calling you

小木 一了

calling you

「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 そこまで聞いて、少年は電話を切った。


「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 初めのうちはメッセージを残していたが、あれから1ヶ月が経ったあたりで、それもしなくなった。


「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 このメッセージを頭の中でありありと再生できるほど、少年はこのメッセージを聞いている。


「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお話しください」


 就寝前、ベッドの中で電話を数度かけ、このメッセージを同じ回数聞いてから眠りにつくのが、この頃の少年の日課となっていた。


「まだ起きているの?」

 控えめなノック音の後、部屋の入り口から母親が声をかけた。

「もう寝るよ、ママ」

 少年はそう言って布団を頭から被ったが、母親が立ち去る足音はしなかった。母親は少年のベッドに歩み寄って腰かけると、その手を布団の膨らみの上へそっと置いた。

「アリシアに電話していたの?」

 母親が優しく話しかけると、布団の下から小さくくぐもった声で、「……そうだよ」と少年が答えた。

「もう、諦めた方が良いって、思ってる?」

「思っていないわ」

「でも、クラスメイトは皆、もう無理だろうって話してるんだ」

「そんなことない」

「あれから毎日、アリシアのママのところに行ってたんだ。アリシアはまだ帰ってませんか、って聞くために。その度に、まだなの、来てくれてありがとう、きっともうすぐ帰ってくるわ、って、笑うんだ。でも、今日、」

 布団の下から鼻を啜る音がした。

「……お願い、もう来ないで、って、言われたんだ。あなたを見るたびにアリシアを思い出すのが辛いから、って。僕、そうですか、ごめんなさい、って、帰ってきて、でも、それって、」

 そこで少年はしゃくり上げて、言った。

「でも、それって、もう、諦める、って、ことでしょ」

 少年の泣き声はいよいよ大きくなって、布団を被っていようともはっきり聞こえるほどになった。

 少しの間泣くと、少年は被っていた布団を少しだけ下ろし、母親を見た。

「僕、アリシアを愛していたんだ。本当に。でも、警察の人は言うんだ。君はまだ15だろう、これからまだまだ素敵な人と出会えるさ、って」

「ねえ、よく聞いて」

 母親は少年の涙を、優しく親指で拭って言った。

「あなたが諦められないなら、諦めなくてもいい。でも、これだけは覚えていて」

 母親は少年の瞳を真っ直ぐ見て告げる。

「あなたがアリシアを想うのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、私はあなたを愛しているわ」

 少年は母親を見つめて、小さく頷いた。そして、「おやすみ、ママ」と告げた。母親は「おやすみなさい、愛しい子」と返し、少年の額にキスをした。


 ベッドに再び横になり、母親が部屋を出てドアを閉めるのを見ると、少年は目を閉じた。久しぶりに悪い夢を見ないで済みそうだと考えた。



#####



 アリシアはとても美しかった。性格は明るく快活で、チアリーディング部に所属していた。まるで昔のドラマのヒロインだ、と初めて会ったときに少年は考えた。

 そんなアリシアだから、バスケ部やアメフト部のエース達が、こぞってアリシアをデートに誘った。そうだろうな、と勇気を出せずにいた少年は考えた。

 だがアリシアが仲良くなったのは、彼女とは対極のような少年だった。話してみると趣味や考え方があうことが分かった。彼女は少年の優しく穏やかな性格と、笑うと細くなる目が好きになり、少年は彼女の実は少し大雑把な性格と、チラリと八重歯が見える笑顔に夢中になった。彼女たちがお互いを想い合うようになるのに、そう時間はかからなかった。


 数年後に、それは起こった。ある日、学校をほとんど休んだことがないアリシアが、学校に姿を現さなかった。少年は昨晩彼女に送ったメッセージに返事がなかったことを気にしていて、風邪だろうかと考えた。

 昼休みに少年は教師に呼び出され、尋ねられた。

 アリシアの行方を知らないか。

 アリシアが昨日の夕方から家に帰っておらず、警察に捜索願いも出されたという。アリシアの両親が学校に事情を説明し、アリシアと少年の仲が良いことを知っていた教師は、少年に尋ねた。少年は頭の中が真っ白になった。


 すぐに小さな町は騒然となった。警察によって、小さな町で大規模な捜索が行われた。それでもアリシアは見つからなかった。小さな町で片っ端から聞き込みが行われた。それでもアリシアは見つからなかった。小さな町の全ての防犯カメラが確認された。それでもアリシアは見つからなかった。


 そのうち、あるものが見つかった。警察はアリシアの家族以外には、それを伝えなかった。それなのに、どこから話が漏れたのか、小さな町中にその噂は広まり、やがてそれは少年の耳にも入った。

 見つかったものとは、アリシアがいなくなった日に着ていた洋服の一部と、アリシアが誰かに、口にするのも憚られるような酷い目に合わされたという、痕跡だった。



#####



 アリシアがいなくなってから、少年は毎日電話をかけている。アリシアの携帯電話は見つかっていなかったし、彼に出来るのはこれくらいだった。少年は、もう一度彼女の声を聞きたいと願った。少年は、彼女の少し掠れたような声が大好きだった。


 しかし、少年は知っていた。少年が毎日電話をかけていることに、母が気づいていること。母が時々、夜にこっそりと泣いていること。母がどれだけ自分を心配しているか。そして、いつかは諦めなくてはいけないこと。


 だから少年は、今夜で最後にしようと考えた。いつものようにアリシアに電話をかけて、お別れのメッセージを残そうと考えた。そして、明日からは、母を悲しませないように生きようと考えた。


 泣きながら、いつものようにアリシアへ電話をかけた。呼び出し音が何度も鳴って、いつものお決まりのメッセージが流れる、と思ったその瞬間、電話から声がした。

『……………………もし…し…』

 少年は呼吸を止めた。懐かしいけれど、よく知っている、少し掠れたような声だった。もう一度聞くことを切望した声だった。

 数度浅い呼吸をしてから、少年は恐る恐る返した。

「……アリシア?」

『………………うん…』

 少年は涙を流して喜んだ。

「アリシア……本当に君なんだね? 生きていたんだね。良かった、本当に良かった……」

 少年は鼻を啜りながら言う。

「皆、とても心配していたんだよ。君のママも、もちろん、僕も。ああアリシア。また、君の声が聞けるなんて……」

『………私も…ま……なたの声……けて…嬉し……』

 アリシアの声は、少しノイズがかって聞こえた。

「アリシア、今すぐ君のところに行くよ。今、どこにいるか分かる?」

『……こ……どこ……分からな……ど、大丈夫……』


「私からそっちに行くわ」

 ノイズのかかっていないアリシアの声がすぐ後ろから聞こえたので、少年は振り返った。



#####



 少年の寝室から、何か重いものを床に落としたような音がしたので、母親は寝室へと赴いた。

 ノックをしてからドアを開けたが、そこにいるはずの少年はいなかった。

 心配した母親は、ポケットから携帯電話を取り出し、少年の番号を押し、耳に当てる。


「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」

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