第41話 猛攻と肌色と憧れと

書架室の奥に座っていた大旦那に話しかけられた。誰もいないと思っていたからひどく驚いてしまった。


「すまん。驚かす気は無かったんだ。それで、改めて聞くが、良彦くんはうちの瀬里と佳奈さん、どちらが好みなのかね?」


紗織が入らないのは、もう知っているのか、元からそう思っていないのか。どっちかは分からないが、この際だから、大旦那に相談してみるのも良いかもしれない。


「あの。実はそれが自分自身でもどちらか分からなくて。ご存知かもしれませんが、瀬里からも佳奈さんからも想いを伝えられております。2人とも仲良くさせていただいておりますし、魅力的な部分もたくさんあります。大旦那様はどのようにして大奥様とご結婚なされたのですか?」


「猛攻に押し負けた」


意外な答えが帰ってきた。大奥様は非常におとなしい印象だ。大旦那様が押し負けるって相当な気がする。


「正直、意外です」


「瀬里からもそう言われたな。だが、そこは勝負の世界だ。当時、私をある女性と取り合っていたらしい。私はそんなこと知らなかったがね。一方的に妻の方から大波のように押してきて、私はそれに負けた。どうだ、瀬里にも似たようなことはあるんじゃないか?」


思い当たるフシがありすぎて苦笑してしまった。それを見て大旦那様も苦笑していた。


「女性を好きになるのは何も自分の意思が全てでもないものなのだよ。大きな愛に飲まれるのも、それは一つの形だと私は思う。それにそう思わないと自分を否定することになるしね」


気になっていた相手に一方的に押されて押し負ける、か。僕が一方的に好きな相手がいたとしたらどうするだろう。ガンガン行くのか様子を確かめながらにじり寄るのか。冷静に考えると、僕は後者な気がする。臆病なのかもしれないな。今も、どちらかを選んだ後にすぐに振られるのが怖くてはっきりさせていないのかも知れない。大旦那がいなくなった書架室でそんなことを考えてから着替えに向かった。

その日は夜も考え事ばかりしていて、お風呂も天井を見上げてぼーっとしている時間が長くなる。


「良彦くん!いい加減、出てきてよ!後の人が入れないでしょ!」


「そんなに時間が経っていたか。すまん。ってか、なんでこの風呂に入るんだ。他にもっとデカイ風呂があるじゃないか」


僕が入っていたのは従者が使う個人宅にあるような小さめのお風呂場だ。考え事をしたかったのでこの屋敷で一番狭いお風呂を選んだのだが。


「ここは僕のお気に入りなの!早く出ないと入っちゃうからね!」


まずい。瀬里の言うことだ。冗談で流したら冗談にならないやつだ!


「ちょ、ちょっと待て瀬里。早まるな。瀬里は女の子だよな?僕は男の子だよな?それが一緒にお風呂に入るのは色々とマズイと思うんだ」


「へぇ。一緒に入りたくないんだ」


思春期の青年としては入りたい。ものすごく入りたい。しかし。この欲情は抑えなければならない!


「あの、ね。瀬里さん?一緒に入りたいのはやまやまなんだが、僕たちはまだお付き合いしてるわけじゃないでしょ?だから、そのな?」


「じゃあ、お付き合いしたら一緒に入ってくれるの?約束するなら脱いだ服を着る」


脱いでんのかよぉ!今、この扉を開けば……!いや、そうすると僕も裸だ。言い逃れできなくなる。


「分かった。約束するから!分かったから!」


「にひひ……や・く・そ・く、だよ?」


鼻歌を歌いながら肌色の影に色が付いてゆく。危なく押し負けるところだった。脱衣所から瀬里の気配が消えたところで恐る恐る出てみると、適当に置いた着替えの下着と寝間着がきれいに畳まれていた。


「これで2回目だな……」


リビングに戻ると、佳奈からは瀬里と浴室で何してたの?とか聞かれるし、大奥様にも聞かれて、僕じゃなくて瀬里が叱られてしまったし、ちょっと賑やかになってしまった。勢いで押し倒す……なるほどこういうことか。大旦那がいたらどんなことになっていたか、なんて考えたら肝が冷えた。


全員がお風呂から上がった後に、紗織が部屋に集まって欲しいと言うので、佳奈と瀬里、僕で紗織の部屋に集合した。


「集まってもらったのは、もうわかってると思うけど、私は良彦くんを諦めることにしました。佳奈ちゃん、瀬里ちゃん、後はお願いね」


紗織はそう言い切った後に片腕の肘あたりを反対の手で掴んで大きく伸びをした。まるで何かから解き放たれたようだった。


「紗織、本当に良いのね。病気の件が理由なら私、許さないわよ」


「佳奈ならそう言うと思った。大丈夫。そうじゃないから。私ね、好きってなんだろうってすごく考えたんだ。でね、私の中での好きってさ、一緒にいたい、とか支えて欲しい、とかそういうのだと思ったの。けどね、良彦くんはそういうのはしてくれそうだけど、私の中で良彦くんは憧れだって気がついたの。だから、良彦くんのこと、私は好きじゃなくて憧れの対象として見ていたんだなって。ほら、よくあるじゃない。憧れのサッカー部主将とか。そういうの。好きとはちょっと違うというか」


「良彦くん、完膚なきまでに振られたね。大丈夫。僕がその分、良彦くんを大好きになってあげる」


「なんか瀬里、最近すごくない?そんなにイケイケだったっけ?」


「だって負けたくないもん」


女の子の勢いってすごいな。男のスライディング土下座よりも強い。


「憧れ、かぁ」


確かに紗織から向けられていたのはそういうものだったかもしれない。紗織も好きについて結論を出すことが出来たのに、僕はまだ出来ていない。部屋に戻ってベッドに寝転がってそんなことを考える。好きの種類。守ってあげたいとか支えてあげたいとか。優しくしてあげるとか。でもそれは自分が本当にしたいことなのか?守るとか、支えるとか優しく接するって最低限の事なんじゃないのか?


綺麗事のようにも思えたが、好きにはもっと違う何かがあるように思えた。


「4日からどうするの?」


「ん?登校しないで家で勉強するんじゃなかったっけ?」


「あー、あなた達はそう言ってたわね。私は予備校もあるし、どうしようかなって。学校に行けば麻里と健司もいるし」


「それなら行ってきたほうが良いと思うな~」


「瀬里……あんた最近ちょっと露骨よ……」


「僕はね。本気なんだよ。そのためには手段なんて選んでいられない。佳奈ちゃんには絶対に負けないんだから」


敵対心むき出しなんだけど、どことなく子供の空気を感じて迫力がない。


「まぁ、いいけど程々にね。紗織、瀬里が無茶しないか見張ってて。お願い」


「そうね」


紗織の笑顔を久しぶりに見たかもしれない。最終的には佳奈と麻里と健司は学校と予備校、僕と紗織と瀬里は自宅学習。この時期は実力云々ではなく、ひたすらに過去問を解くべきと判断した僕は自室に籠って模擬試験を繰り返した。瀬里が途中で乱入してくると思ったのだが、そんなことは無く、夜まで僕は勉強に集中できた。


「どうだったの?」


「過去問か?」


「そう」


「多分だけど、合格ラインは超えてるんじゃないかと思う」


「ところで、瀬里と紗織はどこを目指しているんだ?」


「私は津田塾大学。英語の勉強がしたいの身体を丈夫にして海外でも働いてみたいし。瀬里は?」


「私は東京大学文化二類。一人娘になっちゃったから、お父さんの後を継げるように。お金持ちになれるし。そう言えば良彦くんも東京大学って聞いてるけど、どこ受けるの?」


瀬里はいつも一言多い。でもちゃんと考えているんだな。


「僕は理科三類に挑戦する。ダメなら滑り止めの何処かにするよ」


「医学部?東大病院の先生に言われたから?それとも紗織の影響?」


「なんというか。医者になりたいというのよりも最高学府の最難関に挑戦したい、っていう感じ」


「うわ。本当に医学部目指している人の敵だ」


「なにも三類いったら医者になるしか道がないわけじゃないよ」


「私、良彦くんは弁護士とかそういうのを目指しているのかと思ってた」


「なんで?」


「確定した結果を求めるから。確固たる理由がないと気に入らないでしょ?」


紗織は本当に僕のことを見ていてくれたのかもしれない。僕自身よりも僕のことを知っている気がする。確固たる理由か。健司はフィーリングって言っていたけど、僕は確固たる理由がないと恋人も選べないのかな。

センター試験まであと20日もない。今更ジタバタして仕方がないし、後は落ち着いて試験に臨む準備をしよう。

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