第34話 後輩(β)

 放課後。

 レイに夕食の希望を尋ねながら廊下を歩いていたときのことだ。

 視線の先に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 ゆるやかに波打つ、アッシュの髪――追いかけると、やはりエニシくんのお姉ちゃんだった。


「はじめまして。わたしは二年の真堂礼よ。あなたのお名前は?」


 レイが挨拶と共に手を差し出した。握手の為だろう。


 エニシくんのお姉ちゃんは、レイの手を不思議そうに見つめた後、意図に気が付いたようだ。

 右手を出す素振りを見せたが、そこには紙袋がぶらさがっており――ハッとしたように体を硬直させると、すぐに左手に差し替えた。

 

「アタシ……、一年のヤナギです。ヤナギ、ミヤコ」

「そう。なら私が先輩で、あなたが後輩ということだわ」

「あ、はい、そうなりますね……?」

「なるほど。こういう感じなのね」


 レイは一人頷いており、俺を含めた二人は首をかしげた。


 それにしても名前が分かって良かった。

 エニシくんのお姉ちゃん――ミヤコちゃんか。

 一つ年下というだけであるのに、ミヤコ『ちゃん』と妹感覚が出てきてしまうのは、長男病というやつだろうか。


 俺も手を差し出してみた。


「名前聞けて良かったよ。よろしくな、ミヤコちゃん」

「え? あ、はい」


 慌てたように俺の手を握るミヤコちゃん。

 舞も大きくなったらこんな感じにクールになったりするのだろうか。

 いや、あいつの場合は絶対にないな。


 横に立つレイがぼそりと「ミヤコちゃん……?」とつぶやいた。

 ん? 名前は間違ってないはずだよな。


 それからまたぼそりと「レイちゃん……、舞ちゃん……」と続けた。

 どういう意味だ? まあいいか。


 ミヤコちゃんの手を離すと、俺の手をレイの視線が追った。

 それからミヤコちゃんを見る。

 ミヤコちゃんはどこか気まずそうに、視線を下げた。


「おい、レイ。下級生に圧力をかけちゃダメだぞ」

「どの口が言うのかしら……」


 レイと言葉を交わしていると、ミヤコちゃんが声をあげた。


「あの、先輩」


「なんだ?」

「なに?」


「あ、すみません、荒木先輩です……」

 さらに気まずそうに、ミヤコちゃんは頭を軽く下げた。

「住所とお電話番号、教えていただけませんか。さすがに親が……えっと、父が、お礼を申し上げたいそうで……」

「いや、気にしなくてもいいぞ?」


 横からレイの声。


「おだまりパンチっ」

「うっ!?」


 全く痛くはないが心臓に悪い恒例のパンチが飛んできた。

 最近、レイが暴力的で心配だ。原因を特定して、更生させたほうがいいのかもしれない。


「陣くん、黙りなさい。そして住所と電話番号を吐きなさい」

「強盗かよ……」

「おだまりパンチっ」

「うっ……! ていうか、その技を食らったら黙らなきゃいけないんじゃないのかよ……」

「文字で伝えれば良いじゃない」

「なんでそういうときだけ頭が良いんだ……?」

「失礼ね。わたし、テストの点数は毎回学年上位なのよ」

「え? まじで?」

「陣くんはいつも真ん中くらいよね」

「なんで知ってるんだ……?」

「ふふ。わたしはなんでも知ってるのよ。知らなかった?」


 ミヤコちゃんが恐る恐る口をはさんできた。


「あ、あの先輩……」


「なんだ?」

「なに?」


「あ、いや。荒木先輩……住所と電話番号、これに書いていただけないでしょうか」

「ああ……、住所だな、わかった」


 レイの視線がなんだか怖いので、俺は手渡された紙に素直に住所と番号を記載した。


 ミヤコちゃんは手渡された紙に目を走らせると、ほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます……、じゃあ後日また父からお電話行くと思いますけど、よろしくお願いします」

「ああ。そんなに大げさに考えないで良いって伝えておいてくれ」

「はい。……じゃあ、失礼します」


 サラリと流れる髪をそのままに、ミヤコちゃんは頭を軽く下げた。

 そのまま視線を上げずに、俺たちの横を通り抜けようとした。


 が、その手をレイが掴んだ。


「え?」


 ミヤコちゃんが立ち止まる。というか、進めなくなる。


「レイ、何してんだよ」


 レイは自分の行動に疑問を持つ素振りさえ見せずに、口を開いた。


「わたし、お腹空いちゃったのだけれど、その袋からおいしそうな匂いがするわ」

「あ、……はい」


 ミヤコちゃんはレイの顔を見てから、自分の手を見た。

 レイが掴んだ右手には、紙袋が下げられていた。


「おい、レイ。お菓子なら後で買ってやるから……」


 おだまりパンチが飛んでくるのを予見して腹に力を込めた。

 だがレイは微動だにしなかった。

 ミヤコちゃんは視線を下げた。

 レイの声は攻撃的ではない。


「ヤナギさん……いえ、ミヤコちゃん」

「は、はい」


 ミヤコちゃんが口ごもるのも理解できる。

 レイの視線は至近距離で受けきるには、攻撃力が高すぎる。


「わたし、それ、もらうことにする。陣くんはわたしの従者だから……持ってもらおうかしら。さ、陣くん、受け取りなさい。そしてスーパーに行くわよ。今日はハッシュドビーフが食べたい気分」


 レイの発言はどんな意味があったのだろうか。

 ミヤコちゃんのふせがちだった瞳が大きく揺れた後――顔は上げられた。


「あの、先輩……」

「なんだ?」


 レイは反応しない。


「これ……どうぞ。クッキーです」

「え、本当にお菓子が入ってたのか? まさか手作りか?」

「……はい、趣味なので、お菓子作り」

「へえ! 凄いなー。俺、お菓子は作れないや」

「だから……その、先輩方でどうぞ、召し上がってください」


 レイは袋を受けとるつもりはないらしい。

 俺がかわりに受け取った。


「陣くんには教えなかったけど、わたし、お菓子なら少し作れるわ。チョコクッキーとか」


 俺は信じられないものを見たように、レイを見てしまったらしい。


「う、嘘ではないけれど……見栄を張ったことは認めるわ……」

「大丈夫だ。わかってたから……」

「それ以上いったら、首を締めるから」

「こんなことで殺されたくはない……」

「わたしの首を、締めるから」

「早まるんじゃない!」


 くだらない話。

 いつもみたいに時間は過ぎていく――はずだった。


「……ふふっ」


 突然、控えめな笑い声がする。

 声の方をみれば、ミヤコちゃんが手の甲で口を押えるようにして笑っていた。


 笑顔と呼ぶには少し控えめすぎる、澄んだ表情だった。

 まるで他の余計な感情を箱に閉じ込めて捨ててきたみたいな、そんな雑味のない表情だった。


「あ、いや……すみません」


 俺たちの視線を受けてなのか、ミヤコちゃんは視線を下げた。

 この子はどうも相手の目を見ることが苦手らしいぞ、とやっと気が付いた。


 なんて声を掛ければよいのか分からないでいると、俺より友達が多いレイがこう言った。


「ミヤコちゃんは笑顔が素敵ね――透き通るようで、うらやましいわ」

「え? あ、いや、先輩の方がよっぽど綺麗だと思いますけど……」

「それ陣くんに教えてあげてくれる?」


 ミヤコちゃんは俺がしっかりと紙袋を持っているのを確認すると、緊張した面持ちで言った。


「この前は、ありがとうございました……じゃあ、また」


 そうして彼女は去っていった。

 ミヤコちゃんの背を見ながら、レイは教えてくれた。


「わたし、後輩って初めてなの。部活とか入ってなかったし」

「ああ、なるほど。だから興奮してたのか」

「乙女心パンチっ」

「――そろそろ疲れてきたろ。遅いぞ」


 弱弱しいパンチを手で受け止めた。

 レイの小さな握りこぶしを離さないでいると、レイの顔がみるみるうちに赤くなった。

 怒り心頭って奴だろうか。


「ちょ、ちょっとっ」

「乙女心パンチ、破れたり――なんてな。それにしてもレイの手は小さいな。すべすべしてるし、やっぱり日焼け止めのほかに、手袋も必要なのかな」

「ばかっ」

「うおっ!?」


 そうして飛んできたローキックは、パンチと違って地味に痛かった。

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