第45話 会話(β)
終業式が終わった。
『じゃね、ミヤコ~』
『ミヤコ、また連絡するねっ』
『彼氏できたらダブルデートしよーねー!』
「うん、ばいばい」
手を振る友達のそれぞれの横に見知らぬ男子が立っていて、アタシの顔とか胸とかを盗み見てきた。
正直なところイヤだったけど、笑顔は忘れない。別れる原因には、少しだってなりたくない。
彼氏ができると付き合いが悪くなるらしいとは知っていたが、実体験は初めてだ。
明日から夏休み。
マンモス高校だからかは知らないが、夏休み寸前にテストを行い、夏休み中に先生たちが採点をし、8月にある数日の登校日にテスト結果が返ってくる。
それまでに彼女たちは、楽しい思い出をいくつも作ってから登校してくるのだろう。
夏祭り。
花火大会。
海に山。
少し前のアタシならば、そんな考え方を静かな怒りに変えてしまっていたかもしれない。
けれど、今の気持ちはそんなに重くない。
きっと、アタシにも約束をする相手が出来たからだろう。
夏休み?
悪くないじゃん。
そんな感じだった。
◇
約束――そう、約束だ。
アタシは同居を始めてから、ユカリさんと約束の一つも交わしたことがなかった。
毎日、出たとこ勝負で暮らしていた。
それでもアタシの生活に不都合が出なかったのはきっと、ユカリさんが色々と不都合をのんでくれていたからに違いない。
アタシは、色々なことを素直に受け入れられていた。
その理由はいわずもがなだ。二人の先輩を見ていたら、素直になることの大事さを知った。もちろん良くも悪くも。
いやまあ、あの二人にしてみたら、全てが良いことに変わるのだろうし、それが見ていて面白いのだけど。
アタシはまだ子供だ。
アタシは母親がいない。
アタシは四人で暮らしている。
その通り。
今は夏で夏休み。
セミが鳴くのは当たり前。
汗をかくのも当たり前。
その通り――だから家に着いたあと、玄関先でユカリさんと会ったとき、アタシの口は勝手に動いた。
「買い物、ですか?
「あ、ええ。車、使うわね」
「よければ、手伝いますよ」
「え?」
「お米、無くなったって昨日、言ってましたよね。重いもの、手伝いますよ」
「あ、そう……? なら、お願い、します」
ユカリさんの驚いたような顔が、どこか嬉しそうに見えたのは、アタシの勝手な妄想だろうか。
◇
それからアタシは、車のなかや店内で、色々な事を話した。
学校のこと。
友達のこと。
生活のこと。
特に意味なんてないし、なにをいきなりペラペラ喋ってんのって感じだけど、アタシはどこか信じていたのだろう。
他人でも話せば分かりあえる。
荒木先輩と、真堂先輩のように。
子供みたいに話すアタシをどう思ったのかは知らないが、ユカリさんは少し困惑気味に、けれど決して不快に見えないように返答してくれた。
「ええ、そうね」とか。
「そう、かしら」とか。
「うん……」とか。
どんな話題が好きなのかはわからないけれど、アタシは話すしかない。
だって、先輩たちだって、そうして絆を深めている。
まるで言葉に、見えない力が宿っているかのように、会話だけで互いに支えあっている。
アタシも、何故だか、そうありたい。
◇
帰宅してからも、アタシは料理を手伝った。今日は夏野菜カレーらしい。
野菜を洗っている時だ。
「ミヤコさん……大丈夫?」
ユカリさんは、心配そうにアタシに聞いた。
それもそうか、と反省する。
ふてくされて、関係を希薄に保っていたような人間が、いきなり接近してきたのだ。
良くも悪くもなにかしらあるに違いない。
洗った野菜を受け取ったユカリさんは、包丁でそれを切り始めた。
まな板を包丁が叩く音だけが響く。
外を小学生ぐらいの幼い声が走り抜ける。
エニシくんは、あんなにはしゃがない。それってこの家庭のせいだろうか。
ぼーっと考えていたら、答えは出た。
「アタシ、もういいですよ」
「なにが?」
「ユカリさんのこと、お母さんって呼んでもいいですよ」
「――っ」
「アタシのこと、気にしないでください」
突然、ユカリさんの手元が狂った。
包丁の切っ先が、指先に向かう。
「あ」
「いたっ」
「だ、大丈夫ですか!?」
ユカリさんは下を向いたまま答えない。痛みが強いのだろうか。
まな板のうえに、ポタポタと垂れる赤い滴。
押さえたタオルが、じんわりと赤く染まる。
「待っててください!」
アタシは救急箱を急いでとりに行く。
大丈夫。
動転なんてしない。
言うことは言ったし、先輩たちの姿がアタシの心に宿っている。
アタシは救急箱を胸に抱いて、ユカリさんのもとへ戻った。
「……なさい、」
「え?」
「ごめん、なさい」
ユカリさんは震えていた。
それは指の痛みからくるには、いささか大袈裟すぎる反応にも感じられた。
涙は、でていない。
出血も、緩やかだ。
なのに、その顔だけが、異様に白い。
まるで体から体温を奪われたようなほど蒼白。
そんなユカリさんは――まるで怒ることを知らない人形のように『ごめんなさい』と繰り返していた。
◇
それからエニシくんとお父さんが帰宅して、ユカリさんの異変に気がつき――二人は部屋にこもり何かを話していた。
アタシはなにがなんだか分からずに、お父さんが頼んだデリバリーピザを、エニシくんと二人で食べた。
エニシくんは何も言わない。
アタシは何も言えない。
その夜、作りかけのカレーだけがキッチンに残った。
アタシは――なにかを間違えたのだろうか?
唐突に不安になり、スマホを手に取った。
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