第13話 ピーマン

 土曜日の通学路はしとしと雨だった。

 テレビは梅雨入りを繰り返し発し、洗濯物は不機嫌そうに家のなかにぶらさがっていた。


 授業は午前中だけだが、真堂が食べるかなと考えて、昨日のタネの残りを活用し、ピーマンの肉詰めを作ってきた。

 

 そういやアイツはピーマン好きなのかな?、と昨日の鶏団子鍋の食事風景を思い出す。

 ヒントはないものか考えていると、そういえば俺は真堂のことを何も知らないのだと気がつく。


「おい、青少年」


 廊下を歩いていると背後から声。

 振り替えれば戸暮先生――大家の一人娘のテル姉が立っていた。


 あいかわらず鋭い印象を受ける造形だ。

 まとめた髪を左の肩から垂らしているのは女性的だが、パンツスーツを着こなす様はキャリアウーマン的。


「どうしたの、テル姉」

「学校では先生と呼べ」

「テル姉先生」

「わかった。二人きりの時なら許す」

「頭を叩きながら言うセリフじゃない」


 粗野な感じのする女性だが、とても思いやりのある人だ。

 でなきゃ現国の教師なんてつとまらないと思う。


「舞ちゃん、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ」

「ならいい」

「俺の心配は……」

「男は自分の力で生きろ」

「だから結婚できないんじゃ」

「なんだと?――あ、サエバ先生……おはようございますっ!」


 とたんにテル姉の声が上ずる。

 近くを意中の先生が通ったのだ。

 キャリアウーマンはどこへやら、顔が完全に恋愛小説のヒロインみたいになってる。


 きつい事をバシバシいうテル姉に、生徒からの恋愛相談などが絶えないのはそういうところに親しみやすさがあるからなのだろう。

 一番、相談したいのは本人だろうけど。


「あ、あの、サエバ先生、この前のお話なんですけど――」


 俺に目礼をして立ち去るテル姉に、心の中で応援。

 誰もが知っているが、サエバ先生は保健室の養護教諭に首ったけなので、勝率はかなり低い。


「……教室行くか」


 なんの時間だったんだか。

 進行方向に向きなおると、曲がり門の先から、右半身だけを晒している人影が見える。


 目を凝らす。

 いや、凝らさずともそれは真堂だった。


 声をかけるには少々、離れている。


「……レイのやつは何を……?」


 遠くからじっと見ていると、真堂は何かに気がついたのか――背後をゆっくりと振り返った。

 だが、なにもない。

 首をひねって、再びこちらに視線を向ける。


 いや、お前だよお前。

 ツッコミたいが、やはり若干遠い。


「まさか、完璧に隠れているつもりなのか……?」


 信じられないがその可能性は大いにある。

 俺は視線を一度はずしてから、曲がり角に向かって歩をすすめた。


「……っ!」


 真堂は俺の歩調にあわせて、少しずつ体を曲がり角の先へ隠していくが――残念ながら全て少しずつ見えている。


 そして俺は角を曲がった。

 もちろんレイが――居たのだが、壁に張り付くようにして、壁側を見ていた。


 これはあれだろ。

 完全に、動きかたを間違えたやつだろ。


「……レイ、おはよう」

「……っ。なぜ、わたしだとすぐにわかったの?」


 駄目だ。

 ツッコミどころが多すぎる


 ギクシャクと真堂は振り返った。

 顔は赤くないが、どこか気まずそうだ。


「そもそも何をしてたんだ?」

「そもそも何をしていたように見えたのかしら」

「いや、わからないけど……」

「……かくれんぼよ……」

「一人で?」

「ごめんなさい、嘘です……」

「いや、責めちゃいないけど」

「逆に、何をしていたと説明すれば納得するの?」


 互いに沈黙。

 幾人かの生徒が『真堂さんおはよー』などと声を掛けた。

 俺にはない。


「……教室いくか」

「同情なんていらないわ……」

「教室いこう」

「ええ……」


 自然と並んで歩き出す。


「陣くん、昨日はありがとう」

「ん? なんだっけ」


 礼を言われることは、なんだろう?


「そういうとこよね、陣くんって」

「どういうとこだよ」

「とにかくありがとう」


 その間も真堂には皆が挨拶をする。

 真堂も無表情ながら『おはよう』と返していた。

 孤高のご令嬢という噂は嘘だったかのように友達がいる。

 ていうか、俺には誰もが目礼で終わる。


「俺は友達が居なかったのか……」

「わ……、わたしが居るからいいでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「そうなの?」

「聞くなら言うなよ」

「そ、そうね」


 それにしてもやっぱり、俺は真堂のことを何も知らなかったようだ。


「レイとは、なんだか不思議な関係だよな」

「関係……」

「不思議と昔から知っている気もするし」

「階段から突き落としたい気もするし」

「なぜ!?」

「いいの。先を続けて」


 よくはない。

 何が堪にさわったのかはわからないが、時間を置いて聞いてみよう。


「でもやっぱり、まだ数日しかまともに話してないんだから、お互いに知らないことばっかりだよな」

「話さなきゃ分からないことはたくさんあるわ。運良くシンデレラみたいに靴が証明してくれることは、ほぼない」

「そうだな。話さなきゃわからないことはあるよな」

「ええ。聞かなきゃわからないこともね」

「確かにそうだ」


 俺はぶら下げていた保冷バッグを見た。

 それから真堂に視線を向ける。


「なあ、レイ」

「なに?」

「レイはピーマン、好きか?」

「食べ物として? 嫌いではないわ」

「そっか。じゃあ今一つ覚えた」


 知らないなら聞けばいい。

 その通り。

 俺は今、昨日よりも一つだけ真堂のことに詳しくなった。


「……? ピーマンがどうしたの?」

「昼飯はピーマンの肉詰めだ」

「え?……わたしの分?」


 当たり前だろ――そう答えると、真堂は少しだけ……笑った気がした。

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