第9話 サンドウィッチ

 俺は、東屋の丸太に座ろうとしていた真堂へバッグを差し出した。

 中腰だった真堂はそのまま固まっていたが、ゆっくりと直立していき、じきに不動になった。


「おい、レイ。大丈夫か?」

「え、ええ。肉体上の問題はないわ」


 精神上にはあるのか……?

 真堂はバッグと俺の顔を見比べた。


「こ、これはいったい?」

「まるで宇宙人でも見つけたかのような驚きだな……ほら。レイに持ってきたんだから、受け取ってくれ」

「は、はい……受け取ります」


 無表情に近いのに、種類の分からない緊張感が伝わってくるのがすごいよな。

 俺なんて表情豊かだと思っていたのに、真堂より人付き合いがないらしいからな。

 人間、伝え方というよりも、伝えたいという気持ちが大事なのかもしれない。


 真堂は震える手で俺の差し出したバッグ――使い古された保冷バッグを受け取った。


「受け取りました……」

「いちいち報告しなくても分かるって」

「こ、このあと、わたしはどうすれば……?」

「開けてくれればいいんだよ」


 UFOキャッチャーみたいな人間だな。 


 中には俺が今朝作ったサンドウィッチが入っている。

 もちろんこれは、タワーマンション最上階の勘違い事件への気持ちであるし、真堂の謝罪に対するフォローでもある。


 真堂は開いたバッグの中をジッと見つめた。


「サンドウィッチだわ! サンドウィッチがある!」

「新大陸でも見つけたか……?」

「ハムとキュウリが挟まってるわ!」

「初めて見たのか……?」

「これ、食べていいのかしら」

「もちろん。レイの為に作った昼食の弁当だからな」

「わたしのためのお弁当?」

「ああ」

「ど、どうして?」

「まあ、気持ちっていうか。舞もお世話になったしさ。人の付き合いってそういうもんだろ? 持ちつ持たれつっていうか」

「そこまで考えが及んでいるのに、友達がいないのね……?」

「大きなお世話だ」


 ていうか真堂まで俺の交友関係の狭さを認知しているのか。

 俺って今までどうやって生きてきたんだろうか……。


「わかったわ」


 真堂はしっかりと頷いた。


「これ、冷凍保存しておく。わたし、誕生日に食べるわ」

「いま食え」

「……苦渋の選択ね」

「誕生日には誕生日のなにかを作ってやるから食ってくれ……」

「本当?」


 真堂は顔を上げた。

 なぜか厳しい表情をしている。

 嬉しくないのだろうか。


「本当だぞ。誕生日にはなにかを作ると約束する」

「わたしの誕生日は11月よ」

「わかった。覚えておこう」

「陣くんって、忘れっぽいって言われない?」

「え? 言われないけど……」


 たまに妹から『また同じ話だー』とか。

 たまにリョウから『お前、おでこにオレとの予定を書いておけ』とか。

 たまにテル姉から『なぜ家賃の支払いだけは忘れないんだ』とか。

 そういう事を言われるくらいで、忘れっぽいとまでは言われない。


 真堂はどこか言いにくそうに、咳ばらいを一つした。


「じゃあ言うわ。『陣くん、あなた、忘れっぽいから。今回は忘れないで』」

「お、おう? そうかな……?」

「そうよ。絶対よ」

「お、おう」

「忘れたら冷凍保存しておいたサンドウィッチで殴るわ」

「怖いよ!」


 ていうか今食えよ!


「……緊張してパンがつかめない」

「なあ、なんでさっきからそんなに緊張してんだ?」

「人にこうやって、お弁当を作ってもらうなんて、久しぶりだからよ」

「は?」

「わたし、一人暮らしをしているの」

「あのマンションで?」

「あのマンションで」


 随分広い家だと思うが。

 掃除も大変そうだ。


「飯は?」

「お昼は学食よ。夜はお弁当屋さんかコンビニかデリバリーサービスね。わたし、料理はしないの」

「そうか」

「嘘をついたわ……、料理は苦手なのよ……、謝罪をさせて……」

「いや、いいから落ち着け――ちなみに一人で食ってるのか? 夕食」

「ええ。お手伝いさんには学校に行っている間に全部を終わらせてもらってるのよ。一人の方が気楽だから」

「お手伝いさんか……」


 金持ちっぽいワードがいきなり出てきたな。


「わたし、掃除はしないのよ。しなくてもいい立場なの」

「なるほどな」

「嘘なの……、本当は苦手なのよ、家事が……大抵、ツボを割るわ……」


 ツボってそんなに家にあるかな……。


「いちいち落ち込まなくていいから」

「ええ……ありがとう……、そういうわけでお弁当なんてとてもとても久しぶりなの。だから感動してしまったというわけ」

「そう、か」


 思い出されるのは、舞と歩いたときの事。

 無機質で冷たい印象の建造物。

 金持ちだけが住むお城――そんなことを思っていた自分に少しの罪悪感が生まれた。


 俺は地上から見上げたマンションの最上階へ手が届かないというだけで、そこに住む人間の気持ちにも手が届かないと思っていた。

 だが今では面と向かって話している。


 沈思黙考している中、真堂は手を合わせた。

 やっと食べてくれるらしい。


「いただきます」

「あ、これ、手拭きだ。濡れてるから使ったらこのケースに。あとこれが口をふく紙ナフキンで、これが飲み物」

「……すごい準備ね。震えるわ」

「毒なんて入ってないぞ」

「あなたを恐れているのよ。女の子であることを恥じる瞬間が何度もあるの」

「……? そんなに美人なのにか? 自信持っても怒られないだろ」

「わたしは別の意味であなたに怒りたいわ」

「なんでだよ」

「ふふっ――ないしょ」


 真堂はおかしそうに手を口元に当てた。

 伸ばせば手が届く距離に、心はある。

 高すぎるタワーマンションに住む人間の気持ちは、こうして目の前にある。


 俺はぽとりと言葉を落としてしまった。


「……お姫様はお姫様で大変だな」


 サンドウィッチを嬉しそうに頬張った真堂は、ちらっと俺を見た。


「ふぉうじさまふぁいい」

「飲み込んでから話せ」


 お嬢様然としているが、意外と粗雑なところもあるんだな。

 家事も苦手みたいだし、人それぞれ特徴はあるよな。

 お姫様だとかアイドルだとかで一くくりにするには失礼だと覚えておこう。


 口元を紙ナフキンで抑えた真堂は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「わたしはお姫様じゃないわ。それに王子様が居なければ、お姫様は悲劇からは抜け出せないものよ。物語ではね――でもこれは」


 でもこれは現実だけど――そう続きそうなセリフだったが、その先はなかった。


 なぜなら。

 そこにはお姫様ではなく。

 学園のアイドルでもなく。


「おいし……♪」と、一人で悦に入っているクール系美少女しかいなかったからだ。


 あいかわらずの無表情だけど。

 なんだか嬉しそうな気持が伝わってくるのが不思議だ。

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