第4話

 翌朝、隼世は至って普通の態度だった。いつもの優しい目をしている。

 昼休みに教室で一緒に弁当を食べながら、俺は山神さまに奢ってもらったお土産のお茶を作る。水筒にそのままティーバックを入れ、色付いてきたところで持参したプラスチックの容器に注ぎ入れた。乙女チックすぎると白い花を入れるのを嫌がったが、無理やり乗せてやった。

「すげー旨い」

「だろ!」

 白い花も美味しいと笑顔を見せた。少しだけホッとした。無理に笑っているわけではなさそうだ。

「今日、朝子ちゃんのところ行く?」

 おずおずと尋ねると、隼世は一呼吸置いてから俺を見る。

「行くよ。咲也も行くだろ?どうせ山神も来てるんだろうし」

 いよいよもって隼世の中で山神さまの地位が落ちてる気がするけど、まぁいっか!

「そっか!よし、俺家に帰ってから漫画持っていくから!山神さまの相手は任せろ!昨日も山神さまと漫画の話で盛り上がったんだ」

 俺はガッツポーズを決めて見せる。隼世は楽しそうに笑った。

「俺は朝子に告白したよ」

 さらりと隼世はそう言った。ずっと一緒には居られないことを承知で、それでも告白したのだ。朝子ちゃんに会いに来なかった日はただ逃げたのではなく、もしかしたら告白をするかで悩んでいたのかもしれない。

「あ、そ、そっか!で、オッケーだったの?」

「ありがとう、とだけ言われた」

 どう受け取ったらいいのか分からず俺は言葉を噤む。なんとなく、告白を受け入れてしまったら恋人が居なくなるという結末を迎えてしまう隼世をおもんばかったんだろうな、と思った。恐らく俺の予想は正解だ。そして隼世もそれを分かっている。悲しそうに笑う隼世の目が、それを物語ってる気がした。




 俺は帰ってから読み切り少女漫画を五冊と陰陽師が出てくる連載少年漫画を五冊手にする。今度も好みに合うといいんだけどな。

「お兄ちゃん、漫画友達でもできたの?隼世くんは読まないよね」

 漫画を持って家を出ようとしたところで呼び止められた。不審そうな顔で妹が問う。

「まあな!それより、お土産のお茶は飲んだか?」

「飲んだ。美味しかったんだけどどこで買ったの?友達の家に持っていきたいんだけど」

「なんか、外国のお茶らしい。あんまり手に入んないんだって」

「えー」

「もし貰えたらやるよ」

「約束ね」

 ぶっきら棒に言って目を若干反らしながら小指を出す。照れてるのか。俺は自分の小指を優しく絡めた。

「約束する」

 血の繋がらない妹は、少女漫画とか意味わかんない等と馬鹿にされることも多いけどやっぱりかわいい。

 将来彼氏を連れてきた日には、お前に可愛い妹は渡さない等と言ってしまうのだろうか。いや、むしろ逆に俺が連れてきた彼女にお兄ちゃんは渡さない、等と言われる事もあるかも。そんなこと言われたら嬉しくて泣いてしまう。

「何ニヤニヤしてんの?気持ち悪っ」

 苦虫を噛み潰したような顔で手を払いのけられた。ほんの一瞬前まで可愛かったのに…。女の子は理解できない。

 気を取り直して俺は家を出て朝子ちゃんのところに向かった。あぜ道の入り口の所で隼世に会った。

 俺は山神さまにもらった紅茶を一つ隼世に渡した。

「うまかったって言ってたからお裾分け」

「ありがと。しかしお前、よくそんな訳の分からない飲み物に毒味も無く手を付けられたな」

 呆れたように言いながらお茶を受け取る。

「ちゃんとした店だったぞ?怪しいから飲まないとか失礼だろ」

 ムッとして答えるとさらに呆れたような表情になる。

「そんな理由かよ…。自分でジュース買って持っていくとかあっただろ」

「だって、手を引かれて気が付いたら見知らぬ草原だぜ?そんなジュース買ってる暇なんかないだろ」

「……本当、よくそんな状況で出された謎の飲み物飲んだな」

 改めて言葉にされると確かにそうか?と、思ってしまい言葉に詰まる。いやでも、仮にも相手は神様だし変なことはしないだろうとは思ってたし、俺だって何も考えずに飲んだわけじゃないぞ。後半はあんまり何も考えずに飲んでたけど。

「まあいいや、ありがとう」

「おう」

「それ、山神に?」

 隼世は俺が持ってる紙袋を指す。

「そう、好みだといいんだけど」

「何が好きそうとか分かったのか?」

「戦闘が多いやつかな。山神さまも男の子なんだなー」

 山神さまを男の子と称したのが面白かったのか、隼世はしばらくクツクツと笑っていた。



 それから一カ月。俺と隼世は出来る限り朝子ちゃんと山神さまの元へ通った。やはりというか当然というか、俺は専ら山神さま担当だ。悲しくも山神さまのお気に入りは少年漫画になった。たまには少女漫画も読んでくれるけど、俺の大好きなキュンキュンするキラキラドキドキの少女漫画はあまり好みじゃないらしい。ものすごく残念だー。

 今の山神さまの悩みはかめ〇め波を出すかどうかだ。以前貸した、かの漫画を開きながら山神さまはおもむろに呟いた。

「出せる気がするな…」

「え?」

「出すことは出来るだろうが、力の加減が分からぬ。気分が乗りすぎると山の二つ三つ破壊してしまうかもしれぬな。どうするか……」

「やめた方がいいと思う!マジで!やめて!」

 大声でかめ〇め波を叫ぶ山神さまは見てみたいが、もし山が破壊されたらそれってもしかしなくても俺のせいになるのかな。

「いや、ちょっと木に穴をあけるくらいの力に調節すればよいと思う。お前も目の前で見てみたくはないか」

 見たい。と全力で言いそうになるのをぐっと堪える。

「ダメだって、好きなものをテンションを上げずにするのは、まず無理だから」

「やはりそうか」

 山神さまは至極残念そうに呟く。

「少しづつ修行するかな」

 神様が修行とか言い出した。完全に漫画の影響を受けている。大丈夫だろうか。漫画好きになるのは構わないが、内容を現実に持ってくることのできる存在が漫画に嵌るとどうなるのか見当がつかない。山神さまが挑戦しても大丈夫そうな技が出てくる少年漫画ってあったかな。今度は派手な技が出てこない漫画にしようと思い、今日持ってきた陰陽師の漫画を選んだのだがそれでも心配になる。

「何事もやってみなければわからぬな。よし、一度出してみるか」

 しばらく神妙な顔をしていた山神さまがおもむろに立ち上がる。俺は慌てて山神さまの服の袖を引いた。

「やめて!本当に山が無くなったらどうするんですか!そこに住んでる動物とかも死んじゃうんじゃないの!?」

「いやいや、ちょっと出してみるだけだからそこまでの惨事にはならぬ」

「ダメだってば!」

 等と、傍から見れば馬鹿馬鹿しいやり取りをしている時だった。

 突然、隼世が悲鳴に近い声で朝子ちゃんの名前を呼んだ。俺も山神さまも弾かれたように隼世の方を見る。

 隼世が泣きそうな顔で縋りつくように朝子ちゃんの手を握っていた。朝子ちゃんは淡い光を放っている。

「時間か」

 山神さまの一言に、ついに朝子ちゃんの寿命が来たのだと理解する。

 朝子ちゃんは目に涙を貯めながら、笑顔を浮かべていた。

「山神さま、お世話になりました」

「ご苦労だったの」

「咲也くん。会えて楽しかったです」

「あ、お、俺も、俺も楽しかったよ」

 言いながら涙が出てきた。さっきまで普通だったのに、こんなに突然別れがやって来るなんて。悲しいとう気持ちを自覚する前にあとからあとから涙が出てくる。

 朝子ちゃんは隼世に顔を向けると、ゆっくりと唇を合わせた。

「本当に、ありがとう。大好きよ、隼世」

「俺だって、俺の方が……」

 後は言葉にならなかったようだ。隼世は朝子ちゃんの背に腕を回す。

「絶対に、幸せになってね。私との約束だからね」

「わかってる」

 朝子ちゃんは幻想の様に消えた。朝子ちゃんを抱きしめていた隼世の腕が空気を掴む。あまりにも呆気なく朝子ちゃんは跡形も無く消えてしまった。人なら体が残る。けれど朝子ちゃんはなにも残さず文字通り消えたのだ。

 顔を覆って泣き出した隼世を俺はたまらず抱きしめた。

 悲しい。胸が張り裂けそうなほど。隼世は俺以上に、胸を痛めてることだろう。

 上から山神さまが俺たちを覆うように抱きしめた。

「朝子は、幸せ者だの」

 山神さまが優しい声で小さくそう呟いたのが印象深かった。

 肩を震わせる隼世を抱きしめながら俺はいつの間にか意識を失っていた。



「はっ!?」

 目を覚ましたのは、なぜか家のベッドだった。

「え、俺???」

 朝子ちゃんが消えてしまってから泣き出してしまって、その後の記憶が無い。もしかして悲しさのあまり記憶が無いままふらふら帰ってきちゃったのだろうか。そんな馬鹿な。薄ぼんやりとも記憶が無いぞ。

「体は大丈夫か?」

 聞き覚えのある声に振り向くと山神さまが俺の机に座っていた。髪も短くなって白のパーカーに黒のチノパンという人間の服を着ているが、声と顔が山神さまだ。

「何がどうなって?」

「二人とも眠らせて私が家に運んだのだ。あのままでは二人ともその場を動けそうになかったからの。特に隼世はな」

「そっか」

 呟きながら朝子ちゃんのことを思い出してまた涙が出た。山神さまはベッドの上に座り、俺の背中に手を回すとあやすようにポンポンと叩く。

「今日はゆっくりと休んで、明日は学校へ行くと良い。隼世は一日ほど学校を休むそうだが、明後日は行くと約束させた」

「はい」

 返事をしながら、俺は山神さまにしがみ付いて泣いた。山神さまだって辛いだろうに、俺と隼世のことを一番に考えてくれる優しさに甘えてしまった。しばらくして俺が落ち着つくと、また遊びに来いと言い置いて帰って行った。

 次の日の朝、泣きはらした目で降りていくと母さんがホットミルクを作ってくれた。

「昨日の人、かっこいい先輩ね」

 少し浮足立ってそう言った。山神さまは自分のことを学校の上級生だと言って俺を連れてきたらしい。自分の家の猫が死んでしまって、猫と仲の良かった俺が泣き疲れて眠ってしまったと説明したようだ。以前、保護猫を飼っていたことがありまた飼おうか悩んでいると雑談の中で話していたのを覚えてくれていたようだ。飼い猫が死んでしまったとき、二日ほどショックで学校を休んだ事があるので母も不審には思わなかったようだ。

「高校生の男の子を軽々とお姫様抱っこで二階まで運んでくれたのよ。華奢に見えるのに何かスポーツでもやってるのかしら」

 山神さま。俺が寝ている間になんてことを!せめて肩に担ぐとかあっただろうにお姫様抱っこ!訳も分からず女の子にお姫様抱っこされて興味を持った隼世の気持ちがちょっとわかる。

「お礼したいし、今度連れてきてよ」

「あ、うん。言っとく」

 うきうきしている母に微妙な返事をして、俺はいそいそと家を出た。

 山神さまの言う通り、その日隼世は学校に来なかった。

 気分も沈んだまま学校での一日を過ごし、そのまま家に帰りぼーっとその日を過ごした。何も考える気もする気も起きない。ふと朝子ちゃんはもう居ないんだなぁと思うと自然とポロポロ涙が出てきてしまう。食事を残した俺に母がホットココアを出してくれた。

「元気を出しなさい、と言いたいところだけど無理な話よね。今日は早めに寝なさいね」

「うん」

 ココアの優しい甘さが母の甘さを体現しているようで暖かさが体に染みわたる。いつまでも沈んではいられないのは解っているのだが、悲しみが癒えるまで時間がかかりそうだ。きっと隼世は俺以上に時間がかかるだろう。

「お、なんだなんだ咲也。元気ないのか?」

 後ろから突然、父に頭を撫でられた。俺はココアを飲みながらまあね、と返事をする。少しだけ嫌な予感がした。

「よし、じゃあ父さんが元気を分けてやろう。面白い歌があるぞ。たーんたーんたーぬきーの」

「たぬきに○んたまは無い!」

 思わず叫んでしまった。なんだろうこの父は。一体どれだけその歌が気に入っているのか。

「いや、無いこといは無いだろう。一応動物だし」

「無いったら無い!」

 俺は叫んでそのまま部屋に戻った。父が母に怒られている声が聞こえる。

 ベッドに思い切り飛び込むと、なんだか笑いが込み上げてきた。このタイミングで、たぬきの下半身の歌って、可笑しすぎる。

 悔しいが元気を出させる父の目論見は成功してしまった。だが、そのことは決して言わない。もし言ってしまったらこれから今まで以上にあの謎のフレーズを聞かされることになるからだ。

 明日は隼世を迎えに行って、一緒に学校に行こう。



 次の日の朝、隼世の家の前に立ち、出てくるのを待つ。

 山神さまは一日しか学校を休まないことを約束させたと言っていたが、もしかしたらまだ学校に行く気分ではないかもしれない。

 インターホンを押して登校を催促するような真似はしたくなかった。

 五分くらい待ったところで、隼世が扉を開けて出てきた。一目でわかる顔色の悪さに、寝てないんじゃないのかと思った。

「おはよう」

「……おはよう、咲也」

 声を掛けると、頼りなさそうに笑う。

 本当は外に出るような気分ではないのだろう。

「学校、行けるのか」

「山神に念を押されたしな。長く休むとその分気力がなくなるって」

「そっか」

 山神さま、本当に隼世の心配してんだな。

「色々、世話掛けて悪かったな」

「何言ってんだ、世話を焼けるのは友達の特権だろ。俺は関われてよかったと思ってるよ」

 申し訳なさそうな隼世の背中をバンと叩く。

 叩きながら涙が出てきた。

「なんで泣くんだよ」

「気にすんなよ。勝手に出てきただけだから」

「勝手にって」

 きっと辛いだろう隼世の気持ちを勝手に想像して涙が出てきてしまった。隼世が泣くのを我慢してるかもしれないのに最悪だ。俺ってこんなに涙もろかったっけな。

 学校には無事に着いたものの、授業を受ける気にはならなくて、二人で体育館裏に座り込んだ。幸いなことに今は体育の授業が無いようで静かだ。

「なぁ、隼世。俺率直に言うけどさ」

「? ああ」

「俺、お前の事心配なんだよね」

 隼世は驚いたような顔をする。

「すごく悲しいことがあって、何年たってもその思いは変わらないかもしれない。でも、俺が心配してること忘れるなよ。絶対に。何かしたいとか、どっか行きたいとかあったら付き合うし、なんでも言ってくれていいからさ。俺の事忘れるなよ?」

 隼世はニコリともせずに俺の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。

「なんだよ、わかってんのか!?」

「わかってるよ」

 見馴れたイケメーンと叫びそうな笑顔で隼世は笑った。俺は少し安心する。

「また山神さまの所にも行こうな。また来いって言ってたし」

「そうだな。エロ本でも持って行ってからかってみるか」

まさかの発言に俺は耳を疑う。

「……お前って下ネタ好きなの?」

「まぁ人並みには」

 人並みがどのくらいなのかわからないが、今の今まで隼世の口から下ネタどころか「エロ」という言葉さえ聞いたことない俺は言葉に詰まる。きっと下ネタが好きでもなければ得意でもない俺に合わせててくれていたのだろう。なんだか男として負けた気がする。

 山神さまはどうなんだろう。そんな話題についていけるのだろうか。

「今日さっそく行ってみるか?」

 思いがけない申し出だった。山神さまを見ると朝子ちゃんを余計思い出して辛いかなと、しばらくは一人で山神さまの所に行こうと思っていたから嬉しい誘いだ。

「そうだね。漫画の続きを待ってるかもしれないし」

「じゃあ、二限目から戻るか」

「そうだな、テストも近いし」

 俺は空を見上げる。雲一つない突き抜けるような青空が広がっている。

 いつかは少女漫画のようなキラキラした恋がしたい、という思いは褪せていない。いつか恋人とラブラブな姿を隼世や山神さまに見せつけてやると心に決める。

 その時は隼世も新しい幸せを見つけてるといいな。ダブルデートなんかしちゃったり。

 いつかくるそんな未来を俺は心待ちにしている。



 おわり


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秘密の狸 @nanakusakou

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