秘密の狸

第1話

 少女漫画みたいな恋がしたいーーー。


 ずっとそう思ってきた。

 相手を想い、同じくらい想われ、手が触れるだけで心臓が高鳴り手が震えるのに抱き締めれば心は満たされ愛しさが溢れる。

 偶然の中に運命を感じ好きだよと告げずにはいられない。

 そんな恋をしてみたい。

 今日から花の高校二年生。一年生の時は思いを告げる前に好きな子に恋人ができてしまって、ちょっと切ない失恋だった。

 今年こそは、少女漫画のようなキュンキュンする恋がしたい。

 明留 咲也(あけどめさくや)。ピチピチの男の子。

 もう一度言う。

 少女漫画みたいな恋がしたいーーー。


 そう思って幾星霜。未だ運命的な出会いはない。そんなにうまく行くわけがない。焦りは禁物なんだ。なぜなら恋のバイブル少女漫画によれば、出会いとはいつも突然なんだ。

「ねえ、明留くん」

「なに?」

 話しかけてきたのは、たまたまクラスで隣になった女の子。とても気さくでいい子だ。

「栄野(さかえの)君と仲が良いって本当?」

「本当だよ」

 何てことはない振りをして答えたけれど、彼女の言いたいことにピンと来てしまって、少しだけ胸が痛む。

 慣れたけど、慣れない。

 栄野隼世(はやせ)は小学校からの友達で、イケメンだしスタイルいいし面倒見もいいし頭もいい。何でそんないい遺伝子もってるの?と思うこと山の如しだが、本当にいい奴なので嫌いにはなれないのだ。俺がふわふわの女の子だったら、同じように近付きたいと思うだろう。

「あのさ、今度遊びに誘いたいんだけど、空いてる日とかわかんないかなぁ」

 可愛げに彼女は問う。俺はとても困ってしまう。気持ちは分かるが、隼世はあまりこういう誘いは好きではない。けれど、恥ずかしくて直接話しかけるのを戸惑ってしまう女の子の気持ちも分かる。

 でも、安請け合いは良くないと思い、どうやって断ろうか迷っていると、隼世が教室の後ろのドアから俺を呼びに来た。

「帰るぞー」

 眠そうな声で話しかけられる俺を女の子は少し期待を込めた目で見つめる。

「えと、ごめんね。」

 いたたまれず、軽く頭を下げて鞄を持つと隼世の元に走った。もういっそ隼世が彼女を作ればいいのにといつも思う。そうすれば「隼世には彼女がいるからできないんだ」と、堂々と断ることが出来るのに。

「もしかして邪魔した?」

「お前と一緒に出掛けたいんだって」

 ため息混じりにそう言うと、隼世はあーと気の無い返事をする。

 慣れているのだ。俺ももう数えるのを止めたくらい、同じ目にあっている。

「何て返したんだ」

「ごめんねって言って誤魔化した」

 項垂れる俺の肩を隼世は労うようにぽんと叩く。感謝の意がほんのり伝わってきた。

 きっとこういう所もモテる要素なんだろうなと思う。何気ないたった一つの動作で言葉で伝えるより深く気持ちを表す。そんな背中で語る男みたいなこと、俺には到底出来なさそうだ。


「なぁ咲也」

「なに?」

 隼世を見上げると、少し考え込んだような様子で前を見ている。隼世と俺は頭一つ分背の高さが違う。長く見上げてると首がもげそうになるから嫌なのだが、隼世が口を開くのをじっと待つ。

「ちょっと時間ある?」

「あるよ。どっか行く?」

「ちょっと、紹介したい人が」

「しょ?!」

 俺は目玉が飛び出さんばかりに隼世を見た。それってあれだろ?少女漫画的なあれだろ?親友に紹介する的な感じだろ?なぁ、そうだろ?

「お前考えてることが駄々もれてんぞ」

 隼世をガン見している俺の顔を乱暴に突き放す。そんなに漏れてたかな。

「まぁ、お前の想像通りなんだけど」

 隼世は少し頬を染めた。普段クールな分その破壊力はすごい。

 キュンキュンするぅ!!!

「えーお前、お前…!俺に紹介してくれんのまじでええええええええ」

「落ち着け」

「俺、今日何にも持ってないんだけど菓子折りとかいる?!金無いから大したもん買えねぇけど!」

「何でだよ要らねぇよ」

 隼世は早くも俺に言ったことを後悔しているかのような顔をしているが後の祭りだ。聞いたものを聞かなかったことには出来ない。

「なんだよ。いつの間にそんな彼女見つけたんだよ!もっと早く言ってくれれば良かったのに」

「あーそれがまだ彼女じゃないんだ」

「えええあえええええ?!」

「お前いちいち驚きすぎ。声デカい」

 隼世は俺の頭を大きな手で軽く掴む。隼世は背も高いが手もでかい。

「お互い好きだとは思うんだけど、告白しようとすると何かタイミングが合わなくて、だから咲也に協力を頼もうと思って…嫌だったら良いんだけど」

「何言ってんのお前!」

 俺は立ち止まり隼世の前に仁王立ちする。

「協力するに決まってんだろ。何たって隼世の、隼世のこ、こ、恋ばなだろ!」

 恋、なんて言葉恥ずかしくて普段は言えないが今なら言える。何故なら他に当てはまる言葉が無いからだ。

「自分で言って自分で赤くなるなよ。恥ずかしい奴だな」

 やっぱりちょっと恥ずかしい気持ちが顔に出てしまった。

 隼世はそんな俺に声を出して笑った。楽しそうだ。モテるのになんでいつまでも彼女を作らないのかと思ってたら、本命がいたのか。

 早く行こうぜ、と急かして俺はニコニコしながら隼世の後をついていった。


 それから三十分近く歩き、民家も店も無く両側を木に囲まれたなだらかな散歩道に入りそこからまた十分程歩いた所で隼世は立ち止まった。右側の林の中によく見ないと分からない細い道とも言えない道が続いていた。所謂獣道というやつだろうか。

隼世はそこを指さす。

「ここを抜けたらすぐだから」

「え?!この先に居るの?!」

 とても人が住んでいる所へ出るとは思えない。人の居ない所にひっそりと住んでる深窓の令嬢なのだろうか。もしそうならお似合いすぎる。俺の頭のなかには少女漫画に出てくる白いふわふわのワンピースを着たお嬢様の姿が浮かぶ。お嬢様と隼世。むはは、似合いすぎる!

五分くらい歩いたところで隼世が立ち止まった。

「ここで待ち合わせしてるんだ」

「…え」

 そこは家でも公園でもなく、寂れた空間だった。

 まったく手入れのされていない雑草の隙間から所々土が見え隠れしている十畳程の空間がぽっかりとあるだけの、ただの荒れ地だった。木が生えていない分人工的に切り開かれた可能性はあるがそれだけだ。とても女の子と待ち合わせをするような場所ではない。

 見回してみると百五十センチ程の傾いた鳥居を見つけた。鳥居があるという事は元々神社だったのだろうか。

 よくよく見ると鳥居の隣に木造の小さな祠が置いてある。扉は閉められていて中は見えないが長い間手入れされず、放置されていたのが伺える。

 何だか恐怖を覚えた。寂れた祠など怖い話の定番じゃないか。

 こんな所で女の子と待ち合わせを?

 座るところすらないし、今は秋だから良いが夏場だったら蚊に襲われて大変なことになりそうだ。

 俺は嫌な予感がした。これはもしかしたら、少女漫画とはほど遠いアレではないのか。こんな人気のない場所で時間を決めて束の間の逢瀬を楽しむ。そう、不倫だ。

(もしそうだったら…止めよう)

 俺は隼世に分からないように心に誓う。そんな、キュンキュンできない恋は応援できない。隼世のためにも止めるんだ!

 でも待てよ。隼世の事だ。旦那の暴力に苦しんでいる人妻を放っておけずに話を聞く内に、何てこともあるかもしれない。ありそう。

「お前また何かアホなことぐるぐる考えてんだろ」

 隼世が俺の頭を小突く。

「アホなことかどうかは、後で判る」

 隼世は小さく溜め息をついた。恐らく呆れているが、俺は自分の勘を信じる。よくないよ。応援したいけどその恋はダメだ!

「あ、来た」

「え!どこ?!」

 俺は隼世の視線を追う。小さな祠の側から彼女は現れた。

 七分袖の若草色のワンピースをふわりと着こなしている、同い年くらいの女の子だ。くりっとした目に薄めの唇がとても可愛らしい。これは人妻には見えない。俺の勘は外れたようだ。口に出さなくて良かったと心底安堵した。

それにしても彼女は一体何処から現れたのだろうか。祠の周りに道はない。俺達が歩いてきた道は背中側にある。

「こんにちは」

 疑問に思っていると彼女はにこやかに話し掛けてきた。鈴のなるような可愛らしい声だ。疑問はどうでもよくなった。

 隼世は俺の隣に立つと俺の頭の上にポンと手を乗せた。

「明留 咲也だ。俺の友達」

「こ、こ、こんにちは!」

 上ずった声で挨拶をすると、彼女はにっこりと笑った。俺は今まで生きてきて、こんなに自然に、にっこりと女の子に笑いかけてもらったことはない。

 俺は確信する。いい子だと。

 決して単純だからそう思ったのではない。

「彼女は朝子(あさこ)。知り合って一年になる」

「そんなに?!」

 おれは目を剥いて驚いた。一年と言えば高校に入ってすぐだ。一番近くに居たはずなのに女の子の影なんて微塵も感じなかった。

 自分の鈍さと、一年も隠されていたショックに落ち込んでしまいそうになるが、なんとか平静を装う。せっかく紹介してくれたのに今この場の雰囲気を悪くしたくない。

「隼世とは小学校からの付き合いだと聞いています」

「はい、そうです」

「とても良いお友だちだと聞いて、会えるのを楽しみにしていました」

 朝子さんは楽しそうに笑った。お世辞ではなく本当に俺に会うのを楽しみにしてくれていたのだろうなと思う。

「とても仲が良いと伺ってます」

「はい!仲良くさせてもらってます」

 にっこりと笑顔で話しかけられ、緊張した俺は両手と背筋をピシッと伸ばし、気をつけの姿勢をとってバイトの面接のような答え方をしてしまった。

「させてもらってるってお前…なんの挨拶だよ」

「あ、いや緊張して」

「私も緊張しています」

 朝子さんは少し照れたように言って頬を赤らめた。とても可愛らしい仕草に俺は更に緊張する。

 朝子さんが隼世の彼女になれば良いのにと、素直にそう思った。きっと彼女となら俺も友達としてうまくやっていけそうな気がする。

「実はお前に秘密を打ち明けようと思ってるんだけど」

 隼世は唐突にそう言った。

「秘密?」

 まさに今隼世が秘密にしてた隼世の好きな人を紹介されたわけだが、これ以外でってことなのか?もしかしてこれは、不倫来るか?

「長い付き合いのお前なら、受け入れてくれると思って。咲也、少女漫画好きだし」

「おまっ初対面の女の子の前でバラすなよ!」

 少女漫画は大好きだがドン引きされたらどうしてくれる。隼世の秘密をばらす話なのに、なんで俺の秘密をばらしてるのか。もしかして俺が朝子さんを好きにならないように牽制のつもりか。

「実は彼女、狸なんだ」

 たーんたーんたーぬきーの〇んーたーまはー。という歌を父がよく歌っていたのを思い出した。その度に母が下品な歌を歌うのをやめろと怒っていたが、何故なのか父はその歌をたいそう気に入っていて機嫌が良くなると母が居ないのを確認して口ずさんでいた。一体何が父の心を掴んで離さないのか。我が父ながら理解できん、と歌を聞くたびに思う。

「咲也。帰ってこい」

「あいたたたたたた」

 隼世は容赦なく俺の頭を掴み指先でごりごりと強めに揉む。飛んでいた思考を無理矢理現実に戻される。

「聞こえたろ。秘密だからな」

「いやお前何言ってんの?女の子に向かって狸に似てるとか言う?いや狸可愛いけど、どっちかって言うと癒し系の顔してるけどさ」

「聞き間違えてんのか。狸に似てるんじゃなくて、彼女自体が狸なんだ」

「だから失礼だろ」

 そんな失礼なことを堂々と言うやつだとは知らなかった。顔と頭と面倒見が良いからって調子にのってんのか。こうやって人間には欠点ができていくのだろうか。

「朝子さん、気にしないでくださいね。こいつちょっと調子にのって」

 朝子さんの方を向くと彼女は焦ったような顔で俺と隼世を見ていた。恐らく焦ったような顔だと思う。はっきりとは分からない。何故なら彼女の顔は狸だったからだ。

 似てるとか雰囲気とかではなく、狸だ。同じくらいの身長の狸が若草色のワンピースを着て立っている。俺は思わず股間に目が行きそうになり慌てて視線を顔に戻す。いやいや彼女に〇〇たまは無い。父の歌のせいでとんでもない視線の動きをするところだった。

「そこの古い社に住んでる狸の、まぁ分かりやすく言えば神様みたいな」

「もともと妖怪なので、人の姿になること以外なんの力も無いんですけど」

 言いながら彼女の外見は最初の可愛らしい人間の姿に変わった。

「あ、あー…夢か」

「現実だ」

「あいたたたたたた」

 再度、隼世は俺の頭を掴み指先でごりごりと強めに揉む。

「狸だってこと以外は普通の女の子と変わらない。日本語だって通じるし」

「そりゃ日本語は通じるだろうけど…」

 どう見ても日本の狸だったし。

 俺は改めて朝子さんを見る。いたって普通のかわいい女の子にしか見えない。

 朝子さんは気まずそうに俺を見る。どうしていいのか解らないのは彼女も同じなんだ。俺は自分の頬を両手で挟むように叩く。

 痛い。

 本当に夢じゃない。

「咲也です。改めてよろしくです」

 俺は勢いよく頭を下げた。狸だろうがなんだろうが隼世が好きな女の子にかわりはない。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 朝子さんは少し頬を赤らめてほっとしたように笑った。とても可愛らしい笑顔だった。



「この道の先にばあちゃんちがあるんだけどさ」

 林を抜けて舗装もされてない散歩道に出ると、隼世は来た道と反対側を指す。

「ちょうどここで足を滑らせて見事に転んで、頭を打ったらしくて気を失ったんだ」

「お前が?!何にもないところで転んだのか」

「笑うな」

 隼世が不機嫌な声で顔を背ける。どうやら恥ずかしいようだ。普段弱味を感じさせない隼世が何もない道でこける姿を考えると、何だか笑えてしまう。

 思いがけない弱点を見つけてしまった気分だ。

「目が覚めたらばあちゃん家に居て、話を聞いたら着物姿の女の子が運んできてくれたって聞かされて、そんなの気になるだろ?女の子が大の男をお姫様だっこで連れてきたって言うんだぞ」

「あはははは!隼世がお姫様だっこ!」

 想像するだけで楽しすぎる光景だ。隼世にギラリと睨まれて俺は口を噤んだ。

「その後、色々探したんだけど、ばぁちゃん家の近くには若い子は住んでないし、着物姿の女の子なんて誰も見たことがないって言うし」

 隼世は立ち止まったまま話を続ける。

 ある日、自分が倒れてただろう場所で立ち止まって考えてみた。ここから高校生の男をお姫様だっこでばあちゃん家に運ぶことなんて本当に可能なんだろうか。どんなに急いでも歩いて十分はかかる。普通の女の子には到底出来ることではない。例え持ち上げることまではできても、途中で腕が持たなくなって落とされ腰を強打することになるだろう。催眠術にでもかけられたか宇宙人の仕業か、頭を抱えて悩んでいるとふと視界に草履を履いた足が見えた。

 えっ、と思い顔をあげるとそこには青い無地の着物を着て肩までの黒髪を無造作に結んだ女の子が、驚いた顔で立っていた。

「それで、もしかして俺を運んでくれた人ですかって聞いたら、そうですって頷くから証拠にもう一度俺を抱えてくれって頼んだらさ、もう空気の様にひょいって」

 隼世はその時を思い出すように腕をお姫様だっこの形にする。

「あんな華奢な子が…?」

 俄には信じがたい。米を持つのも一苦労しそうなのに。

「さすがにパニクったわ。抱えられたまま何か幻覚見るようなヤバイもの食ったかなってその日の食事を必死に思い出した」

 俺はまた声を出して笑った。出会いがギャグだ。女の子にお姫様だっこされたまま首をかしげる様はさぞや面白い光景だった事だろう。

「それからまぁ、ばぁちゃんの家に行く途中に、たまに会うようになって話をして、彼女は自分が人間じゃないことを特に隠しもしなかったし」

「そんな素直なところを好きになったのか?」

 俺はからかってやろうと思った。でも隼世は素直に笑った。

「そうだな。そういう所、好きだな」

 あまりに屈託無く笑うから俺の方が照れてしまった。

「なに自分で聞いて赤くなってんだよ!」

 オレの頭をくしゃくしゃと撫でながら隼世は笑う。ああくそ。もう、相手が狸でも応援するしかない。

 寿命が違うんじゃとか、戸籍絶対無いぞとか、一般常識どこまで持ってんだとか、不安なことはいっぱいあるが、そんな事は隼世だつて考えただろう。

 考えた上で彼女と付き合いたいと思ってるんだ。なら親友として協力するしか無いだろ。

 協力と言っても恋愛初心者の俺にできることなんて隼世の不安な気持ちや悩みごとを聞いてあげることしかできないかもしれないが、何があっても隼世の味方で居ることはできる。

 微力でも二人の役に立ちたいと心から思った。


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