第28話 縁(β)

 レイとの関係をどう説明すればいいのかは判然としないが、俺としては『仲間』という言葉がしっくりくる。


 レイにそれを話したら『学友と言われるよりマシね。そう思わないと涙がでそうだわ。でもこれだけはさせてちょうだい――パンチっ』と、右ストレートを俺の脇腹にポコンと当ててきた。


 よくわからないが、『盟友』とか『戦友』とかのほうが良かったのだろうか――いや、ごまかすのはやめよう。俺だってレイの言いたいことは分かる。でも、俺にも分からないことはあるのだ。たとえばそれは自分の……いや、これもやめよう。


 人生、どのように未来が決まっていくのかは不明だが、少なくとも、それを考えた次点で、何かが定まるのは確かなのだから。


 最近は親父も夕飯を一緒にする機会も多く、レイも自宅で宿題などを終わらせてから夕食時に来ることが多い。

 父さんが入院しているころは毎日助けてもらっていたが、日常が戻ってくると、お互いに適切な距離が出来上がっていったように思う。


 父さんはレイと話すのが楽しいらしい。

 最初こそ、レイも緊張しすぎて、こけしみたいに背筋を伸ばし、固まっていることが多かったが、いまでは普通に会話をしていた。もちろん緊張しているから、無表情だけども。


   ◇


 レイとは登下校も一緒だし、夕飯とその送りも一緒だ。

 父さんが舞を見てくれるので、最近は二人きりのことが多い。

 日常が戻ってきたとはいえ、それが前のものと同一というわけではない。


 先ほどレイにパンチされたところに、心地よい熱を感じながら俺は自宅とは逆の方角へ足を向けていた。

 大型ディスカウントショップに向かっているのだ。


「確かに言われてみれば、舞にも必要だよな……」


 暑さ対策。

 なんで気が付いてやれなかったのか。


 今までは保育園の迎えなどで一緒だったからだろう。

 小学校にあがると一人の行動が途端に増えた。

 舞も成長しているのだ。俺も成長しなければならない。


 俺はスマホで確認しておいた情報を暗唱していく。


「とりあえず……首から下げる冷たいやつと……子供用のなんか、日焼けクリームと、小さい水筒ってなかったからコップみたいなやつ、持たせよう……あとは……そうだ、帽子だ。首になんか布がついてるやつ……でもあれなら俺、作れるよな、風呂敷切って……いや、女の子相手だしやめよう……レイになんか、怒られる気がする」


 姫八市は、自然と無機物がちぐはぐに共生している土地である。

 発展している駅前だが、ほんの数百メートルずれると、昔ながらの古民家があったり、それを利用した小料理屋群があったりする。

 そのせいで小道も多く、だから一方通行も多いらしい。警察官と住民との口論をよく見るのは、むしろ平和的というべきか。


 こちらの方が近い――無意識に判断して、駅近とは思えない古民家が立ち並ぶ、細道に入ったときだった。


 ブロック塀の上に小さな人影を確認。

 次の瞬間。

 倒れるようにして、人影が落下する。


「は……?」


 そのまま人影はコンクリの上に激突。

 いや……背負ったバッグ――ランドセルによって背面へのダメージは緩和されたようだ。

 しかし、ランドセルと首の高低差のせいで反動が付き、頭を打ち付けていた気もする。


「――おい! 大丈夫か!?」

 

 近寄る。

 男の子のようだ。

 舞よりは随分と大きいが……三年か四年生ぐらいだろうか。


 手に何かを抱えていたが、それはすぐに逃げた。

 背を視線で追う。

 どうやら……猫、のようだった。

 野良猫らしく、ぼろぼろの毛並み。道の先で一度こちらを振り返ったが、すぐに曲がり角の向こうに消えた。


 どこかで見たことのある光景だ――気のせいか。

 既視感を覚えながらも、俺は少年の反応を待った。


「いてて……あ、え? だれ?」

「通りすがりの高校生だ――今、頭ぶつけてたか? 痛むか? 眩暈とかしてるか?」

「え? ああ、落ちたんだ……うん、痛いけど……たんこぶも出来てないかも……あ、いまふくれてきた」

「なら良かった」


 もちろん安心はできないが、頭を打った時は、たんこぶが出来たほうが軽傷である――らしい。

 テレビで見ただけだし、もちろん素人判断はいけないけれど。

 でも、人は不安な時、間違っていようとも、なにかの指針にすがっていたいものだと思う。

 

 男の子は仰向けのまま、ランドセルに体重を預けながら頭をさすっている。


「ほら。とりあえずゆっくり起きて。違和感を感じたら教えてくれ」


 男の子は、俺が差し出した手を不思議そうに見ていたが、自分の体勢の立て直しが必要だと気が付いたのか、にっこり笑って手を差し出した。

 そのまま立ち上がる。


 良かった、元気そうで――そう思った瞬間、男の子は顔をしかめた。


「いたっ」

「どこだ?」

「足……」

「ちょっと、見ていいか?」

「うん……」


 片足立ちの男の子に肩をかして、靴を脱がせる。

 男の子の足は……一見すると変化はない。


「ここ、痛いか?」

「うん」

「これは?」

「痛くない」

「折れてはないけど、捻挫ではあるな」

「お兄さん、お医者さんなの?」

「いや、整体師――」

「すごい」

「――の部屋の上に住んでる」

「よくわかんない」


 俺は男の子に靴下だけをはかせ、靴はいつも持参してるビニール袋に入れて、自分のバックに詰め込んだ。

 レイから『陣くんって、おばあちゃんみたいだわ……、この前なんて、バッグから冷凍ミカンが出てきたわよね……?』と言われたが、今日、それは役に立っているので、レイにはおばあちゃんに感謝してもらおう。


 男の子は靴を盗まれたかのような顔をした。


「あの、ボクのくつ……」

「家、近いか?」

「え? うん。近いといえば近い」

「じゃあ送ってくから、案内してくれ」

「……?」

「その足じゃ歩けないだろ。保険証持ってるか?」

「ううん」

「じゃあ、そういうのも取りにいかないとだし、タンコブができてるから内出血とかもないから動かしても平気だと思う。だから親御さんのとこ、つれてくよ。親、いるよな?」


 自分に母親がおらず、父親も最近まであんな感じだったせいで、余計なことを聞いてしまったかもしれない。

 反省するが、男の子の口調が、淀(よど)むことはなかった。


「うん。お母さんが家にいると思う。お父さんはお仕事。お姉ちゃんは学校……かな?」

「そうか。じゃあ帰ろう。今帰れば、病院もまだ間に合うだろうから」


 俺は背負っていたバッグを前に回してから、男の子の前にしゃがんだ。

 男の子は何もせずに、ぼうっと俺の背中を見ていた。

 

「遠慮するなよ」

「……? あ、おんぶ?」

「そう。嫌か?」


 舞なんかは、ダメだと禁止してもしがみついてくるからな。

 勉強中でも休憩中でも靴を履いているときでも。

 怒ったことは一回だけ。料理で火を使っているときだけだ。


 とはいえ舞は女の子で一年生。

 三年生ぐらいの男の子だと気恥しいのだろうか。


 だが男の子は何でもない風に首を振った。


「あ、違うよ。気が付かなかっただけ。ありがとう」

「ランドセル背負ったままでいいから……足をこっちにくれ」

「う、うん……え? こっちかな、わからないや」

「ああ、それでいい。汚れとかは気にするな――よし」


 男の子はおっかなびっくりと言った感じで俺の背中にしがみついてくる。

 なんだかずり落ちそうだが、まだ体が小さいので問題はないだろう。


「じゃあ行くか」

「う、うん」


 立ちあがると、背中の男の子の体が強張った。


「お兄さん、背、高いね」

「そうか? もっと高いやつなんているぞ――それにキミが……」


 落ちてきたブロック塀に立った時の方が視点は高いだろ?――そう聞く前に、大事なことを聞き忘れていた。


「そうだ、ごめん。俺の名前は『荒木陣』だ」

「アラキジン?」

「ああ。アラキが名字で、ジンが名前――で、キミの名前は?」

「名前」

「うん。あるだろ、名前」


 小学生相手だからといって礼を失していたつもりはないが、名前を聞かなかったとは良くない。


 最近は舞にも基本的なことでよく怒られる。小学校でいろいろと教わっているらしい。

 最近多いのは、『お兄ちゃん! まずはレイちゃんに、ごめんなさいして!』という文言。

 大抵、謝る理由がわからないのだが、それでも『す、すまん……?』と頭を下げると、舞もレイも目を合わせて『ねー!』とか頷きあっている。

 この前なんて『まるで親子だな……』と軽口をたたいたら、レイは『そこは姉妹というべきではないの……?』と落ち込んでしまい、舞はやっぱりこう言った。


『お兄ちゃん! まずはレイちゃんに、ごめんなさいして!』


 さて。


 俺の言葉を受けると、背中の男の子が居住まいを正した。

 最近の子供は、やけに大人びている子がいる気がする。

 自己紹介をするときのたたずまいというのを知っているのだろうか。


「あ、うん、ボクの名前は――」


 そうして。

 物語は唐突に。

 そして当たり前のように進む。


 俺は彼女と出会う――その道に足を踏み入れたのだった。


「エニシ、って言います」

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