第2話


「デートとかしたことあんの?」

昼休みに弁当をつつきながら隼世に聞いてみる。隼世は登校途中にコンビニで買ったパンをかじりながら頭を振った。

「いや、朝子はあの場所を離れられないらしい」

「え!じゃあずっとあそこ?!」

「無理矢理連れ出して消えそうとか言われても困るし」

「それもそうかー」

巷のデートスポットを調べたスマホを俺はそっと閉じた。

第一候補は遊園地だった。少女漫画の定番だからだ 。お化け屋敷やジェットコースター。最後は観覧車に二人を押し込もうなんてベタベタな展開を考えていた。

でも、すごく楽しそうだと思ったのに。

(デートに出掛けることも出来ないのか…)

なんだか少し悲しくなる。

いやいや!何にもしてないのに最初からそんね後ろ向きでどうする!

何か無いか。二人を楽しませてあげられるようなこと。

だめだー簡単に遊べるものなんてトランプか花札しか浮かばねー。

「ありがとうな。色々考えてくれてるんだろ?」

「え、いや」

顔をあげると隼世が優しく笑っていた。俺が悩んでいることを全て見透かされているような気になる。

こいつのこういう所が、すげーモテる理由だなちくしょう。

「どうせ何も浮かばねーよ!」

俺は拗ねたように叫んで机に顔を伏せた。

「…なぁ、お前のオススメの少女漫画を朝子に貸してやってくれる?」

「漫画を?」

「咲也が好きだって話したら見てみたいってずっと言ってたんだ」

「そうなの?!もちろん良いぜ。俺チョイスの持ってくる」

俺は力強く親指を立てる。

なんだ、朝子さんと二人の時に俺の話とかしてくれてたんだ。完全に二人の世界で俺が入る隙なんてなかったから、内緒にされてたのかなと、ちょっと思っていた。

俺は帰ってすぐに秘蔵の少女漫画コレクションから、ハッピーエンドの一冊完結の漫画を三冊用意した。全て学園ラブものだ。しかし同じ学校ではないカップルものを揃えるという秀逸ぶりだ。

これを読んだ朝子さんが「なんだ。同じ学校に通ってなくても楽しくカップルできるじゃん」と思ってくれたら完璧だ。

少女漫画を手に、にやにやしていると妹に「きもちわるっ」と容赦なく吐き捨てられた。俺は絶対に少女漫画に出てくるような優しい彼女を作るんだと改めて心に決めた。



翌日、早速漫画を持って隼世と一緒に朝子さんの元に向かった。読んでみる?と隼世にも聞いてみたが悩みもせずに読まないと言われてしまった。一度だけ読んでみてくれたことがあるのだが、余程好みじゃなかったらしくそれ以来全く興味を失ってしまった。

完全に俺の選択ミスだと今は後悔している。少女漫画に慣れていない男には、キュンキュンするものを最初に与えてはいけなかったのだ。もっとファンタジー色が濃いものを選べばよかった。その内リベンジするつもりだ。

流石に歩いては遠いということで自転車で行くことにした。朝子ちゃんに聞いてみると自転車ごと中に入って構わないとのことだったので、置く場所にも困らなくて済む。

昨日と同じ道を辿り、朝子さんの所に着いた俺たちは二人揃って足を止めた。

(知らない人がいる)

朝子さんの横に膝裏まである深緑色の髪の男の人が、およそ漫画でしか見たことの無いような流水紋に似た金色の模様が入った、白を基調とした着物のような衣服を纏い立っていた。袖を通さず肩から流すようにかけている羽織は十二単の裾のように長く広がっている。

明らかにどう見たって人間じゃないな、と思えるその人は俺たちに優しく微笑んだ。

「初めまして。君たちが朝子のお友だちだね」

優しい声で問われ、俺はどう返事をしていいのか判らず隼世の顔を仰ぎ見た。隼世は何故か不機嫌な顔をしていた。え、なんで?さっきまで普通だったじゃん!

「あ、えとはい!俺は昨日からですけど、こっちの隼世は一年くらいの付き合いです」

言いながら隼世の肩をバンバン叩く。人じゃないっぽい彼は隼世の方を見ると一層嬉しそうに笑った。

「君が隼世君か。話は朝子から常々…。会えて嬉しいです」

「どうも」

隼世は機嫌が悪そうに短く答える。

ちょっと待って隼世どうしたの!?さっきまでいい子だったじゃない!いつもの愛想のいい隼世くんどこいったの?!その人初対面でしょ!!

という俺の視線にも気付かず隼世は真っ直ぐ彼を見ている。

「あ、あの!朝子ちゃんこちらの御仁はどなた?!」

「その方は、山神さまです」

「やまがみさん?」

俺は全くピンと来なかった。察したのか朝子さんは少し笑った。

「この辺りの山を治めている山の神様です」

「か!!!!」

神様出てきた!!!

狸の次は神様出てきた!!!!

「山の…」

流石の隼世もビックリしたのかそう呟いて言葉を失くした。

「二人とも、今日は私も交ぜてください」

山神さまはにっこり微笑んだ。



「ほぉ、これは凄い」

山神さまは俺が持ってきた少女漫画に朝子ちゃんより食いついた。やっぱり日本の神様だしオタク気質があるのかもしれない。

「黒と白だけで描かれているのに、絵が色づいているかのようですね」

「本当に、水墨画とはまた違う魅力だな」

全然ジャンルが違いますよ。とは突っ込まない。山神さまってどんだけ力があるんだろう。怒りに触れたら消し炭にされちゃったりするんだろうか。

「この、漫画の舞台になっている学校というものは、君たちが通っているものと同じなのかな」

山神さまは校舎の描かれた部分を指して俺に尋ねる。

「建物の形とかは少し違いますけど大体一緒ですよ。教室とか体育館とかうちの学校にもありますし、教室はほぼ漫画と同じです」

「そうか。このような場所で勉学に励んでいるのだな」

山神さまは面白そうに微笑む。

特に勉学に励んでいない俺は、ちょっと顔が強張ってしまった。そう言われるとちょっと悪いことをしてしまってる気になる。せっかく恵まれているものを難なく価値がないと言ってしまえる馬鹿者だとは思われたくない。

「何を学ぶのが一番楽しいのかな?」

「おぅぐ…」

変な声でた。

学校で学ぶことを楽しいと思ったことは一度もない。行かなければならないから行って、言われたままテストのために勉強をしている。楽しい楽しくないで考えたこともない。

「何が楽しいのかを探すために勉強しています」

隼世がカッコ良くそう言った。

次に違う人から問われることがあったら、同じように答えよう。

「そうか。楽しさを探すことが出来るのか」

感慨深そうに山神さまはそう言った。

「以前、と言ってもかなり前だが同じ質問をした子供は勉強をしないと悪い奴に騙されるからだと言っていた。平和になったのだな」

山神さまは嬉しそうにそう言った。

隼世は少し声を落とした。

「…いえ、今でも犯罪者は居ますので、騙されないようにという理由は今も当てはまるかもしれません」

「なんだ…そうなのか。なんとも残念だな」

山神様は本当に残念そうにため息をついた。なんだか素直な神様だな。

「ともあれ、下降の一途を辿っているのでなさそうで良かったというものだ。私も人の子と話すのは久しぶりでな。少しでも現状が知れて良かった」

それからも山神さまは漫画を捲りながらあれはなんだこれはなんだと、質問攻めだった。人と話すのが久しぶりというより、人の世界に触れるのが久しぶりの様だった。俺に山神さまの相手をさせて隼世は朝子ちゃんと楽しそうに話している。

俺知ってる。こういうのスケープゴートって言う。

でも仕方ない。隼世のラブラブのためだ!

「そろそろ日が落ちますね」

暫くして、そう言って立ち上がったのは朝子ちゃんだった。確かに空が赤く染まってきている。

「時間が過ぎるのは早いものだな」

山神さまも声につられて空を見上げる。

「惜しいが、子供が夜道を歩くものではないな」

「子供って!もう十七歳ですよ!」

軽快に言った俺を、山神さまは少し首をかしげて見る。

「高校生は子供だと、お主のこの漫画に描いてある」

ぐうの音も出ないとはこの事だ。俺は今日色々なことを身をもって学んだ気がする。

「気をつけてお帰りください。隼世も咲也さんも」

「はい!」

やった!女の子にさん付けで呼ばれちゃった!

「つまずいて転ぶでないぞ」

隼世の眉がピクリと動いた。山神さまは優雅にニコニコしていて本当に心配しているのか隼世に対する嫌味なのか区別がつかない。

隼世の山神さまに対する不機嫌は最後まで治らなかった。どうやら朝子ちゃんと仲がいいのが気になって仕方がないらしい。人間と神様じゃなかなか、というかかなり身分の差もあるしもし恋敵だったらと気が気ではないようだ。

そんな隼世の気持ちを山神さまも理解しているようで、何かと朝子ちゃんに顔を寄せて話したり肩を寄せたり、当てつけで仲を見せつけているように見えた。

帰る俺たちを手を降って見送ってくれる二人の内、漫画をしっかりと握っているのは山神さまだ。どれだけ気に入ったんだ。

ちゃんと朝子さんにも読ませてあげるのか心配しながら俺達は帰路についた。



「山神さま面白かったな」

「は?どこが?」

険のある言い方で隼世は吐き捨てた。

「神様相手に嫉妬すんなよ」

「してないし」

「困るのは朝子さんじゃねーの?」

隼世はグッと見たことも無いほど眉根を寄せた。

「あんな人間と関わるなとか言われたらどうすんだよ。朝子ちゃん優しそうだし流石に逆らえないだろ」

「仮にも神様だし、そんなに心は狭くないだろ。ぶん殴ったわけでもないし」

「そんな事したら朝子ちゃんの前にお前が消されるわ!頼むからやめろよ!」

大丈夫なのか、この男。心配になってくる。

普段完璧な男までも面白くする。これが恋愛のなせる技か。

「明日も朝子ちゃんのところ行くの?」

「いや、明日はばあちゃんの買い物に付き合うことになってるし、週末はバイトだ。行くなら来週だな」

「じゃぁ俺、それまでにまた違う漫画を見繕っとくわ」

「好評だったな。少女漫画」

「特に山神さまにな」

ふは、と隼世は吹き出した。

「あんなに食いつくと思わなかったよな。最後まで離さなかったし」

思い出したら面白くなってきたのか、クツクツと笑い出す。

「今度は神様用に少年漫画持っていくかな」

「エロい漫画持っていけば?」

「そんなの持って…お前持ってんの?!」

質問には答えず隼世は笑い出す。

「普通持ってるだろ」

「いや、うち妹いるから持てないんだよ」

どこに隠しても見つけてくるから、怪しい本を家に置けなくなった。一体何なんだあれは。エロハンターか。

「女の兄妹がいると大変だな」

「もうマジ!その通り!男兄弟欲しかったー!」

そう叫んでちょっと考えた。少女漫画が好きな兄って、弟の方がバカにされる可能性が高いかもしれない。そう考えると妹で良かったのかも。変な趣味だと思われたときは「いやー妹の趣味なんだよー」と逃げることも出来るし。あれ、意外といいかも?

「じゃあ、またな」

隼世が分かれ道で手を振る。

「じゃあな」

俺も手を振る。去っていく隼世の背中を見ながら隣を歩く朝子ちゃんを想像してみる。とてもいい光景だと思う。

隼世の家族はうまくいっていないらしい。

詳しいことは俺も知らない。家族で会話をすることも無いとぼそりと零すように言っていたことがある。ただ、朝子ちゃんの居るところの先に住んでいる祖母がとてもよくしてくれるらしい。たまに夕飯を祖母と食べるそうだ。

朝子ちゃんの存在は隼世を癒してくれるような気がする。

山神さまに嫉妬したり、拗ねたような態度をとってみたり、年相応の感情を朝子ちゃんが引き出したのだと思う。

たぬきのき〇たまの歌を歌う陽気な父や、心配性の隼世が俺の殻を溶かしてくれたように。



翌週の月曜日、俺は厳選した少年漫画と朝子ちゃんに新しくお勧めする少女漫画を二冊づつ家にあったお菓子の紙袋に入れ学校へ向かった。

隼世は祖母の家に寄る予定があると言うので、林の入り口で俺たちは別れた。

寂れた道とも言えない道を一人で歩くと、正直死ぬほど怖い。陽がまだ沈んでないとは言え両側に茂った背の高い木のせいで薄暗い。少しの風でざわざわと木々が擦れる音が響くと、何やら恐ろしいものが一緒に出てきやしないかとびくびくしてしまう。

人ではないものが存在することが朝子ちゃんと山神さまで証明されているのだ。恐ろしいものがいないはずがない!

なんとか傾いた鳥居があるところに着くと、朝子ちゃんと山神さまが待っていた。

(今日もいるのか…)

さぞや隼世ががっかりすることだろう。二人と軽く挨拶を交わすと、朝子ちゃんが俺の隣にいるはずの人物を視線で探す。

「隼世は用事があるから、あとで来るって言ってたよ」

「そうですか」

朝子さんは嬉しそうに笑った。

うーん。両思いだと思うんだけどなー。

「咲也。その手に持っているのはもしかして」

山神さまは俺が持っている紙袋を指さす。

「ああ、新しい漫画です。この間貸したの面白かったですか?今度は少年漫画も…」

言いながら差し出そうとした紙袋はすでに山神さまの手の中だった。うそだろ瞬間移動?人が言い終わる前に奪い取るほど楽しみにしていたのか。

紙袋を破りそうな勢いで開けている山神さまを背に、朝子さんが前に貸した漫画を俺に丁寧に差し出した。

「ありがとうございました。とても面白かったです。あなたたちが着ている服は制服というのですね。実は隼世はなぜいつも同じ服を着ているのかと、不思議だったのです。話を聞く限り食べ物に困るほど困窮しているようでもないし、汚れていたり破れていることも無いし。学校が休みの日は違う服を着ていることもあるので、趣味で来ているわけでも無さそうだしと色々考えてしまいました。問うのも失礼かと思いまして聞けずじまいでした。皆同じ服を着て勉強をするのですね。謎が解けて安心しました」

朝子ちゃんは恥ずかしそうに笑う。朝子ちゃん、可愛いな。

「確かに、一年も同じ服着てたらびっくりしますよね」

ずっと隼世の格好が気になってたんだろうな。

制服か。今の着物姿も可愛いけど、セーラー服もに合いそうだ。

「でも、お二人とも清潔感があってとても凛々しく見えます。よい服ですね」

り、り、りりり凛々しいとか!!そんなこと初めて言われたしこの先一生言われない気がする!!どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい!

「咲也、この話だけれども」

「わっ」

何の前ぶりもなくいつの間にか隣に立っていた山神さまは、三分の一ほど読み進めた少年漫画を手に持っていた。ビックリした。

「これは実話なのか」

そんなわけがない。

だが問いかける山神さまは本気の顔だ。

この少年漫画は、悪い妖怪と戦う不思議な力を持った少年の話だ。なるほど確かに、山神さまから見ればフィクションかノンフィクションか悩むところかもしれない。

「実話ではないですよ。虚構の物語です」

「なんと、想像だけの妖怪を描くとは…何者…」

しかし、この細部までこだわった作りはまるで見てきたかのような、などとブツブツ言いながら山神さまはまたマンガに目を落とす。何はともあれすごく気に入ったようでよかった。

「朝子ちゃんも読んでみてくださいね。好みに合うといいんですけど」

「とても楽しみです」

朝子ちゃんがにっこり笑うのと同時に背後から隼世の声が聞こえた。

「あーコンニチワ」

案の定山神さまの姿を見て眉根を寄せ、とんでもなく気の無い挨拶をする。いくら何でもあからさまに嫌がりすぎだ。

その姿を見て山神さまはわざとらしく朝子さんの隣にピタリとくっついて立つ。山神さまが反撃している。隼世はますます不機嫌な顔になった。

くそ、俺はこんなギスギスした空気よりキャッキャした空気を吸いたいのに。

「咲也に借りた漫画が面白くてな。昨日も朝子と盛り上がったところだ。隼世も読んでみたらどうだ?」

山神さまは隼世を見下ろすように視線を下げて、ニヤリと笑った。

隼世が読んでいないのを知っていてからかっている。そして明らかに隼世の気持ちを知っている。まあバレバレだし、普通気がつくよな。

「朝子に内容を聞きますから」

「なんと人頼みか。字が読めぬわけでもないのになんと怠慢な」

隼世の頬がピクリと動く。睨むように山神さまを見る視線も何のその。山神さまは余裕の表情だ。

「咲也」

「ふいっ」

地を這うような声で呼ばれて肩が震える。隼世、そんな声も出たんだね。

「その漫画、今日は俺が借りて帰る」

「いや、無理しなくても」

面白くないと思うものを無理矢理読んでも、何も良いことはない。俺が大好きな胸キュンシーンも隼世にとっては「だからなんだ」としか思えないことだろう。それは好みなのだから仕方ない。

「無理なんかしてない」

「え、ええ?」

そんな歯噛みしながら言われても説得力がない。

山神さまは一体隼世をどうするつもりなんだろうか。このままでは隼世の人格が変わってしまう。朝子ちゃんは山神さまの隣で笑いを堪えている。今回の件で朝子ちゃんの中のクールでかっこいい隼世が壊れてないことを祈る。

「ところで今日は、二人に話があってな」

山神さまは思い出したように俺たちにそういって、読みかけの漫画をパンと閉じた。

「漫画を読みたいところだが、後にしよう」

「どんだけ好きなんだよ」

隼世が呆れたように突っ込む。全く同感だ。だが、山神さまが漫画好き仲間になってくれそうなのは素直に凄く嬉しい。

「まあ二人とも座るがいい」

山神さまは俺たちの隣を指す。そこにはいつの間にか座るのにちょうどいい大きさの丸太が転がっていた。俺と隼世は顔を見合わせる。絶対にさっきまでこんなものは無かった。これが神様のなせる業なのか、と思ったが椅子ではなくただの丸太が現れたあたり、なんというか不思議な力って思ったより雑なのかもしれないと思った。

言われた通り丸太に腰掛けると山神さまと朝子さんは立ったまま何かに腰掛ける様子がない。自分たちだけ座ってるのは何だか居心地が悪いな。

「まあ、長々と話を引き延ばしたところで隼世の受ける衝撃は変わらぬだろうし、何かが解決するわけでもなし、単刀直入に言おう」

山神さまは優しく朝子ちゃんの背中に手を回す。なんだろう。実は嫁だとか言い出したらどうしよう。実は不倫だったなんて笑えない。

「この朝子は、もうすぐ消える。寿命というやつだな」

「…………ん?」

言われていることが理解できなかった。冗談なのか本気なのかもよくわからない。

「消えるって……」

「私たちは人のように肉体だけを残して死ぬわけではない。なので消えるという表現が一番合ってるかと思ってそう表現させてもらった。私としては山に還るだけの事なのだが、朝子がどうしても一人で隼世に伝えることができないからと呼ばれたのだ」

山神さまは悲しそうでも嬉しそうでも無く、それこそ漫画のことを語るのと同じ調子でそう告げた。朝子ちゃんを見るとどういう顔をすればいいのかわからないのだろう、困ったように微笑んだ。

「えっと、寿命とか……そんなのあるの?」

なんだかバカみたいな質問だと思ったが、他に何を言えばいいのかわからなかった。突然突き付けられたそれは現実味を感じない。

「寿命は誰にでもある。人から見れば永遠に存在しているように見えるのだろうが、遥か昔から存在している私たちも生まれた以上寿命というものがあるのだろうと思う。その長さは人のように一定ではなくそれぞれに長い隔たりがある」

山神さまは隼世を見る。隼世は言葉も無くただその場に固まっていた。

「朝子は、あまり長い方ではない。それでも三百年は経っただろうか」

「はい、細かい数字は私も覚えてはいませんが、恐らくそのくらいです」

朝子ちゃん、ものすごい年上だったんだ。今更ちょっと驚く。

まだ固まったまま動かない隼世の頬を朝子ちゃんは優しくなでる。

「黙っていてごめんなさい。一緒に過ごした時間が楽しくて、どうしても言えなかったの。恐らくあとひと月も持たないと思います。それまで一緒に楽しく過ごしてもらえませんか?」

隼世は朝子ちゃんの手を振り切るように踵を返すと一言も無く帰ってしまった。

「隼世!」

慌てて追いかけようとした俺の手を朝子ちゃんが握る。

「朝子ちゃん…」

何か言葉を発しようとして、朝子ちゃんは飲み込んだ。とても苦しそうな表情だった。俺は朝子ちゃんの手を両手で強く握る。

「大丈夫。今日はちょっと…無理かもだけど、絶対連れてくるから!」

朝子ちゃんは迷うような仕草の後頷いた。

会えなくなるのは朝子ちゃんだって辛いんだ。もうすぐ消えてしまうことだって、言おうかどうしようかかなり悩んだはずなんだ。

だから、絶対隼世をここに連れてくる。

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