第2話 サムソンの最期
「転会されるそうです」
陽光が差し込む窓を背にして、浦和仲町教会の長老・高村正義は告げた。
先日還暦を迎えたという正義は趣味が筋トレというだけあって、小柄だが引き締まった身体をしている。白髪をオールバックにし、銀縁の眼鏡を掛けた様はどこぞの大学教授のようだった。
「ご主人の転勤で引越しをするので、より通いやすい教会に、とのことでした」
「果穂さんもでしょうか?」
「もちろんです。一人娘を置いて引っ越しはなさらないでしょう。ご家族揃って南浦和の方へ転居されます。果穂さんは公立の高校に転校するそうです」
浦和仲町教会の二階にある会議室は二十人以上が一堂に会せるほどの広さがあった。中央付近の長机を前に、光と栄一は生徒よろしく並んで座っていた。
「来月の会議で転出願を承認します。佐久間牧師には武蔵浦和教会への紹介状をしたためていただきたい」
「かしこまりました」
教派が違うとはいえ、同じプロテスタント系のキリスト教教会。紹介状も形式的なものなので作成するのにも特に手間はかからない。光はあっさりと承諾した。それから「ですが」と付け足した。
「いささか解せません。私がこの浦和仲町教会に招聘されてかれこれ二年。把握しているだけでも十二名の方がこの教会を離れ、その大半は武蔵浦和教会に転会されています。そして今回も、転会先はまたしても武蔵浦和教会というではありませんか。武蔵浦和教会は一体どんな手を使って我が教会の会員を」
「誰がどう考えても先日の一件が原因でしょう!」
栄一は安物のスチール机を拳で叩いた。
光の非常識な『説得』のおかげで自殺こそ免れたものの、果穂の受けた精神的ショックは大きい。キリスト教に対する心象も地に落ちたと言っても過言ではないだろう。
「ただでさえクリスチャン人口は年々減少の一途をたどっているというのに、牧師がそれに拍車を掛けてどうするんですか。この前に至ってはあやうく警察沙汰になるところだったんですよ!?」
「まるで私が信徒を減らしているように聞こえますが、その認識は正しくありません。当教会を離れた方は皆、転会先の教会で信仰生活を続けていらっしゃいます」
「な、ん、で、当教会を離れているのか考えてください!」
「栄一くん、落ち着いて」
正義になだめられ、栄一は肩で大きく息をした。
「佐久間牧師も、もう少し常識的といいますか穏やかな方法で解決していただきませんと」
「お言葉ですが高村長老、私はあの時の判断が間違っていたとは思いません」
清々しいまでにきっぱりと光は言ってのけた。
「彼女は冷静さを失い、短絡的に死を選ぼうとしていました。多少強引な手を使ってでも阻止すべきことです」
「一週間近くずっと悩んだ末の結論でしょう? 一概に短絡的とは言えませんよ。彼女なりに真剣に考えて自殺しようとしたわけですから」
「真剣に自分の人生と向き合い、本当に死を覚悟した人間が、よれよれのパジャマ姿で最期を迎えたいと思うでしょうか。正装せよとは言いませんが、他人に見られても恥ずかしくない程度の装いはするはずです」
突如として的を射た指摘が飛び出し、栄一は反論の言葉を失った。たしかに光の言う通りだ。ジャージ姿で首吊りなんてみっともないにもほどがある。
「士師のサムソン然り、イスラエル最初の王サウル然り、イスカリオテのユダ然り、聖書に限らず古今東西、悩みに悩んだ末に自害の道を選んだ方は大勢いらっしゃいます。しかし自殺は自殺、罪は罪です。たとえ何万人が熟慮の上で自ら命を絶とうとも、断じて許すわけにはまいりません」
なるほど。そういうことならば、光のあの暴挙も頷け――るはずがなかった。
「だからって、どこの世界に教会員子弟を殺そうとする牧師がいるんですか!」
光は胸を張った。完全に居直ったポーズだった。
「あなたの目の前におります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます