第40話 自然(β)

 狭すぎはしないが広いとも言えない自宅で、俺とレイと舞、そしてミヤコちゃんが座卓を囲んでいた。


 今日は父さんの帰りも遅いようで、部屋を占拠していても問題はない。


 それを話したときにレイが『お父様の帰りが遅い? それ、本当? 嘘ならわたし、本籍をここにうつすわよ?』と言ってきたが、さすがにもうそんな誤魔化しはしない。


 ちなみにレイ曰く、本籍はどこの住所でも登録できるらしい。

 有名なテーマパークの住所を本籍にすることもできるようだが、俺にはそのメリット・デメリットがよく分からなかった。


『ふふ。陣くんは、お子さまね』と上から目線で言われたが……まあ、レイが楽しそうな雰囲気に戻ったので良しとしよう。


 それにしても、レイもミヤコちゃんもお互いに、大した交流もなかったはずなのだが……。


「ミヤコちゃん。分からないことあったら、聞いてね」

「先輩、ここが分かりません。あ、お菓子食べますか」

「食べます」

「マイも食べるーっ!」

「うん、マイちゃんもどーぞ」


 舞も含めて、すでにずいぶんと仲が良かった。

 疎外感とは思わないが、住んでいる世界は違うなぁ、とは感じてしまう。もちろん微笑ましく見させてもらってるが。


 とまあ、そんなこんな突発的に約束された勉強会は、無事に三人と妹と一人で始まり――夕食を挟んでから、後半の部へと移っていった。


   ◇


 2DKの作りのため、古いアパートにしては広めなのだろうか。

 他の家との詳細な比較はできないが、すくなくともミヤコちゃんの家よりは、格段に快適性に劣るだろう。


「みんな、暑くないか? それとも寒い?」


 といっても我が家には最新型のエアコンが設置されていた。

 これは父さんが入院したときの保険差益で購入したものだ。


 教師と生徒として並んで座っていたレイとミヤコちゃんが、顔をあげた。


「わたしは快適よ。そのエアコン、うちにも欲しいって思っているくらい」

「アタシも平気です」


 舞はお絵かきに夢中で話が聞こえなかったらしい。

 もしくはカレーを食べ過ぎてお腹がいっぱい、おねむモードか。


「なら良かった。カレーの匂いを逃がすために窓あけちゃったからな」

「……そうね」


 レイは何かを思いだして固まった。

 おそらく窓の隙間から入ってきた少し大きめの蛾のことを思い出しているのだろう。


「虫が入ってきたときには、ついに世界がカタストロフを迎えたのかと思ったわ」

「んな、大袈裟な。ただの虫だろ」

「な、なにを馬鹿なことを言っているの!? 地球上の生物の7割は昆虫なのよ!? やつらが……やつらが意思を持てばわたしたちに未来はないの……っ」

「わかったから落ち着け」


 顔面蒼白にして地球人の終わりを訴えるレイは、ようするに虫が――とくに飛行するタイプが苦手らしい。

 どうやら過去になにかあったようだ。


「忌まわしき黒き悪魔でないだけ良かったけれど……」

「黒き悪魔? それってゴキ――」

「――死ぬわよ!? その名を呼ばないで! 爆発してしまう……」

「ファンタジーか」

「現実に決まってるでしょっ」


 なら殺虫剤の会社、オール爆発だよ。


「それにしても、そこまで慌てるなら……、一人でいるときにはどうしてるんだよ」

「業者を呼ぶわ」

「業者……?」

「お金で動く人たちよ」

「言い方」

「は、反省します……あとは閉じ込めてから化学兵器を使うわ」

「命懸けだな」

「当たり前でしょう……! 世界の七割以上は――」

「――わかった、わかった」


 勉強の手をとめて言い合っていると、横でポカンとしていたミヤコちゃんが手の甲を口許にあてた。


「ふふ……っ」


 どうやら笑っているようだ。

 呼吸が荒くなったとも表現できるが、目元の緩みを見る限りは違う。


「ミヤコちゃん。先生として教えてあげます。昆虫は決して悪人ではないけれど――」


 人……?

 え? レイの目と脳って虫をどんな風に処理してんの……?


「――彼ら彼女らは、恐るべき存在であることは間違いではないのよ……っ」


 レイの真面目な表情に付き合ってくれたのか、ミヤコちゃんも目元に緊張感を漂わせて頷いた。


「たしかにそうかもしれません。アタシ、小さい頃、起きたときに枕元にムカデがいて、ビックリしたことがあります。あと、お風呂あがりのタオルをもちあげたら、すっごい大きいクモがいて、驚いたこともあります」

「え?」


 レイは何かを想像したらしい。


「それ、ファンタジー?」

「いえ、現実です」


 まるで立場が逆転していた。


「……ミヤコちゃんに命ずるわ」

「はい?」

「今後、虫の体験話を禁じます」

「え! なんでですか?」

「グロすぎるわ。ゲロゲロよ」

「ゲロゲロですか……?」

「ゲロゲロ虫よ。略して……げろちゅー――つまりこれは、ゲロチュートーク禁止令ということになります。テストに出るから忘れないように」

「す、すみません、よくわからなくなってきました」

「……平気、わたしもよ……やはり虫は恐ろしい……正気を失うわ……」

「でも覚えておきます」


 レイは自分の体を抱き締めた。

 ミヤコちゃんは律儀に、正座になってコクコクと約束を誓っている。


 意味不明だが、まあ、夏だし良いか。人間、苦手なものの一つや二つあって当然だ。


「それにしても」と俺は切り出した。

「ミヤコちゃんって、虫、平気なんだね」


「え? ああ……、平気っていうわけではないですけど慣れてはいますね。ここに越してくる前は、姫八より自然の多いところに住んでたので」

「へえ、そうなんだ」


 姫八市も東京とはいえ、かなり自然豊かだからな。ここよりもってことは虫の話も頷けた。


「はい。まだこっちにきて数年ってとこですね。それまではお祖母ちゃん家で暮らしてました」

「そっか」

「はい」


 新しい家だとは思ったが、間違いではなかったようだ。


 ふと――なんだろうか。

 直感に近い感じで、この話題に触れてはならないような気がした。


 それは具体的に言うと、俺の気付きではなく。

 正面のレイの雰囲気が、ピリッとしたからだ。

 

 だからこれはミヤコちゃんではなく、レイに向けて言った。


「さて。そろそろ勉強に戻るか、昆虫博士」

「ええ、そうね。余計な話しはやめて、真面目に勉強しましょうか」


 レイはとてもうっすらと笑みを浮かべたが――それは何か別の意味を持っている気がしてならなかった。

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