第42話 寓話β
テスト期間が始まると、いつもと変わらぬはずの学校風景に何かが混ざる。
焦り。
高揚。
諦め。
それはきっと人から発されている目には見えない何かだ。
目には見えないけれど、人を理解するにあたって一番大事な何か――それを俺は、母が死に、レイと出会ったことで自覚した。
誰もが日常的に大なり小なり胸の内に宿しているそれを、俺は必死に探してきたのだと思う。
目には見えないからこそ、目には見えない手を方々に差し伸べてきた。
レイ曰く『だから陣くんは、見ていて危なっかしいのよ』のだそうだ。
俺からするとレイの包丁さばきのほうが、よほど危なっかしいのだけれど。
◇
テスト期間だろうがなんだろうが、夕食は必ず作らねばならない。
とはいえ手抜きや時短というのは積極的に選択すべきことで、俺はそれを考えながらぼんやりとディスカウントストアへ足を向けていた。
近道を進みながら思う――そういえばこの辺りだよな、エニシくんと会ったの。
「――お兄さん?」
「ん?」
振り返る。
先ほど通り過ぎた横道から、エニシくんが現れていた。
「やっぱりお兄さんだ。見えたから走ってきたんだよ」
「あ、そうだったのか。ごめん、気が付かなった」
「ううん。そこの細い道の陰にいたから。ボクからしか見えなかったんじゃないかな」
来た道を戻るとエニシくんもこちらに歩いてきた。
多少、歩きずらそうにしてはいるが痛みはなさそうだった。
「足は平気か?」
「おかげさまで、平気だよ。まだ包帯とかで固定してるから、歩きにくいけど」
「そりゃよかった――」
それにしても『おかげさまで』とは、最近の小学生の語彙力ってすごいな。
スマホのせいか?
動画配信のコメントとかで語学力があがるのだろうか。
アキそれともエニシくんが頭一つ飛びぬけているのか。
「エニシくんは、何してたんだ? 家、こっちじゃないだろ」
「うん。今日はもう夏休み前だから、すぐ終わるの。授業。お兄さんもテストでしょ? お姉ちゃんが朝言ってた」
「おう。だから俺も早いんだけどな」
エニシくんに聞きたかったのは『どうしてここに居るのか』ということなのだが、時間の都合を説明された。
やっぱりどこか自分の会話のペースを持っている子だよな。
「そういえばお兄さん、この前の猫、見た?」
「猫?……ああ、あの子猫か」
「うん。また見つけたの。だから追いかけてきたんだけど……そこの細道のとこで見失っちゃった」
「まさかまた、いちいち立ち止まってたとか?」
俺は半ば冗談のように、話を進めた。
この前、エニシくんが『猫がついてこい言ってるみたいだった』と説明していたのを覚えていた。
といっても、二度目はないだろうけど。
だが世の中は俺が知らない力が働いているらしい。
「そうなんだよ。ほんと、不思議だよね」
「え? また、そんな感じだったのか?」
「うん。いちいち立ち止まってさ、追いかけさせようとしてるみたいだった――で、プロパンガスの裏に逃げて見失って……その陰から、お兄さんの姿が見えたよ」
「それ本当か?」
「嘘なんてつかないよ、ボク」
「ああ、ごめん。言葉選びが悪かった……つまり、不思議だってこと」
「そう、不思議だよね。それもさ――」
「うん」
「二回とも、猫を追いかけたらお兄さんに会ったんだから」
「……確かに」
「もしかして、だけど……」
エニシくんは首を傾げた。
「お兄さんの正体って、まさか、猫?」
「……まじで?」
「ぼくに聞かないでよ。それに冗談だってば」
「す、すまん」
小学生に突っ込まれる高校生だった。
テストより難しい。
◇
それからエニシくんと話しながら、買い物をした。
俺が誘ったというよりも、エニシくんのほうから『ついていっていい?』と聞いてきたのだ。
断る理由もないので、頷いた。
今日は大したものは買わないし、治ってきたとはいえ荷物持ちをけが人にさせるわけにもいかない。
ここまで大した会話もなく。
俺とエニシくんは二人でアイスを食べながら帰宅しているところだ。
安売りしていた一袋に二人分入っている吸い出すタイプのアイスを分け合っていた。
空からは突き刺さるような日差し。
なるべく日陰を探して、エニシくんをいざなう。
いつの間にか鳴き始めたセミの声を耳にして、唐突に思い出した。
「そういえば、小学生は登下校時の買い食い禁止だっけ。……大丈夫か?」
「平気だよ。暑くて倒れちゃったら、もっと大変だもん」
「まあ、それもそうか」
「高校生は買い食いしていいの?」
「……一応、学生服での食べ歩きはダメだな」
姫八学園は自主性を重んじており、校則が緩めだ。
しかし学校の外では礼儀正しくすることが求められており、買い食いなんかは一応、グレーである。
「高校生になっても、小学生とあまり変わらないんだね」
「うん。たしかにそうだ」
「じゃあ、大人もそうかな」
「ん?」
エニシくんの声が、少しだけ――沈んだ。
「大人も、小学生や高校生みたいに、何かを禁止されたり……それを破ったりすることってあるのかな」
「うーん」
俺は一番身近な大人を幾人か思い浮かべてみた。
父――頑張りすぎて、倒れるという本末転倒。
テル姉――人に厳しくするが、意中の人にはめちゃくちゃ甘くて尽くすという自己矛盾。
おやっさん――整体師でサバイバル好きで採ってきたものをアパートに配るが、人間は基本的に嫌いという恣意的な取捨選択。
俺は結論を出した。
「大人も、色々と間違うし、矛盾してるし、好きに選んでるな」
「そっか。大人もそうなんだね」
「全員じゃないと思うけどな」
「でも小学生だって高校生だって、全員が買い食いするわけじゃないでしょ?」
「確かに」
「じゃあ大人に聞くのも、高校生に聞くのも、小学生に聞くのも、同じことなんだね」
探るような会話に、出口は見えない。
「どういうことだ?」
「ねえ、お兄さん、一つ聞いていい?」
「ああ……、まあ、答えられるか分からないけどな」
「うん。あのさ――『間違ってるか、そうじゃないか、わからないとき』って、どうやって答えを出せばいいの? なにが正解になるの?」
「んん……?」
思っていたよりも抽象的な質問だった。
俺はエニシくんの横顔を見た。
どこか――大人びて見えたのは、錯覚だろうか。
手の中の子供じみたアイスが、一枚の絵のなかで浮いて見えるようだった。
「お兄さんにも、わからない?」
俺は少しだけ考えた。
少しだけ考えて――すぐにレイの楽しそうな顔が浮かんだ。
「あー、いや、それについては最近わかったことがある」
「ほんと?」
「うん。つまり、エニシくんの言葉を簡単にいうならば『どうすればいいか分からない時の行動』ってことだよな」
「あ、うん。そうだよ」
「じゃあ、簡単だ。答えは一つ――何も考えずに心が自然と向かうほうへ一歩、進む」
「……え? それだけ?」
「ああ、それだけ」
俺は過去の日々を思い出す。
母の言葉にこたえようと、舞を一人で守ろうとした数日間。
限界はすぐに来て――レイが助けてくれた。
どんな言葉を用意しても、結論は一つだろう。
「……そうなんだね」
「少なくとも俺にとってはそうだな。答えにならなかったか?」
「ううん。そんなことないよ」
エニシくんは笑った。
やっぱりどこか、年齢に似つかない何かが彼の身を覆っているようだった。
「エニシくん。何か俺にできるなら、手伝うぞ」
「うん、ありがとう。でも、どうだろう。ボク、それも分からないんだ。何を助けてもらえばいいのかな」
「そういうとき、俺にもあったよ」
「――ねえ、浦島太郎って知ってる?」
「ああ、もちろん」
桃太郎、金太郎、浦島太郎の昔話御三家は、どうしたって耳にすることが多いだろう。
最近は、通信会社のイメージキャラクターにもなってるし。
「お姉ちゃん……ミヤコお姉ちゃんの名前を見たとき、浦島太郎を思い出したんだ」
「……なんで?」
「柳宮子、でしょ? ヤナギはリュウって読むんだよ。だから、リュウグウの子って読めるんだ。リュウグウには神様が住んでいるんだって。浦島太郎の世界なら、乙姫さまはそういう立場の存在なの」
「よく知ってるな」
「お母さんがよく話してくれたから」
「そっか」
それにしてもシンデレラときて、次は乙姫さまか。
加えて、レイがこの前、『舞ちゃんは、舞姫よ』と言ってもいたし、我が家にはプリンセスしか居ないぞ。
俺はなんだ?
小間使いか……?
「そっかあ……」
会話は終わったようだ。
しかしエニシくんは歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を落としていた。
「……亀は、太郎が、あんな目に会うって知ってたのかなあ……それでも、竜宮城へ連れて行ったのかなあ……悩まなかったのかなあ……」
それはきっと、彼が今悩んでいることの比喩なのだろう。
つまるところ――寓話のような心情吐露。
しかし俺は浦島太郎ではないし乙姫さまでも、もちろん亀でもない。
彼の物語の登場人物になるには、まだ資格がないのかもしれず――ただの高校生でしかない荒木陣は、エニシくんのアイスのゴミを代わりに捨ててやるくらいしかできなかった。
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