第43話 澱粉(β)

 夏休み目前。

 期末テスト最終日。

 最後の科目が終わると、緊迫感に包まれていた学内の雰囲気は、風船に針をさしたかのような勢いで開放的になった。


 それは俺の在籍するクラスも、例外ではない。

 放課後どころか、ショートホームルームが始まってもいないというのに、今後の予定が右から左へと流れては消えていく。


 案の定というか、レイの話題は出ているようだが、俺への話は一切ない。

 挨拶なんかはクラスメイトと普通に交わせるようになってきたけど、どうも顔と名前が一致しきれていない。

 苗字は覚えられるんだけど、名前が難しいんだよな。

 やっぱりリョウの言う通り、『それっぽくやってきただけ』の交流のツケなのだろう。まあ良い。今年の夏休みがだめでも、来年の夏休みには友達と――まてよ、三年の夏休みって勉強か? え? 詰んでない?――なんて、絶望していたらテル姉……じゃなかった、戸暮先生がやってきて、熱意の中のSHRが始まった。


 突然。

 ヴヴ。

 スマホが振動。


「ん?」


 さりげなく画面を見ると、レイからだった。

 タップを数回して、チャット画面を開く。


『レイ:放課後、ミヤコちゃんを交えて打ち上げしましょう。さっき決まりました』

『レイ:スタンプ(逃げてもいいけどっ)』

『レイ:スタンプ(地獄まで追いかける♡)』


 可愛らしいスタンプだったが、内容はそんなことなかった。


『ジン:……はい』

『レイ:スタンプ(地獄まで追いかける♡)』

『ジン:OKしたのに!?』


 そんなこんなでメールアプリを使っていたら、いつの間にかショートホームルームが終了していた。

 聞いていなかったことは、テル姉に全てバレていたが、夏休み直前ってことで許してもらえた。

 げんこつ一発で。


 なぜ俺の周りの女性は、暴力的なのだろうか。

 不明である。


   ◇


 放課後。


「ミヤコちゃん、直接お店に行ってもいいのかしら?」

「あ、はい。大丈夫です。ほかに予定もないですから」

「じゃ、行きましょうか」


 勉強会を開催した三人――俺、レイ、ミヤコちゃんで目的地へと向かう。

 こうして約束しあって、三人で校門を抜けるのは初めてかもしれない。


 レイは日傘に肘までの手袋、太ももまでの靴下で防御は完璧だ――が、こういう表現をすると『乙女心パンチ』が飛んでくるので言葉にはしない。

 何がいけないのかよくわからないが、表現力が足りないという。


 対してミヤコちゃんは……なんていうか、焼かれるがままというか、こんなに白くて可愛らしいのに、日焼け対策は適当らしい。

 レイが一度叱っていたが、ミヤコちゃん曰く『いや、あたし、三年ほど前までは、村に住んでたので……焼けてあたりまえだったというか……』ということだった。


 なんでも村人が百名程度しかいない集落だったようで、以前話を聞いたときに感じていたよりも本格的な自然に囲まれていたというわけだ。

 よって夏は日焼け部分と、白い肌の部分のコントラストが凄いらしく、水着を着用すると色がガタガタらしい。

『たしかに高校生でそれは恥ずかしいですかね……?』なんて言って、レイから日焼け止めを譲ってもらっていたので、今日は塗っているのだろう。


 そんなこんなで、直射日光を避けて進むは、姫八駅北口である。

 厳密には、駅ビル一階のテナント。

 前述のとおり、そこに行けばタピオカが手に入るという。

 具体的にはタピオカミルクティーらしいけども、俺はそもそもタピオカに縁がなかったので一から調べてみた。

 今、若い女性に人気らしい。

 ミルクティーに限らず、タピオカジュースが話題らしい。


「そういやタピオカって、食べたことないんだよな」


 俺が切り出すと、レイがすぐさま切り返してきた。


「わたしだって無いわよ」

「――え? 真堂先輩もですか?」

「ええ。聞いてはいたけれど、一人で並ぶほどでもなかったし」


 どうやらミヤコちゃんだけがタピオカ経験者らしい。

 ならば、先ほど知りえた知識をレイにも教えておいてやるか。

 食というのは、目と舌で味わうものだが、それ以上に脳みそ――知識によってその味を理解すると、自分で作るときなんかも役に立ったりするのだ。


「レイ。タピオカについて、俺が教えてやろう。試験勉強を教えてもらったお礼だ」

「へえ? 陣くんが先生のわたしに何を教えてくれるのかしら?」


 最近のブームである『真堂先生』っぽい感じで、レイが受けて立った。

 ちなみにレイのおかげでテストはかなり良かったと思う。


「さっき調べてみたんだけどな、タピオカってのはキャッサバってやつのデンプンらしいぞ」

「それぐらい知ってるわ」

「そうか。で、食べるには毒抜きを必要とするらしい」

「それは知らなかったけれど、知らないままで良かったわね……?」


 レイが若干、嫌そうな雰囲気を出した。

 きっと俺の博識ぶりに怖気づいたのだろう。

 このまま知識で押し切って、先生キャラに勝ってやろう。


「そうか? あとデンプンだからさ、たぶん、片栗粉で作れるぞ。帰ったら作ってやろうか?」

「……別に今から食べるからいいんじゃないのかしら。ねえ陣くん」

「そうか。まあ、片栗粉はもちろんカタクリの粉ってことだけど、最近は馬鈴薯……つまりジャガイモから作られることがほとんどらしいからな――」

「陣くん、ちょっと」

「――片栗粉でつくるタピオカだけど、うまくいくみたいだぞ。でも、なんていうか、俺からすると北海道の土産でもらったイモモチを想像しちゃうけどな。ってことは、イモモチをミルクティーに入れるとうまいってことなのかな――」

「……、……はい」

「ちなみにわらび餅は、ワラビからとれる、わらび粉を使うからワラビ餅っていうんだけど、粉があんまりとれないから、めっちゃ高級品らしいぞ。しかも賞味期限とか熱管理とか難しいらしい。だから市販のやすいワラビ餅は、ワラビ粉じゃなくて、甘藷――つまりサツマイモのデンプンを使ってるんだってさ。でもうまいよな、あの透明な奴」

「……、……、……、……はい」

「そうだ。今度、甘藷のわらび餅をスーパーで買ってきてさ、ミルクティーに浮かべたら、タピオカミルクティーっぽいし、舞も喜ぶかな――」

「――乙女心パンチっ、乙女心パンチっ、乙女心パンチ」

「うぉ、っ、はっ!?」


 気持ちよくしゃべっていたところに、レイのパンチが割り込んできた。

 毎度のことで痛くはないが、タイミングが悪いと心臓が止まる気もする。 


「な、なんで三回も叩いた……?」

「私と、ミヤコちゃんと舞ちゃんの気持ちで、二回よ」


 レイはそういって、ミヤコちゃんを見て、頷いた。

 最初こそ驚いていたミヤコちゃんも、最近ではレイの攻撃にも慣れていたので、驚かない。


 それからレイは宣言した。


「三発目はタピオカの分よ」

「タピオカの分かよ……」


 簡潔に三人分のパンチでいいじゃねえか……まあ、きっと俺が何かデリカシーとやらがないことを言ったと思われるので、黙っていた。レイは意外と乙女だからな。


 さて。

 そんなこんなで歩いて十数分。

 途中、なじみのディスカウントストアを無意味に突っ切って、体を冷却したりしてたどり着いたのは、普段はあまりこない姫八駅北口方面だ。


 目的地のタピオカ屋は駅ビルの一階に最近入ったというが……そこで俺は想像もしていなかった、恐るべき光景を目にした。


「え? まさか、この並びか?」


 目に映ったのは、女子高生やら女子大生やらOLさんやらが作り出す行列だった。

 それも並みの行列ではなかった。

 平気な顔で数十人が、一列に並んでいるのだ。


 店員も慣れた手つきで、お客を誘導している。

 ためしに先行して店内を見てみると、数名のスタッフが手際よくオーダーを受けてはいたが……どう考えても人数が多すぎて、レジが足りていない。


「さ、並びましょ。お祭りみたいで、楽しいわ」


 レイはなんでもないように言って、最後尾に並んだ。

 列は店外に出ていたが、レイは周囲に気遣って日傘を畳んでいた。しかし、駅ビルの背の高さのせいで、ちょうど日陰ができている。


 レイに近づいて、尋ねた。


「これ、本当に並ぶのか……?」

「今日は普通じゃないのかしら。わたし、二人から話だけは聞いていたけど、大体、これぐらい並ぶって聞いていたわ」


 二人というのは、鬼島&竹鳥ペアのことだろう。

 たしかにあの二人はこういうの並んで遊んでそうだよな。


 ミヤコちゃんが補足してくれた。


「そうですね。この時間はいつも、こんな感じですよ」

「まじか……」

「とりあえず手軽な映え目的で来るんですよ。椅子はすくないけど、駅ビルひろいじゃないですか。中階段もあるから――それにここ周辺って、姫八のフリースポットだで、ギガ節約できて涼しくて溜まれるから、ギガ目的で来て、ついでにタピるみたいな、逆の子も多いですね」


 ……え? なんて?


「ご、ごめん、ミヤコちゃん。日本語でいうと、どういうことになる?」

「え? 日本語ですけど……」

「うん。わかった。わからないことが、わかった」

「はい……?」


 ミヤコちゃんは若干、不思議そうに首をひねって、レイの後ろに並んだ。

 尻込みしているのは俺だけのようだったので、黙ってミヤコちゃんの後ろに並ぶ。


 それにしても暑い。

 いくら日陰でも暑い。

 直射日光がないとはいえ、これでもかと熱されたコンクリに囲まれて突っ立っているというのは、ただただ過酷である。


「……喉かわくぞ、これ」


 滴る汗もそのままにつぶやくと、いつの間にかミヤコちゃんと位置を交代して、隣に立っていたレイが涼しい顔をしながら言った。


「あら。だからミルクティーを飲むんじゃないの?」

「たしかに……」


 なんだか本末転倒な気がするが、商売的には正しい気もする。


 それから俺たちは数十分の待ち時間を経て、無事にデンプン団子入りのミルクティーを手に入れたのだった。


「デンプン団子が、こんなに高いのか……?」


 片栗粉だったら何袋買えるんだろう……?


「乙女心パンチっ、かける三回っ!」

「うっぐぐ」

「これは表現力と、購買機会と、夏の思い出のパンチよ」

「はい……」


 乙女心は複雑で難しい。

 でもカップに汗をかきはじめたタピオカミルクティーは、汗をかいた分、とってもおいしそうに見えていた。


 舞にも今度、飲ませてあげようと思う。

 もちろんワラビ餅ミルクティーじゃなくて、本物のほうを、行列に並んで。

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