第39話 夏空(β)
ミヤコちゃんからマドレーヌをもらった数日後。
すでに試験は間近で、予断を許さない時期になっていたが――実のところ、今回の俺はそこまで危機感を感じてはいなかった。
すべてはレイのおかげである。
通学路。
隣を歩くレイに俺は言った。
「教師が良いんだな。勉強の効率が良い」
突発的に始まったレイとの勉強会は、予想外の効率をたたき出していた。
『これなら一夜漬けも完璧だ』と言ったときばかりは怖い思いをしたが、それ以外はレイの教え方は優しく、わかりやすかった。
「人に教えるのは慣れていなかったけれど……、力になれて良かったわ」
「レイの説明はなんだか頭にスッと入ってくるよ」
「そうかしら」
「うん。今まで教わってきた中で、もしかすると一番わかりやすいかもしれない」
「……もっと褒めてもいいのよ?」
「レイにこんな才能があったなんて思わなかった」
「人は見かけによらないものね」
「レイは先生に向いてるかもしれないな」
「考えたこともなかったわ」
「きっと美人な先生だって、生徒から人気になるよ」
「そ、そうかしら? 陣君は、そう思う……?」
「ああ、思うよ。それでさ」
「ええ」
「生徒から人気があるんだけどさ」
「うんうん」
「怒ると般若みたいに怖くなって――」
「――おしおきパンチっ」
「ぐっ」
ちょうど肋骨のあたりを、レイの小さなこぶしが打つ。
痛くはないが、驚いて仕方がない。
ちなみにキックのときは無言であったし、地味に痛かった。
「陣くんは、デリカシーがないと思うの。だからテストが終わったら、乙女心の勉強会を開こうと思います――いえ、思うじゃない。確定よ」
「は、はい……」
「そもそも陣くんは舞ちゃんにも――あら、あれミヤコちゃんね?」
「ん?」
レイの視線の先をたどる。
確かにミヤコちゃんの後ろ姿だ。
なんだか俺が彼女と出会う時は、どちらかが必ず背後を取っている気がした。
ただ、その背中はどこか今までとは雰囲気が違っているように見えた。
「なんだか楽しそうね」
レイも同じことを考えたのだろうか。
だが、レイはミヤコちゃんとはそこまで話していないはずだから……、比較ではなく単純に雰囲気がそうであるように見えるのだろう。
歩き方が弾んでいるわけではないのにそう見えるというのは不思議だ。
人の目には映らない何かが、人間にはあるのかもしれない。
俺たちは自然と早足になり、そのうちミヤコちゃんの背に手が届く距離になった。
どうしたものかと考えていると、レイが普段からは考えられないほどの気楽さで手を伸ばした。そのままミヤコちゃんの肩をたたく。
「とんとん」
ゆるやかに波打つアッシュの髪の少女は、ゆっくりと振り返った。
「……? あ、先輩。おはようございます。今日は一段と楽しそうですね」
俺たちを認めたミヤコちゃんは、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
レイと同じくそこまで表情豊かではないが、きちんとした笑みを浮かべているのを見たのは初めてかもしれない。
前のあいまいな表情のときと同じくエクボが現れていたが、この前とは違って視線ははっきりとこちらに向けられていた。
「ええ、おはよう」
「うん、おはよう」
どちらの先輩が楽しそうなのかは分からないが、俺たちはともに一人の後輩に挨拶をした。
◇
残り僅かな距離ではあるが、一緒に登校することにした。
レイを中心にして、三人で横並びに歩いていく。
自然と話題は目前に迫ったテストになる。
これは学生ならば避けられない流れなのだ。
「テスト勉強を……、荒木先輩のおうちで?」
「ええ。わたしが先生で、陣くんが生徒なの」
合点がいったようにミヤコちゃんは頷いた。
「真堂先輩ってとっても頭が良さそうに見えます」
「自慢ではないけれど、学年で30位以下になったことはないわ」
「え! テスト結果って特進クラスも含まれますよね? それに一学年にとんでもない生徒数がいるのに」
「ええ。自慢ではないけれど、特進クラスも含まれているわ。そしてわたしはそれでも30位以下になったことがないの……」
「それはスゴいですね」
「ええ、自慢ではないけれど……とっても――」
レイがうれしそうに話しているので、俺は黙ってみていた。
だが突然レイが黙り、苦しそうに言葉を生み出した。
「いえ……、ごめんなさい……嘘よ……、なぜか舞ちゃんの顔が浮かんできたわ……自慢だということをわたしは認めます……、これは自慢です……でもわたしは陣くんの先生です……ううっ……」
『まいちゃん?』と首をかしげるミヤコちゃんへ、『俺の妹の名前だよ』と伝える。
レイは一人で想像上の舞に謝罪していた。なにやってんだか。楽しそうだからいいけどさ。
「でもそんなに効果的なら、アタシも教えてもらいたいぐらいです。アタシもテスト、嫌いで」
レイが現実に戻ってきた。
「そうなの? よければわたしが教えてもいいけれど」
「え? アタシも参加していいんですか」
「ええ。陣くんのおうちで勉強して、ご飯をたべて、勉強するのよ。楽しいし、おいしいの」
ミヤコちゃんが首をかしげる。
「ご飯って夕食ですか? もしかして真堂先輩の手作りとか……?」
レイがぎくりとした。
「……勉強を教えているお礼に、陣くんが料理をつくるの。よってわたしに料理の責任は発生しない……」
「あ、そうなんですか」
「ごめんなさい嘘です――ああ……舞ちゃん、そんな目でわたしを見ないで……!」
「……?」
『気にしなくていいよ』と俺は口を挟み、レイの提案を引き継いだ。
「でも、ミヤコちゃんさえよければ、うちで勉強してもいいぞ? レイは確かに教えるのがうまい。今回は平均点あがるかもって、俺も期待してるぐらい」
「え、ほんとですか……? 結構、まじめに教えてもらいたいかも……」
「なら、おいでよ。夕食も俺が作るからさ。人数多いし勉強時間も惜しいから、カレーにしようかな」
「え、荒木先輩の手作り料理も食べれるんですか?」
「うん。大したもんじゃないけ――」
「――いきます」
「お、おう?」
急にまじめな顔で頷くミヤコちゃん。
レイはなぜか『舞ちゃん……やめて、いつしかあなたも大人になるのよ……!』などと幻影におびえている。
天気は気持ちがいいほど晴れており、夏がいよいよやってきた感じ。
テストは嫌だが、終わってしまえば夏休みが始まる。
プールや海や花火大会や夏祭り。
涼しい図書館で勉強して、山や川を夢想し、クーラーの中でアイスを食べる――。
「……なんだか急に楽しくなってきたな」
梅雨の時はじめじめとしていた思考が、一気にカラッと晴れてきた気分。
夏の楽しさが、高気圧とともに襲い掛かってきたみたいだ。
誰にともなく発した言葉だったが、ミヤコちゃんがはっきりと頷くのが見えた。
「そうですね。どうしてか楽しくなってきた気がしてます」
そうだ。夏が来たのだ――と、今更ながらに実感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます