第3話 サムソンの最期

 浦和仲町教会は単立の教会だ。日本基督教会や日本キリスト教団などの団体に所属していないので、比較的自由に伝道活動ができる反面、財政含む教会の運営には責任を持たなくてはならない。

 とはいえ、浦和仲町教会に限っていえば、浦和駅から徒歩五分という好立地のため、主日礼拝の出席者数は毎回五十人を下らない。市内にミッション系スクールが複数あるので子ども向けの日曜学校礼拝も毎週参加者がいる。

 高齢化に伴う信者の減少は如何ともしがたいが、今日明日で立ちいかなくなるほど切羽詰まってもいないーーはずだった。少なくとも佐久間光が牧師として招聘される前までは。

「会計担当として言わせてもらいますが、姉さんの牧会は教会財政を揺るがしかねません。すみやかな改善を要求します」

 競歩並のスピードで歩く光についていきながら、栄一は苦言を呈した。二人して人混みをすり抜けて、駅前のマンションに向かう。

「拒否します」

「僕は真面目に言っているんですよ。姉さんは浦和仲町教会の財政を把握していますか?」

 電卓など必要はない。単純な計算だ。

「仮に一人あたり千円、礼拝献金をしているとしましょう」

「年金暮らしの方が毎週千円の献金をするのはかなり無理があります。現実的な額にしなさい」

「では五百円で。十二人の方が当教会を離れましたから、一回の礼拝につき六千円の収入減です。礼拝は年に五十二回、つまり一年で三十一万二千円分、献金収入が減っている計算になります」

 マンション前で、光は足を止めた。我が道を突き進む牧師であろうとも三十万円ともなれば聞き捨てにはならないだろう。何しろ一ヶ月分の牧師謝儀、つまり牧師にとっての月給以上の額だ。

「何ですって……?」

「少なく見積もっても、ですからね。イースターやクリスマスの感謝献金、特別献金を入れたら相当な額になりますよ」

 何やら衝撃を受けた光は、呆然と立ちすくんだ。

「事の深刻さをご理解いただけましたか?」

「え、ええ、大変……ゆゆしき問題です」

 いい薬だ。これに懲りて少しは自重してくれるといい。

「まさか……いいえ、そんな馬鹿なことが」

 いや少しショックが強過ぎたか。栄一が心配になるくらい大げさに光は驚いていた。鞄を握りしめた手は震え、よろめいた足は数歩たたらを踏む。

 やがて光は驚愕と侮蔑に満ちた目で栄一を見た。

「あなたが、神の救いを求めて教会に訪れる方々を、金づるとしか考えていないなんて……っ!」

「人聞きの悪いことを言わないでください!」

 抗議もむなしく、光は人差し指を突きつけてきた。

「我が耳を疑います。私の弟としても、教会の運営を担う役員としても許しがたい性根です。恥を知りなさい」

 栄一に弁明の余地すら与えずに、光は高層マンションに突撃した。

 一ヶ月前に訪れたばかりのマンション。管理人に挨拶してエントランスへ。三〇九号室のインターホンを鳴らして解錠してさらにその奥へと向かう。

「今日は紹介状を届けるだけですからね」

 丹波家への訪問はこれで二回目。一回目のことはもう思い出したくない。刃傷沙汰は絶対起こすなと栄一は念を押す。光は不快そうに眉をひそめた。

「何を当たり前なことを言っているのですか。たかだか紹介状を一通したためて届ける程度で、金銭を要求などしません。あなたと一緒にしないでください」

「人を金の亡者みたいに言わないでいただけませんかね。そうじゃなくて! 誰かを刃物で刺そうとしたり、屁理屈をこねくりまわして殺人宣言したりするなと言っているんです」

「また馬鹿なことを。そんな変態がいるわけないでしょう」

 あいにくそんな変態は存在する。おまけに本人に自覚がない。もはや個人の努力でどうにかできるレベルではなかった。

「……胸に手を当てて一ヶ月前の自分の行動を思い起こしてください」

 栄一は鈍痛のする頭を抑えて呻いた。しかし願いもむなしく、光は丹波宅前にまで平然とたどり着いてしまった。玄関前のインターホンを押す。

「浦和仲町教会の佐久間です。紹介状をお届けにまいりました」

 エントランスの時と同様にしばらくの後、解錠音が鳴った。扉が開かれるなり、栄一は深々と頭を下げた。

「先日は姉がとんだご無れ、い……を?」

 栄一は思わず顔を上げた。扉から現れた人物をまじまじと見て、息を呑む。

「果穂さん……」

 今日はジャージ姿ではないものの、玄関で出迎えたのは先日光に殺されそうになった丹波果穂だった。怯える様子はなく、光をまっすぐに見つめていた。

「智美さんはご在宅でしょうか」

「いえ、母は仕事で」

 夫婦共働きとは初耳だった。不在の際は集合ポストに入れておけばいいと考えていたのだが、まさか平日の昼間に果穂がいるとは思わなかった。

(あ……不登校でしたっけ)

 どうも自殺騒ぎの印象が強烈過ぎて忘れていたが、そもそも果穂が一週間も部屋に引きこもっていたことから端を発した事件だった。相変わらず自宅警備員を続けているようだ。

 それにしても、だ。情緒不安定かと思いきや、意外にも果穂は落ち着いている。おまけによくよく見ると彼女は可愛らしい女子高生だった。少し目がきつめだが、活発な印象を受けるーー世を儚んで自殺するようには見えないのだ。

「すみませんが、こちらを智美さんにお渡しいただけないでしょうか」

 果穂は小さく頷き、封筒を受け取った。任務完了。あとは光が余計なことをしでかす前に、すみやかに撤退することだけ。

「では、我々はこれで。ご機嫌よう」

「あのっ」

 そそくさと退散しようとした背中に声がかかる。光と栄一が振り向くと、果穂は緊張してた面持ちで訊ねた。

「もしお時間があればですが……お茶でもいかがですか」

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