第49話 生還(宮子視点)(β)
夜の駅ビル屋上。
真堂先輩は、「そう」と言ったきり何も言わない。
アタシも言葉を忘れていた。
疑問が疑問を呼び、憶測が憶測を呼んだ。
「先輩、アタシ、どうすればいいんでしょうか……」
思いつくままに言葉を口にした。
しかし不思議なことに、アタシの脳裏に映っていたのは荒木先輩の大らかな笑顔だった。
真堂先輩は間髪入れずに答えた。
「先輩はね、後輩のことなんて、全部お見通しなの。だってそれが先輩だから。でしょう?」
「……?」
真堂先輩は、そう言うとスマホをいじり始めた。
「真堂先輩……?」
「言ったでしょう、ミヤコちゃん」
「……なにを、でしょうか」
「わたしは何かに気が付く役。陣くんは何かを解決する役」
「言ってましたけど……それって……?」
「すぐ来るわ」
「まさか、荒木先輩ですか?」
「まさかもなにも、来ると言えば、陣くんしかいないわ。すぐ下のフロアに居てもらったのよ。さっきのとおり、わたしの役目は聞くだけだから……それに」
真堂先輩は当たり前のように言った。
「わたしと陣くんは、離れすぎると死ぬから。いつでも近くにいるのよ?」
「あ、はい……?」
とっさに反応できず、アタシが呆けた声を出してしまう。
真堂先輩は絶望したような雰囲気を醸し出した。
「……ごめんなさい、嘘です……場が和むと思って、ついた嘘です……運命共同体なんて、嘘なの……」
「あ、す、すみません! 和みました! 和みました!」
「やめて……わたしは場の空気を読めない、馬鹿な先輩なのよ……っ」
なんだろうか。
疑問は尽きないけれど、わたしの心が軽くなる。
こういう所か、アタシは好きなのかもしれない。
そんなやりとりの中、視界を真堂先輩で埋めていたら、近づいてきた別の気配に気が付かなかったらしい。
「――レイ、ミヤコちゃん。助けてくれって連絡きたけど、大丈夫か?」
頭上から声が落ちてきた。
そう。
答えがやってきたのだ。
◇
雲の間に星が見える
生ぬるい風はまだ夏本番の一歩前なのだろう。
汗をとめどなく流させるほどの暑さはない。
「――ということなの」
「なるほど」
真堂先輩が流れるように荒木先輩へ、説明を行う。
事前に、荒木先輩に話して良いかの確認はあった。もちろん拒否する理由はない。
実のところ……荒木先輩に相談することも考えていたからだ。
きっと荒木先輩なら、必ず来てくれる気がしたのだ。
その分、真堂先輩に誤解されるのが怖かった。
「で、どう思う? 陣くんは」
この話の問題点は、この写真が示す『ユカリさんの立場』である。
母親と思しき人間の横に居ることがまず不明であるし、そもそもアタシが生まれる前から父や祖母と知り合いであるのも初耳だ。
「そうだな……」
荒木先輩はアタシたちの前に立っている。
二人分の視線を受け止めて、荒木先輩はにっこりと笑った。
まるで真堂先輩の表情が動かない分まで、表現しているような豪快な笑みだった。
そして言った。
「すまん。俺には全然、わからない」
え?――アタシは耳を疑った。
わからない?
わからないって、どういうこと?
たとえばヒントとか、憶測とか、そういうものってないの?
アタシの驚きとは別に、真堂先輩は納得したように頷いた。
「でしょうね。陣くんだし」
「えっ!?」
アタシは、真堂先輩をガン見してしまった。
「先輩。答えを教えてくれるんじゃ……」
「無理よ。だって陣くんよ? こんな複雑な関係性を理解できるのなら、わたしのこと、忘れるわけないわ」
「いや、たしかにそうですけど――いや、でも、そうじゃなくて……! 荒木先輩が、答えを教えてくれるって……」
「だから、これが答えでしょう?」
「……え?」
アタシは首を傾げ、斜め上を見た。
残念ながら荒木先輩も分かっていないようで、理解しているのは真堂先輩だけのようだった。
「陣くんは、自然体で馬鹿なのよ」
「言い方」
荒木先輩が口をはさんできた。
「ごめんなさい。つまり、アホなの」
「表現方法」
「そうね。つまりナチュラルなのだわ。だから、分かることは分かるし、分からないことは分からないの。そして頑張ると決めたら頑張るし、それが行動原理にもなる。それ以上もそれ以下もないの。だから彼の出す答えは原初的で、だからこそ、分かりやすく胸に刺さるのだわ」
真堂先輩はまるで、自分が褒められているように嬉しそうな雰囲気を出していた。
「ねえ、陣くん? 分からないことだらけだとしても、少なくとも、ミヤコちゃんに言えることはあるんじゃない?」
「俺から?」
「陣くんから」
「まあ……そうだな」
荒木先輩は、どこか恥ずかしそうに頬を指先でかく。
おや、とアタシは思う。
どこかいつもの先輩より、幼く感じた。気のせいだろうか。
「そのユカリさんって人、まだ生きてるんだろ? 別にひねくれてるわけじゃなくてさ、俺は母親に色々と聞きたいことがあったけど、もう聞けないんだ。この世にはいないから」
「……はい」
先輩はおそらく、卑下している人間に見えないように、なるべく明るく話しているのだと思う。
でもアタシには、それが逆に幼く見えているのかもしれない。
まるで迷子になった子供みたいだった――が、側には真堂先輩が居るのだ。
「俺は……目をつむれば、母親の姿が見える気はする。でも、それだけだ。優しく微笑んでいるけど、なにも語っちゃくれない。でも、ユカリさんって人は生きてる――だから、分からないことは、素直に聞けばいいんじゃないか? 本人にさ」
「そう……ですね」
至極、当たり前の答え。
「そう、ですよね」
アタシはもう一度確かめるように頷いた。
先輩の言葉にならって、目をつむる。
そこには、いままで怒りを封じ込めてきた箱を持った、母親『のようなもの』が立っていた。
顔は暗くて見えない。
いや違う。
見えない――ではない。今まで知らなかったから、顔が無いのだ。
母親『らしきものは』、怒りの箱を胸に抱いた。
それから目をつむったアタシに、背を向けて――何も語らず、うっすらと消えていく。
真堂先輩の手が、背に置かれた。
はっとなる。
その手はとても暖かかった。
「さあ、ミヤコちゃん。答えは出たでしょう? こんなところに居る場合じゃないわ」
「……はい。そうですね」
アタシはアルバムを閉じた。
バンドをしてから、トートバックに詰め込む。
そうだ。アタシはこんなところで下を向いている場合ではない。
せっかく何か、答えが見つかりそうなのだ。
そして、それを教えてくれる先輩たちが居るのだ。
行動しなければ――アタシは海の城から逃れることができなくなる。
「先輩。すみません。アタシ行きます――」
「おう。ほんとよく分かってないんだが、行ったほうがいいことは分かるぞ」
「はい」
「がんばれ」
「はい……!」
そうしてアタシは駆け出した。
歩いて良いと思えるほどの、時間の猶予は感じなかった。
背に声はかからない。
でも見送られている視線は感じる。それも二人分。
数段の階段を上って、あと数歩でエレベータールーム――というところで、アタシは勢いに任せて振り返った。
アルバムの入ったトートバックが暴れるが、体ごとぶつかって押しとどめる。
アタシはうっすらとした姿しか見えない“二人”に届くように叫んだ。
「先輩っ! アタシ、先輩のこと、好きみたいです!――続きはまた今度っ!」
二人の表情はもちろん見えない。
だが、その様子は分かる気がした。
真堂先輩はすべてを理解した顔で飽きれているに違いない。
アタシに対する評価は不明だが、怒ることなく受け入れてくれるだろう。
そして荒木先輩は、そんな真堂先輩の真横に立ち、こう言うのだ。
『先輩って……、どっちの先輩のことだ?』って。
アタシはエレベーターすらもどかしくて、くだり階段に歩を進めた。
アタシにとっては、大事な二人。
顔は見えなくとも、手に取るように分かる幸せの形。
二人そろっているときの二人が好き――なんて言っても分かってくれる人なんて、きっと居ないよね。
仮に、そんな人が居るならば、ぜひ友達になってほしいものだ。
すべてが見えなくなる瞬間――乙女パンチっ、と聞こえたのは、おそらく幻聴ではないのだろう。
だけど今は、構わない。
アタシにはやるべきことがある。
今は、深い海から家族の元へ、帰ることが優先なのだから。
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