第41話 憧憬(宮子視点)β

 荒木家・勉強会の帰り道。

 等間隔に常夜灯の設置されている歩道を、アタシは真堂先輩と二人で歩いていた。

 

「本当に良かったんですか、先輩。荒木先輩に送ってもらわなくて」


 アタシの質問にも、真堂先輩は表情を動かさない。


「ええ。今日は舞ちゃんもオネムさんだったし、お父様も遅いのだから陣くんは自宅にいるべきよ」

「でもわざわざアタシのこと、送ってくれなくても……」

「あら。先輩とは後輩の面倒を見るものでしょう? それにわたし、ミヤコちゃんのことが気になるの」

「え?」


 ゆっくりと歩く真堂先輩はアタシの瞳の奥を覗き込むように、少しだけ顔を近づけてきた。


「ミヤコちゃんから、何かを感じるわ」

「なにか……?」


 まさか幽霊とかじゃないよね。

 真堂先輩の黒目がちで切れ長の目は、まるで魔法が掛けられているかのように輝いて見えた。

 

「たとえばそうね。何かしらの問題とか、心の葛藤とか、そういうことかしら。わたし、どうやら陣くんの見すぎで、そういう能力が強化されたみたい。変化がわかるわ」

「変化……?」


 アタシの中のアタシが、こちらを見ている。

 両手で支えられているのは箱だ。

 そこには怒りがつまっている。


 母親は、アタシが二歳のころに出奔した。

 どんな理由があろうとも、我が子を置いて逃げた事実に変わりはない。


 アタシの中の倫理観や子供心が少しずつ怒りを作っていく。しかしそれは逐一、箱へと移し替えられた。

 祖母は言った――怒るな、恨むと終わらない。


「ミヤコちゃんの悩みを、わたしが聞きたいわけではないのよ。でも、きっと陣くんはそれに触れるのでしょうね」


 アタシの沈黙をどうとらえたのか、真堂先輩はそんなことを言った。


「荒木先輩はアタシの悩みとか……気にしてるってことですか? アタシが悩んでるから勉強に誘ったんですか?」


 そんな素振り、見せたことも見たこともないと思う。

 真堂先輩は首を振った。


「いいえ、それは少し違うわ。陣くんの場合、人に手を差しのべるということは無意識のうちだから……止めたって、なにしたって結局のところ首をつっこむのだわ。それこそ運命的に」

「運命的……」

「ミヤコちゃんとの出会いだって、似たようなものでしょう?」

「たしかに、そうですね」


 エニシくんが怪我をしなけければ、アタシは今ここで真堂先輩と歩いていることはないだろう。


「陣くんはきっと、そういう生き物なのね。人を助けることが運命づけられている生き物。きっと周りを振り回しても、自分を犠牲にしても、無意識のうちにそういう方向へ進むのだわ。いい歳になっても、舞ちゃんに心配されている姿が目に浮かぶもの」


 ふふっ、と控えめな笑い声が聞こえたが、真堂先輩の表情は動かない。

 荒木先輩曰く、かすかな変化が見て取れるらしいのだが……、出会って数日のアタシには難題すぎた。


 それにしても、荒木先輩はそんな感じなのか。

 エニシくんの怪我の件と照らし合わせると、その言葉は身をもって実感できた。


 でも、とアタシに一つの疑問が浮かぶ。


「でも、真堂先輩はそれでいいんですか?」

「……?」

「だって、女の子とか……助けちゃったら、もしかすると好きになられちゃうかもしれないし――あ、いえ、アタシは違いますけど」


 なんだか真堂先輩の背後に鬼が見えた気がして、アタシは急いで否定する。

 たしかに荒木先輩は優しいし、笑顔も素敵だし、料理もうまくて頼りがいがある……けど、好きとかそういうことじゃない。


「そうね……、本当に由々しき生態であることは、間違いないわ……陣くんには困ったものよ……」


 真堂先輩は悔しそうな声――を出し始めたが、それは次第に消えていき、最後には晴れた空のような声音になった。


「でもね、それが陣くんだから。そんな陣くんにわたしも救われたから文句は言えないわね」

「救われた、ですか」

「ええ。本人はまるで覚えてなかったけれど」

「覚えてなかった?」

「こんな美少女を忘れるなんて、遺憾だわ」

「た、たしかに」


 でも荒木先輩ならありえそうだ。

 あの人は、斜に構えたようなことを口にするけれど、どこか純粋な感じがする。バランスが不思議な人だ。


「きっと神様がそうさせたのね」

「そう、とは?」

「わたしが陣くんをサポートできるように調整してくれたのだわ――わたしが陣くんの周囲に集まる『悩みに気が付く』役。そして陣くんは『悩みを知らぬうちに解決している』役」

「……なんだか、真堂先輩だけ疲れそうですね」

「確かに。本当に陣くんには困っちゃう」


 全然困ってないように、真堂先輩は続けた。


「でも、そんな陣くんだからわたしは大好きなの」

「だ、大好き……ですか」


 アタシの確認のための言葉に、真堂先輩は唇に人差し指を当てた。


「内緒よ?」

「あ、はい、もちろんです」


 アタシはびっくりした。

 二度、びっくりした。


 何がって、いきなり『大好き』なんて恥ずかしい単語を聞いたことが一つ。

 そして二つ目は、『内緒』と言う真堂先輩だ。誰がどう見ても内緒どころか公然の事実である。


 でも。


 もしかすると二人にしか分からない、距離感のようなものがあるのかもしれない。

 荒木先輩も、家族のようだ、と言っていたし。


 真堂先輩の声は晴れ晴れとしていた。


「それにね、わたしは思うの。たとえば大空に翼を広げる鳥を好きになったとし――それを自分だけのものにするということは、鳥から空を奪って、カゴにしまい込むということでしょう? それってとっても残酷だと思う」

「そうですね……」

「同時に、鳥の魅力だって消えると思うわ。大空を飛ぶからこそ、好きになった鳥なんだもの」

「真堂先輩は、つまり、人を助ける荒木先輩に恋をしたってことなんですね?」

「こ、こい」

「え?」


 真堂先輩の言葉がつまづいた。

 思わず顔を見ると、夜の中でもわかるくらいに赤くなっている。

 え? まさか『恋』という単語に反応したのだろうか。

 大好きとか言えるのに、恋はだめなのか?


 真堂先輩は平気なふりをしていた。


「こ、こいね。そうよ、こ、こいよ」

「は、はい」


 なんだかこっちまで恥ずかしくなるくらいの狼狽ぶり。

 

「すみません、先輩……、大好きってことですよね」

「だ、だいすきよ! そうよ! わたしは陣くんが大好き!」

「せ、先輩、声が大きいですって」


 夜空に誓った恋心――王子さまに届きますように。

 真堂先輩の可愛らしい反応を見ていたら、そう思わずにはいられなかった。


 でも、真堂先輩の言葉を借りるならば――アタシはどうして二人に出会ったのだろうか。

 アタシは何を解決しなければならないのだろうか。

 

 胸の中で、カタカタと何かが動いていたが、アタシは気が付かないふりをした――せめて今だけは、恋する先輩の横顔を見ていたい。


 昔、初めて読んだお姫様のお話みたいに、憧憬と共に。

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