷惑をかけるようなこと、するわけないだろ。そもそも犯罪だ」
「そ、そうよね、ごめんなさい……」
私はどうも、考えたことがすぐ口に出てしまうのだ。
それで助かった場面もあるし、困った場面もある。どちらかというと困るほうが多いのだけれど、私の性格上、仕方がないとあきらめている。
「……じゃあ、なにしてんのよ」
「見れば分かるだろ」
「見ても分からないから聞いてるんでしょ?」
彼は近くにあった工具箱に道具を返して、蓋を閉めた。
「修理。基本的に締めるか緩めるかしか許されてないけど」
「なんで生徒が修理するのよ。そういうのは用務員さんとか、営繕さんの仕事じゃないの?」
私はまだ入学して間もない姫八学園のシステムをすべて知っているわけではない。けれど、普通、学生が修理をすることはないだろう。
いや、あるのか……?
「まさかあなた、ボランティア部とか?」
「ん? いや、帰宅部だけど……なんで?」
「じゃあやっぱりおかしいじゃない!」
「おかしいのは、お互い様だと思うけどな……」
「はあ? それこそなんでよ」
「いや、別にいいんだけどさ。じゃあ、俺行くから」
「は? ちょ、ちょっと! 反省するとか、謝罪するとか、そういうことしてから――」
「――じゃあ、そういうことで」
「名前ぐらい残しなさい!」
「……? 名前はアラキジンだ」
アラキジン――荒木陣は、時計を見ながら焦ったように言葉を並べた。
「大変だ、舞に怒られる――じゃあ、また!」
「あ、こら!」
止める間もなく、彼は走り出した。
私はその背に、言葉を投げた。
義務感だけの、大声だ。
「今度見かけたら、学園長に報告するからね!?」
「一応、学園長も知ってるはずだ!」
彼からの返事はそれだけ。私は東屋に一人、残された。
視界から消えていく背中を見て、思う。
「あいつ、絶対わかってないわね……」
怒られているというのに、彼の背中はどこか楽しそうで――私はなんだか羨ましくなった。
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