第10話 街

ヴィレジの村を後にした俺は、屋敷から拝借した地図を片手に街道を歩いていた。それによると、ここから徒歩で北に五日ほど歩いた場所に小さな街があるらしい。もっとも、この地図が書かれた時期が暖かい季節だったなら、今の時期実際に歩くと更に数日かかるだろう。一応保存食の類も持ってきているので、一週間や二週間は野宿で過ごすのも問題ない。




歩きながらではあるが、新しく手に入れたスキルの確認をする事にした。目をつむって認識できる新たなスキルは『幻術:弱』となっていて、文字通り簡単な幻術で対象者を混乱させるスキルのようだ。使い方は何となく理解できる。魅了を使う時と同じ要領で対象を視界に収め、俺にしか見えない意識の触手を伸ばす。成功すれば相手の視界には様々な幻が現れて混乱に陥るはずだ。




試しに木の枝に止まっていた名前も知らない鳥に向かってスキルを使ってみると、イノシシの時と違ってあっさり成功した。鳥は突然バタバタと羽ばたいたかと思ったら地面に落下して、まるで空を飛んでいるつもりのように羽ばたき続けていた。成功率や使い勝手から考えて、これは魅了よりも使えるスキルのように思える。道中出会った動物のほとんどが幻術にかかっていた事から考えて、知性の高さ云々は関係なさそうだった。




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ヴィレジの村を後にしてから一週間程が経ち、俺は目的地である街の近くの街道を歩き続けていた。冬の野宿は辛かったが、何枚も着こんだ防寒具のおかげで何とか耐えきる事ができ、凍死だけは免れていた。その代りと言っては何だが、スキルの有効活用で食事は保存食では無く、新鮮な肉を入手する機会に恵まれていた。街に着いたら余った肉を売るのも良いかも知れない。




ヴィレジやヴィレジの客からの追手が来るかもと当初は警戒していたのだが、幸いそれらは影も形も現さないでいる。簡単に操られたり、大事なスキルを奪われたりした手前、大っぴらに追手を差し向けるなど面子に関わるのだろう。俺からすれば愚かな意地だと思うが、奴等にとっては重大事なのかも知れない。




それから更に二日が経過した頃、ようやく目的地である街に辿り着けた。そこそこの大きさの門の前には一人の門番が立ち、出入りする人間を特に調べもせずにボーッと突っ立っている。俺のような立場の魔族からすれば、あの門番のようにやる気のない奴は非常に助かる。他に出入りする魔族達と同じように、特に視線を向けるでもなく門番の横を通り過ぎる。ひょっとしたら呼び止められるかもと内心ビクビクしていたのだが、それもなく、何事も無く街中に入る事が出来た。




初めて訪れた街は俺の住んでいた村など比較にならない程人で溢れ、冬だと言うのに商魂逞しい商人達が通りに露店を並べている。何の用途で使うのか解らない道具から初めて見る食物まで、その種類は様々だ。とりあえず宿を取るべく通りをきょろきょろと歩いていると、いくつかある角の先にベッドの絵が描かれた看板をぶら下げる店が目に入った。あれが宿屋で間違いなさそうだ。




店の扉を開け中に入ると、正面のカウンターで暇そうにしている中年の女が帳簿を眺めていた。一階の食堂には客が入っていないように見えるし、あまり繁盛していないのだろう。ここなら俺みたいなハーフでも問題なく泊まれるかも知れない。若干緊張しながら女に近づくと、そこで初めて俺の存在に気がついたのか、胡散臭げにこっちを観察し始めた。




「部屋を取りたい。とりあえず一週間程。いくらだ?」




何か言われる前に機先を制して自分の方から声をかけると、女は一瞬だけ考え込むとすぐに料金を提示して来た。




「素泊まりで一泊銅貨5枚。食事付きで7枚だ。前払いで頼むよ」




大方ハーフを泊める事に抵抗があったのだろうが、自らの宿が置かれている経済状況と天秤にかけた結果、どうやらプライドより金を優先させたらしい。食事付きで泊まる事にした俺は、銅貨の代わりに銀貨を5枚を女に支払う。釣銭を渡そうとして来るのを手で制し、この街で奴隷を扱っている場所が無いかを尋ねると、面倒くさそうにカウンターから紙を取り出し地図を書いてくれた。不愛想に部屋の鍵を渡してくる女に礼を言い、二階の部屋に入るとベッドの上に倒れ込む。ここ数日の野宿は精神的にも肉体的にも辛いものがあった。




奴隷…犯罪を犯したり借金を背負ったりと理由は様々だが、金で身柄を取引される者達の事をそう呼ぶ。魔族領での奴隷は捕らえてきた人族や獣族のみならず、同胞である魔族すらも含まれていた。なぜ俺がそんな連中の事を気にするのかと言えば、奴隷達の中にはたまに高額で取引される者達が居るのが理由で、そんな奴等は大抵がスキルなどの特殊能力を持っている場合が多いため、そこを狙えば苦労せずにスキル持ちと接触できると言う訳だ。




「まあなんにせよ、明日だな」




俺は食事を摂る事も忘れて、そのまま眠りに落ちた。




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翌日、すっかり疲労が回復した俺は宿の一階で朝飯を摂り、そのまま街に繰り出して地図に示された奴隷市場を目指す。そこそこ大きな街だけあって通りには魔族以外の人種もちらほらと見かける事がある。雑貨屋や鍛冶屋など、様々な店舗の横を通り過ぎて一本奥の通りに逸れると、途端にガラの悪い連中が目立つようになってきた。




ハーフであり体も小さな俺なら確実に絡まれるかと思ったがそんな事も無く、じっくりと観察してくる視線は感じるものの、直接何かしてくる輩は皆無だった。どうやらこの地域を治める何者かが、下っ端の者までちゃんと教育しているらしい。




そんな連中を無視して進むと、奥まった道の先に街にある他のものとは趣の違う石造りの建築物が見えてきた。奴隷達の逃亡阻止用なのか、窓には鉄格子まではめてあり、その雰囲気はまるで牢獄の様だ。威圧感すら感じるその施設は、確かに宿の女が渡してくれた地図と同じ場所にある。一瞬騙されたのかと思ったが、あの女が俺を騙して得する事など無いだろう。覚悟を決めて入口に向かうと、出入り口には屈強な二人の男が見張りに立っていた。




「何の用だ?」


「奴隷を買いたい。中に入っても?」




奴隷以下の扱いを受けるハーフが奴隷を買う。その事実に一瞬鼻白んだ男達だったが、職務には忠実なのか特に何も言わずに中に案内された。石造りのためか中はひんやり冷えていて、奥にある暖炉があまり役に立っていなそうだ。そのまま店の奥まで連れていかれると、いくつもの鉄格子が並ぶ部屋まで辿り着く。中には様々な人種が閉じ込められており、こちらを恨めしそうに見ている。




「お客さんかい?…ハーフの客とは珍しいな」




奴隷達に食事を与えていた男が仕事の手を止め、こちらに向き直る。頭髪の生えていない頭は頭頂部から顔面までびっしりと入れ墨が入っており、その体は筋肉の鎧で覆われていて、商人と言うより戦士と言った方がしっくりくる。




「スキル持ちの奴隷を探している。居るか?」


「スキル持ちか…居るには居るが、割高だぞ?お前さん、ちゃんと金を払えるのかね?」




疑う男に、背負っていた道具袋の中身を見せる。中にはヴィレジから奪って金貨や装飾品の類が詰まっており、奴隷の一人や二人なら問題なく買える金額だ。目を見開いた男はそれだけで納得したのか、奥について来るように促す。いくつかある鉄格子の横を通り過ぎると、一人だけ入れられている牢屋の前で立ち止まった。




「こいつがお望みのスキル持ちだ。なかなか見栄えの良い女だし、色々と使い勝手がよさそうだろう?」




下卑た笑みを浮かべる男の言葉を聞き流して牢屋の中を覗き込むと、背中に大きな翼を生やした女が、敵意の籠った眼差しでこちらを睨み付けていた。

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