第4話 サムソンの最期

 光と栄一をリビングに通し、果穂は紅茶と菓子を出した。焼きたてのココアパウンドケーキ。一口いただいて栄一は目を丸くした。重めの甘い生地に胡桃の香ばしさがとてもいいアクセントになっている。

「美味しい」

 気づけばそう呟いていた。お世辞抜きで。

「手作りでこの高品質、さすがは智美さんのご息女ですね」

 若干わかりにくいが光も褒めていた。智美は製菓衛生師の資格を持っていて、イースターやクリスマスなど事あるごとにお菓子を作っては持ってきてくれている。が、それも転会してしまえばあやかれなくなるのだ。栄一は残念に思った。

「別にこんなの、材料混ぜて焼いただけだし」

「ご謙遜を。味は言うまでもありませんが、食感もいいですね。生地の胡桃も均一に混ざっています。素人ですと、どうしても重みのある胡桃は底の方に落ちてしまうというのに」

「大げさ。そんなに気に入ったんならあげるよ」

 素直に喜んだりはしないが、紅茶のお代わりとパウンドケーキの追加をすすめるあたり、果穂もまんざらでもないようだ。

 殺人(未遂)犯と被害者が紅茶と菓子を片手に談笑している。事情さえ知らなければ、実に和やかな光景だった。

「それでご用件はなんでしょう」

 二杯目の紅茶を飲み干したところで、ようやく光は切り出した。まさか優雅にアフターヌーンティーを楽しむために招き入れたとは思わない。

 果穂はうつむいた。物言いたげな視線を栄一へと向ける。第一印象こそ最悪だが光は同性で歳もさほど離れていない。果穂は光を信頼しているようだ。

「外した方がよろしければ僕は先に帰ってますよ」

「いいえ、それには及びません」

 光は居住まいをただした。

「紹介が遅れましたが、こちらは私の弟で佐久間栄一と申します。結婚式当日に婚約破棄と相成り、現在独身で無職。金のことになると目の色が変わりますが、それ以外は特に問題のない凡庸な男です」

「問題ありまくりでしょう。なんですかその悪意しかない紹介は」

「客観的に見た事実です」

「明らかに姉さんの主観ですよね。特に最後の方!」

 光は悪びれる様子もない。果穂に至っては不審者を見るかのような眼差しを注いでくる。

「人間性はておき、秘密は墓場まで持っていく男です。信頼には足るかと。万が一の時には姉の私が責任をもって口封じをいたします」

 そこまで言ってようやく果穂は信頼してくれた。釈然としないものを覚えつつも、栄一は聞き役に徹することにした。また光が暴走するようだったら身を呈して止めればいい。

「あの……母がクリスチャンをやめるのって」

「智美さんは転会されるだけで、クリスチャンをやめるわけではありませんよ」

 光が訂正すると、果穂はきょとんとした。

「え、でも、教会を離れる。もう戻ってこないって」

「浦和仲町教会を離れるだけです。引っ越し先は南浦和と伺っております。あそこには武蔵浦和教会があるので」

 あとは言わずもがなだ。通いやすく、教会員子弟を殺そうとするヤバい牧師のいない教会の方がいいに決まっている。

「あ……そうなんだ。私、てっきり破門になったのかと」

 中世のヨーロッパじゃあるまいし破門など滅多にない。栄一はおろか現役牧師の光ですらそうだ。そもそも破門するほど信徒がいない。

「お母様想いですね」

 果穂はふてくされたように呟いた。

「別に。私のせいにされたらたまんないだけ」

「急な転居の理由も、でしょうか」

 光は淡々と語った。凍りついた果穂にはまるで頓着しない。

「あくまでも名目はお父様の転勤となっていますが、浦和から南浦和に移ったところで交通の便は大して変わりません。それに果穂さんが転校なさるのも解せません。たしか都内のミッション系私立高校でしたよね? 関東圏を離れるわけでもないのに二年次での転校はいささか不自然です」

 栄一は言葉もなかった。

 まったくもって光の言う通りだ。牧師に不満があるのなら教会を変えればいい。職場が遠くなるのなら転居すればいい。しかし果穂が転校をする理由にはならない。

「多少差し支えがあってもお話を伺いたく存じます」

「……なんで」

 果穂はうろたえた。その動揺が栄一には理解できた。

 何故気づいた。何故訪ねてきた。何故関わろうとする。何故、何故ーー見て見ぬふりをしないのか。

 おせっかいの域を超えて踏み込んでくる光に、ある種の脅威を感じるのだ。

 栄一が結婚する時も光は、土足でずかずかと踏み込み、かき回した。結果、破局した。しかし途方にくれた栄一に手を差し伸べたのも、光だった。

 どうしてそこまで、やっかいだと知りながら他人に関わろうとするのか。今でも栄一は明確な答えを見つけられていない。ただ、そういう生き物だとしか言いようがなかった。

 光はまっすぐに、危うすぎるほど真摯に果穂を見つめた。

「初めてお会いした時に申し上げたはずです。私はあなたを救うためならば殺人も辞さない覚悟だと」

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