第6話 噂話

 金曜日は、久しぶりの登校となった。


 舞も熱は下がり、小学校に行っている。

 昨夜は自分の絵の上にヨダレをたらしながら寝ていた。

 相当、楽しかったのだろう。

 三人がちゃぶ台を囲んでプリンを食べている絵で、真堂と舞はドレスを着ていたが、俺は私服だった。異論はない。


 月曜日から木曜日まで休んでいたので、今週はプチゴールデンウィークみたいなものだった。


 これで親友と呼べるやつが多ければなにかのイベントがあるのだろうが、残念ながら知人・学友はいても、気心まで知れている存在は一人しかおらず、二年生でクラスも変わってしまった。


 よって事情を知る担任の女教師になぜかあたまを軽くこずかれた以外には大した変化はなく、変わらぬ日常を――いや、それは少し違うか。


 窓側一番後ろの席という、漫画の主人公みたいな席をあてがわれている俺の元へ、わざわざ歩いて近づいてきた人物。


「……陣くん、おはよう」

「お?」


 真堂だった。

 実のところ、二年から同じクラスではあるが、教室で挨拶どころか言葉を交わすのは初めてだった。


 無表情……だとは思うが、なんだか笑っているようにも見える。


 お嬢様というには短いスカートから伸びる白い足が、所在なさげに前へ後ろへ動く。

 切れ長の目をいろどるマツゲも、髪色と同じくクルミ色。

 教室でここまで間近にみるのは初めてだが、たしかに学園のアイドルと呼ばれる由縁がよくわかる。


「おはよう、真堂。昨日ぶりだな」

「……おはよう、陣くん」

「……? おはよう、真堂」


 あれ?

 俺いま、タイムリープした?


 真堂は視線をさげた。

 少しだけ唇がとがっているような……気もする。

 それからポツリと言った。


「……名前」

「え? あ」


 なるほど。

 名字は好きじゃないっていってたもんな。


「――ああ、わるかった。レイ、おはよう」

「ええ、おはよう」


 満足したようにコクリと頷く真堂。

 それから何を話すでもなく俺の顔をじっと観察すると、腰の辺りまでしかあげていない手のひらを下に向けて振った。


 まさかバイバイのつもりだろうか。

 腕のストレッチにしかみえない。


「じゃあ、またね」

「お、おう?」


 あいかわらず綺麗な髪がふわりと浮いて、サヨナラの言葉をかざった。


 去り行く背中を見ながら思う。

 やっぱり真堂って、よくわからん奴だ……と。


   ◇


 二時限目と三時限目の中休みに、隣のクラスの親友がやってきた。


「よお、陣! あいかわらずシスコン休暇かー!」

「うるせえ」

「はははっ! 否定しないところがお前らしいぜ」

「兄としての務めだろ」

「オレの姉貴は、んなことしてくれたことは一度もない。姉貴は、お前への愛のほうがでかい」


 俺の身長は173センチ。

 そいつ――『赤須 涼司(あかず りょうじ)』の身長は163センチ。


 10センチの身長差がありながらも、その金髪にそめあげた頭とテンションの高さ、顔だけならイケメンという天性の素質によって、俺はいつも押されぎみである。


 ちなみに俺とリョウは小学生からの幼馴染み。

 人生における親友……、腐れ縁といったところで、示し会わせたかのように高校の第一志望も同じだった。


 リョウは両手を差し出した。


「ま、そういうことで、教科書かせ?」

「またかよ……。お前のバッグは何がはいってんだ……」

「夢、かな」

「すてちまえ」

「ひでー」


 これでしっかりものの気が利く年下彼女がいるってんだから、世の中よくわからない。


 教科書を手渡すとリョウはあたりを見渡した。

 ちょうど誰もいない。


 遠くで、真堂の机のまわりに数人の女子が居る。真堂も話に参加しているようだ。


 あえて観察したことはなかったが、真堂に社交性があるとは意外だった。

 もっとこう、孤高の存在なイメージがあったのだ。


 リョウの声がした。


「お前いま、ナチュラルに失礼なことを考えてんな? そーいう顔をしてるぞ」

「してねーよ。ただ、真堂って……えっと、あそこの」

「シンデレラぐらい、知ってるわ」

「シンデレラ?」

「はあ? 逆にしらねーのかよ。うちの学園アイドルたちにはあだ名みてーのがついてんの。真堂礼は、シンデレラ」

「なんで?」

「語感が似てるだけじゃねーの? あとは、門限がきっちりしてるからとか?」

「それ、悪口だろ」

「学生が関わりゃ、んなもんだろ。当事者以外は悪意のアの字も感じてねーよ」


 まるで自分が学生ではないかのような言い分だが、リョウは自由人なのであながち間違いではないだろう。


 俺は女子生徒に囲まれる真堂を見ながら、何気なく口にした。


「意外と社交性があるんだな」

「陣よりはあるだろうよ」

「え? 俺、結構――」

「うまくやってねーよ! お前こそ門限ありのシンデレラだぞ。悪く言う奴はいねーけど、良く言う奴もいねー。つまり空気みたいなもんだな」

「……まじかよ」


 高校に入ってから一年と少し。

 たしかに去年までは舞の保育園の迎えがあって、友達と遊びに行くなんてこと、絶対にできなかった。


 たまにチャンスがあっても17時は厳守。

 それでも愛想良くやってたつもりなのだが……、まさかそんな印象を持たれていたとは。


「……今年は舞も進学したからな。がんばるぞ」

「それはオレも心から嬉しいぜ。だが、今日の予定をきかせてもらおうか?」

「……? 今日はスーパーの安売りがあるから、それに間に合うように学校を出て――」

「わかった。もういい。そして一つ聞かせろ」

「ん?」

「お前、そのシンデレラ……真堂礼と付き合っちゃったりしてる?」

「つきあう? なにを?」

「なにを、じゃねーよ。恋人関係かって聞いてんの」


 ずい、っと顔を近づけてきたリョウを片手でおしのけた。


「んなわけねーだろ」

「でもお前ら、朝、仲良くちちくりあってたんだろ?」

「してねーよ。どこ情報だよ」

「どこもなにも、いま学年内で噂になってんぞ」


 まさか朝の挨拶のことか?

 それにしたって、まだ二時間ほどしか経ってない。


「なんでそんなに情報が早いんだ」


 リョウはスマホを掲げて、ゆるやかに振った。


「スマホのネットワークというもんを、あなどるなよ?」

「スマホぐらいもってる」

「訂正。『友達のいる』スマホユーザーをなめんなよ?」

「……はい」


 言い返せない。


「で、どうなんだ? 付き合ってんのか? オレは付き合ってるほうに賭けたんだぞ、わかってるのか」

「しらねーし、付き合ってもねーよ」

「嘘だろ? 嘘といってくれ。オレの昼飯代が……」

「むしろ朝に挨拶したぐらいで、なんでそう思うんだ、お前は」

「え、だって――」


 リョウにしては珍しく、言葉を失ったようにきょとんとした。


「――俺とお前がいるとき、真堂がこっちみてること多かったからよ。なにかあるって思ったんだ」

「なにかってなんだよ」


 まさか謝罪にプリンを持ってくること、とか言い出さないだろうな。


「だからラブコメみてーな展開だよ。姉貴いわく、お前は母性本能をくすぐる感じなのに実は母性的であるという、そのギャップが武器らしいしな」

「しらねーよ。全部、自意識過剰だろ」


 俺は手をしっしと振る。

 それが合図だったかのようにチャイムが鳴った。


「くっそ……、まじで付き合ってねーっぽいぞ……今なら賭け金変えられるか……?」

「不正はすんなよ」

「お前のせいなのに!」

「お前のせいだろ」

「くそー!」


 ぶつぶつといいながらリョウも撤退していく。


「……たく」


 初めて感じたのだが、高校生ってのは皆、そんなに人の噂に敏感なんだろうか?


 それとも俺が鈍感なだけなのだろうか。


 だれが付き合っていようとも、関係ないと思うんだが。

 いや、付き合ってもいねーしさ。


 学園のアイドル――真堂も大変な立場にまつりあげられてるよな。


 ふっと、前のほうの真堂の席を見やる。


「……っ」


 するとワザワザ振り返ってまでこちらを見ていたらしい真堂と目が合った。

 相手のほうから、すぐに視線を外して前を向く。


「……?」


 なんだ?

 まさか噂話が、俺のせいだとでも言いたいのだろうか。

 良くわかってはいないが、あとでまた話をしにいこう。


「それに、昨日のお礼も渡さねーとだしな……」


 俺はバッグに入りきらなかった荷物に視線を向けた。

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