第44話 屋上(β)

 目当てのドリンクを手に入れたアタシは、先輩たちを駅ビルの屋上へと案内していた。

 都内の緑を増やす名目なのかは知らないけど、駅ビルの屋上に簡素な庭園があるのだ。


 ここはアタシがよく訪れる場所だ。

 一人になりたいとき。

 全てを忘れたいとき。

 怒りを箱にしまうとき――この場所は、姫八でのアタシのセーフスポットなのだ。


「へえ、こんなところがあったのか。レイは知ってたか?」

「家のすぐ裏なのに知らなかったわ。わたしの部屋は南向きだから、こちらは見えないの」


 先輩たちも、知らなかったらしい。

 アタシは少し得意気に説明した。


「ここ、あまり知られていない場所らしくて。だから、一人で静かに考えたいときとか、穴場なんです。すぐ下には行列がある場所には思えないほど静かで。水も流れてるし……なんと、ここ、夜の11時まで解放されてます」

「へえ。そりゃすごいな――ああ、そうか。すぐ下の階のレストランフロアが11時までだからか」

「そうみたいです。だから、夜なんかは本当に、一人みたいなときもありますよ」

 

 駅ビルがリニューアルしたのが三年ほど前。それまではゲームセンターのような場所だったらしい。


 それが今や庭園なのだが――この場所を周知している気配はなく、よって知っている市民は少ないようだった。


 アタシの場合は引っ越してきてから探索していて、偶然知った。

 あのときはびっくりした。

 自然の少ない新しい土地に違和感を感じていたとき――屋上に上がったとたん、自然があった。

 どこからかお祖母ちゃんの声が聞こえた気持ちになったぐらいだ。

 だから人にはあまり教えたくない。もちろん公共施設なのだから、そんなこと勝手な話なんだけど。


「ミヤコちゃん。教えてくれてありがとう。もちろん、黙っているわよ」

「あ、いや、はい」


 心を見透かされたようで若干恥ずかしくなる。


 しかし今日も今日とて人はまばらだった。

 なんなら視角次第では、アタシたちだけにも見える。


 先輩たちは一通り歩いてから、めぼしい日陰のベンチに座った。

 二人用が二つ。

 あたしもそれにならって座る。

 もちろん、二人用に一人でだ。


「気持ちいいな、ここ。今度、舞も連れてこよう――それにしても三年も気がつかないとは、灯台もと暗しだな」

「灯台もと暗しというには、空に近すぎないかしら」

「たしかに」


 先輩方は二人で和気あいあいと話をしている。

 アタシはそれを横から見ていた。

 なんていうか、眠気の中で聴くラジオのような心地よさが、二人の会話にはあるのだ。


 なんだか不思議な気持ちになる。

 アタシはドリンクを一口、飲む。

 世界は変わらない。けれど、アタシは何かが変わっている。


 ドリンクなんて行列に並んでまで飲む必要なんてないって、いつも思っていた。

 それが今日は、とても大事なものに思えた。

 味さえ違っている。


 ふと、風が通り抜けた。

 

 真堂先輩のやわらかな、クルミ色の髪がそよぐ。

 荒木先輩がそれをとても優しい目で見ていた。


 ああ、この人たち、お互いをとても大事にしているんだな。お互いのことを、信じあっているのだな――改めてそう感じる。


 アタシの心は、確かに変わっている。

 間違いなく、二人の間に流れる『なにか』に感化されたのだ。


 今まで頑なに守り続けていたこと――怒りの箱への収納。

 きつく締めた紐が、少しずつ緩んでいく。

 カタカタカタと、箱が揺れる。

 あたしはそっと、蓋を押さえる


 緊迫していた『何か』が確実に緩まっていく。


 ふたたび風が通り抜ける。

 アタシは気がつく。

 いや、本当はテスト前から気がついていた。

 

 ユカリさんと、エニシくんと――アタシとは関係のないはずの『父が連れていただけの人たち』と、アタシは、家族になっても良い。


 だって。

 出会わなければただの他人でしかない、目の前の先輩たちが――こんなにも、幸せそうなのだから。


 アタシだって……と、そう思っている自分に気がついた。

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