第20話 過去の話・中編(真堂礼視点)

 視線の先には一人の男子生徒が立っていた。

 なんだか本当に子供みたいな表情をしており、先ほどの言葉は本心のようにも思えた。


 それは裏表の少ない人間ということだ。

 ま、あくまで少ないだけ。

 一皮剥けば人は同じでしょう?


「たしかに関係はないな……? そりゃそうだ」


 男子生徒は他人事のように呟いた。

 いや、他人事のように聞こえるのは、きっとわたしが裏を取りすぎているからで……彼は何も考えてないだけかもしれない。


「なら放っておいて」

「まあ、確かに関係はないかもしれないけどさ。もったいないと思ったのは確かだ。そんな綺麗な顔と髪してるんだし」

「……あなた、恥ずかしくないわけ?」

「……? なにが?」


 まるで自分の言葉ではないように、ふわふわとした感じで男子生徒は続ける。

 考えながら話している感じ。

『綺麗な顔と髪』と言われたとき、あまりにもサラリとした言葉すぎて、身構える余裕もなかった。


 さらに彼はそんな歯の浮くようなセリフを口にしたあとも、いたって自然体のまま持っていた荷物を置き、わたしが座っている木製のベンチを覗きこんだ。


 ちなみにわたしはスカートをはいている。

 覗けば見えるし、それがスカートである。


「ちょっと!? 訴えるわよ!」

「? いや、すまん。隣のベンチみたいだ」


 彼は言って、隣接するベンチの裏を覗きこむ。

 わたしはスカートの裾をおさえて、睨む。

 しかし相手は全く気がつかない。


「こっちか……、っと、腐ってるわけじゃねーから……なんだよ、六角で締めるだけなのか……、こんなのテル姉が自分でやればいいのに……、まあ用務員さんも忙しいもんな……」


 なんだか一人でぶつぶつと言って、工具箱をあさっている。

 

 置いてきぼりのわたしとしては、なんだかバカらしい。

 だっていきなり話しかけられて、きつく反応したのに、明確な感情を返されることもなく、彼はベンチを直し始めて、わたしは髪の毛にハサミをあてている。


「興醒めね……」


 わたしはハサミを傍らに置いた。

 髪なんて自宅でも切れる。

 わざわざ、ここで実行する必要もない。


 ゆるやかな風が吹いた。

 なんだか気持ちいいのが、逆にいらいらする。


「関係はさ――」


 と、彼が話始めたとき、その自由奔放な話ぶりから、まるでベンチに語りかけているのかと錯覚した。


「母さんが、同じ色の髪だったんだよ」

「……? まさかわたしに話しかけているわけ?」

「で、思わず『もったいないな』って思ったんだ。母さんの髪の毛の柔らかさとか、匂いだけはずっと忘れないんだよな」

「あなた、友達いないでしょう? 人の話は聞きなさい」


 憎まれ口を叩きつつも、わたしの心臓はきゅっと掴まれているようだった。

 彼の話ぶりはまるで、二度と母親に会えないみたいだったから。


「だからもったいないと思ったんだけど……確かに俺には関係ないよな。悪かったよ、ごめん」

「……別に、謝罪なんて求めてないけれど」


 ああこの人、いままで謝罪のために語っていたのか――気がつかなかったのは、目の前の人間の表情にどうしても裏を感じなかったから。


 まるで心で思ったことを、そのまま口にされているような、そんな錯覚を得る。


 ――本当に錯覚?

 ――こんな人も、いるんじゃない?

 ――まるでおとぎ話の王子様みたいにわたしに会いにきたんじゃない?


 やめた。

 そんなこと、あるわけない。


 帰ろう。

 今日は1日イライラして、昼食も喉を通らなかった。

 あげく髪の毛も切れなかったんだから、最悪だ。


 急激にお腹もすいてきた。

 感情の高低はわたしの食欲に作用したのかもしれない。

 やけ食いってしたことないけれど、いまなら出来そう。

 

「まあいいわ。さよなら」


 わたしはハサミをしまって、立ち上がった。


 その時だ。

 立ち上がった瞬間。

 ぐう――と、お腹が鳴った。


「あ……、う……、」


 恥ずかしすぎる。

 わたしの顔は噴火するみたいに熱くなる。


「腹、減ってんのか」

「あ、……い、え?」


 別に?、みたいな雰囲気が作れない。

 わたしは表情の変化が乏しい。

 裏を作る人間を嫌う分、乏しくしてしまった。

 その結果、声や雰囲気でダイレクトな感情を伝えてしまうようになっていた。


「いいもん、あるぞ。待ってろ」

「え?」


 彼は荷物の中から薄汚れたバッグをだした。保冷バッグみたいだ。

 中からいくつものサンドウィッチが出てくる。


 ホットサンドというのだろうか。

 焦げ目のついた食パンの間に色とりどりの具材がはさまっている。

 赤、緑、黄色――まるで宝石みたいに輝いていた。


「これ、よかったら、食べてくれ」

「え? いいの?」

「ああ。修理で遅くなると思ったから作っておいたんだけど、この分じゃすぐ帰れるし。夕飯は別に作るからな」

「そ、そう?」


 あらがえない。

 すごい美味しそうだ。

 わたしは逆再生される映像のように、椅子に座り直しバッグを置いた。


「ほら。どうぞ」

「あ、ありがと」

「おう。俺も一個もらっていいか?」

「あ、あなたのでしょう!?」

「まあそうなんだけど。じゃあ食うか」


 よっこらしょ、と彼は座った。

 わたしの真横に。


 ち、近くない?――いや、近くない。そんなこと言ったらわたしが馬鹿を見る気がする。

 この男は、なにか、いままで見てきた人種とは別の動力で稼働している気がする。


 包みをといて、わたしは一口かぶりつく。


「おいし……」

「そうか。残りもんでつくったんだけど、それは良かった」


 思わず呟いてしまったことをごまかすように質問を重ねる

 

「料理するの?」

「しないのか?」


 墓穴だった。


「しなくてもいい立場なの。お金持ちだから」

「へえ。そうなのか」


 なんだその返答は。


 羨ましいな、とか。

 幸せね、とか。

 お金持ちだね、とか。

 なんで言わないのだ。


 ――あさましいのは、こっちみたい。


 わたしは白状せざるを得なかった。


「ごめんなさい……、嘘よ……、本当は苦手の……」


 すると彼は笑った。


「髪の毛、切らないことにしたのか?」

「は?」

「ハサミ、しまったから」

「……そうね」


 なんだろうこの人。

 話がとびすぎ。

 でも、なんだか気分は悪くない。


 春らしい風が吹いた。

 なんだか少しだけ、心地よかった。


「ええ。やめたわ」

「そうか。もったいないもんな」

「それは意味がわからないわ」

「そうか?」

「そうよ」

「ふうん――さて、じゃあ次のベンチ探すから、俺はこれで」

「え?」


 さすが男子というべきか。

 サンドウィッチは波にさらわれた砂のお城みたいに消えてしまった。


 風が吹き抜けるように、彼は荷物をまとめて立ち上がる。


「んじゃ、そういうことで」

「なにが――」


 そういうことなのよ。

 意味がわからないが、言葉は出ない。


 姫八学園はとても広大な敷地をほこる。

 待ち合わせでもしなければ、他の生徒と会うことだって、なかなか叶わないこともあるという。


 昔、よく読んでいた絵本。

 かならず王子様が出て来て、お姫様を助けてくれる。

 わたしに王子様はいない――本当に?


「あの、名前は……っ? あなたの、名前!」

「……ん? 一年のアラキ。アラキジン」


 彼は他にも予定があるかのように、時計を見た。


「そ、そう。わかったわ、引き留めてごめんなさい」

「いや、こっちこそ色々と悪いな。予定が、つまってて――じゃ」


 そうしてわたしたちは別れた。

 たった一度の邂逅。

 たった少しの会話。

 

「……ええ。さよなら」


 なんてことだろう。

 やはり現実は絵本ではない。


 わたしはこういう時、どんな会話を続ければ良いのかなんて知らなかった。

 うまくやれば、友達になれたのかも。

 上手にすれば、連絡先をきけたのかも。


 シンデレラみたいにガラスの靴を置いていけば、王子様が探しにきてくれたのかも――。


 でもわたしはお姫様じゃないみたいだ。

 彼が消えた先をずっと見ていた。


「今までのツケが、まわってきたのね」


 人を拒めば、人との縁は消える。

 そういうことでしょう?


 でも――わたしの心には、すでに何かが生まれていた。


「でも、名前は知っている」


 アラキ、ジン。

 彼が落としていった一人分の名前。


 王子様がガラスの靴を忘れてもいいんじゃない?

 シンデレラは王子様を探さない?


 ――でも、わたしはシンデレラじゃない。


「荒木、陣くん」


 その日から、わたしの人生は少しずつ変わっていった――。



(後編に続く)

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